ガンに限らず現在の治療法で改善が期待できない患者さんの最も重要な関心は治療法がいつ可能になるかだ。そういう場合、ClinicalTrial Govなどの治験サイトをなるべく調べて答えることにしている。このサイトを眺めていると実に様々な治験が進んでいることがよく理解でき励まされるが、このうち何割が世に出るのだろうという不安も大きい。このように、臨床治験は治療開発にとって必須の通過点で、世界規模で治験の状況を眺めることは、さまざまなヒントを与えてくれる。
今日紹介するWHOから9月9日 Nature Medicine にオンライン出版された論文は、ガンに関する治験の遂行状況を世界規模で調べた調査で、我が国の状況も含めて色々考えるところの大きい論文だ。タイトルは「The WHO global landscape of cancer clinical trials(WHOガンの臨床治験世界地図)」だ。
先にあげた ClinicalTrial gov. は米国の治験登録サイトで、半グローバルと言えるが、WHO には ICTRP と呼ばれる世界17の登録機関のデータを集めたデータベースがあり、2022年12月31日時点で登録されているガンについての臨床治験は11万で、その中から89000余りを選び出して分析している。
まずガンに関する治験の数は2005年から年率で平均7%ずつ増加し、2021年では2005年時点の2倍に数が増えている。これは論文を読んでいて感じる実感と近い。すなわちガンについての科学は着実に進んでいる。ただ、現在もなお治験は100人以下を対象にした第二相以前が多く、最終段階の第三相治験は13%にしか過ぎない。
治験の申請はアカデミアからが64%で、製薬企業の治験は13%と意外に少ない。数は少ないが、5%程度患者さのイニシアチブで行われている治験も存在し、このセクターをさらに高めることは重要だと思う。
この中で抗ガン剤の治験は61%で、細胞移植などを含む生物学的治療は6%存在する。残りは診断、放射線などが主なものになる。
おそらくWHOが最も懸念しているのが治験数の地域的偏りで、アメリカ3割、ヨーロッパ3割、西太平洋(日本や中国を含む)3割で、地域格差は大きい。国別でみると、なんと中国が1位で21%、続いて米国16%、3位は我が国の8%となっており、中国を upper middle income と分類しているが、ほとんどが高所得国で行われている。
WHOが懸念しているもう一つの点がガンの罹患数や死亡数から見たとき、治験が大きく偏ってしまっている点で、一番地件数の多いのがリンパ腫/骨髄腫、白血病で、それに乳ガン、メラノーマが続いている。逆に最も治験数が少ないのが胃ガンや尿路のガンだが、この結果は論文を読んで感じる私の印象に近い。少し意外だったのは、肺ガンの治験が意外と低調なことで、おそらく多くの治験が一つのガンだけを対象にしていないという結果である可能性もある。
他にも地域ごとに同じような解析が示されているが、基本的にはガン研究に関わる人たちの実感に近い結果だと思う。ただ、治験の地域格差については、それぞれの地域の経済力アップと医療システムの整備が必要で、かけ声だけで進む訳ではない。実際、新しい抗ガン剤の価格を考えると、高所得国でもそれらの受け入れには問題が山積みになっていることは、最近の高額医療の個人負担議論からも明確だ。その意味で、今や治験大国となった中国が薬剤のプライシングをどのように決めていくのか注目している。
国別でみると、なんと中国が1位で21%、続いて米国16%、3位は我が国の8%となっている!
Imp:
中国の存在感は日々高まります!
本日のコメントは肺癌に関わることの多い医者の偏見かも知れません。中国の治験/臨床試験の増加は2009年にNEJMに掲載されたgefitinibとCBDCA+PTX/paclitaxelの比較第3相試験の頃より際立ってきている。三菱重工がMRJ(Mitsubishi Regional Jet)の型式証明の取得に難航してその開発中止をしたことは記憶に新しいが、中国では国内での型式証明を独自の基準で行い、国産飛行機を中国内のフライトで活用するという新聞記事を以前に読んで発案と実施能力の違いを感じたが、種々のscience分野での貢献度が上昇している中国では年間約100万人前後が肺癌に罹患していると言われていて、国内患者のみで第I相~第III相試験を完遂したり、中国産の医薬品開発も2015年頃より目立ってきていて、中国産医薬品の欧米での販売権利を欧米企業が購入・取得したりすることも増えている。中国の関与する出版社も増加し、論文数の増加も著しく、総説を読んでも内容的にはかなり充実してきている。先見性においては米国や欧州の研究者が勝っていると思うが、中国の情報網とその情報収集能力には目を瞠るものがあり、それを活用したりさらに発展させたりしている。研究倫理は重要な要素であるが厳しすぎてすくんでいるようでは前に進めない。正解に効率よく到達するという教育を受けた人材だけでは不十分で、絶対的正解のない種々の問題/課題を克服するために背景や歴史を十分考慮して広い視点で集団で考え抜いて方策と結果を見つけ出していくことが望まれる。そうでないと島国の日本は立派な下町ロケットの世界から脱出できないような気がする。
全く同感です。