麻酔剤ケタミンを低用量で静脈注射することで、長期にわたるうつ病の治療が可能であることは、精神科医のみならず脳研究者にとっても驚きで、その後メカニズムについて多くの研究が行われている。このブログでも何度も紹介したが、多くは短期の注射で抗うつ効果が長く続く神経細胞事態の変化を追求するものだった。しかし、最初の注射によりケタミンはグルタミン酸受容体だけでなく、様々な受容体を同時に刺激することが治療効果の引き金になることは間違いなく、どの細胞のどの受容体がケタミンに反応するのかは重要なテーマとして研究されている。そしてグルタミン酸受容体 (NMDAR) に加えて麻薬に反応するμオピオイド受容体 (MOR) が同時に刺激されることがケタミンの最初の作用だと考えられるようになっている。
今日紹介するコーネル大学からの論文は、ケタミンのMOR刺激によるうつ病改善メカニズムをマウスモデルで詳しく検討し、ケタミンに代わる新しい治療法を考えたおもしろい論文で、4月30日 Cell に掲載された。タイトルは「Mechanism-guided identification of antidepressant G protein-coupled receptor drug targets(メカニズムをガイドにして抗うつ作用を持つGタンパク質共役型受容体標的を特定する)」だ。
このブログでも紹介したように、うつ病治療薬開発はこれまでG共役型受容体の一つセロトニン受容体に焦点が絞られてきた(例:https://aasj.jp/news/watch/27794)。この研究では、NMDARとMORと言うG共役型受容体が効果を示すことは、他のG共役受容体の刺激でうつ病が治療できることを示している。そこでまず、ケタミンがNMDARに加えてMORと直接結合し刺激するかを、薬理学的、生理学的に確認している。
次にMORを強く発現している神経細胞を探索し内側前頭前皮質 (mPFC) のSst1陽性抑制神経に強く発現していることを突き止める。即ち、興奮性神経と抑制性神経が同時に刺激することでケタミンの効果が得られている可能性が示唆された。実際ケタミン投与前にMORをナロキソンで抑制するとケタミンの効果がなくなる。mPFC-Sst1抑制神経 (SIN) へのケタミンの作用をさらに調べると、MOR刺激がSIN興奮を一過性に抑制することを発見する。そして、この作用がMORと共役するGi/oタンパク質シグナルによることを特定する。
次は、うつ状態でSINは変化しているかで、そうだとするとMOR刺激を介してケタミンが直接うつ回路を標的にしていることになる。マウスを慢性的なストレスにさらしSINを調べると、期待通りSINのシナプス前終末が肥大し、刺激による興奮の頻度と振幅が増大していることがわかる。即ちSINという抑制神経のシナプス活動が高まることで、興奮神経が抑えられうつ状態が発生すると考えられる。
とすると、ケタミン以外でもSINのMOR刺激を誘導出来る伝達分子が存在するはずで、SINで強く発現するMOR以外のG共役型受容体を探索し、relaxin-3やprokineticin-2受容体を特定している。今後この受容体をケタミンの代わりに刺激することでうつ病治療が可能になる。このアイデアが妥当であることを示すため、SINが発現するG共役型受容体3種類を選び、それぞれを現存する薬物で刺激すると、うつ状態を抑えることができることを示している。ただ、G共役受容体は様々な神経で発現しているので他の作用が強く生じる。そこで、単独では刺激が弱すぎる程度の薬物を3種類合わせて刺激する極めてプラクティカルな実験を行い、うつ状態を抑制できる可能性を示している。
以上、ケタミンにより刺激される回路の鍵がMOR刺激を介する抑制神経の興奮阻害である事を確かめ、低用量の薬剤を合わせることで、ケタミンに匹敵する新しい治療が可能である事を示し、実地診療にも近い示唆を与えるおもしろい研究だと思う。
