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5月6日 南ドイツの集落に見るローマ時代から中世へのドイツ民族形成過程(4月29日Natureオンライン掲載論文)

2026年5月6日
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まだ東西ドイツが分裂していたときケルンに留学したことから、ローマ時代のドイツに触れることが出来た。と言うのもケルンはローマ時代の植民地という意味で、ガリア総督アグリッパによりラインランド・ウビィ属を移住させて形成させた、ローマ帝国の同化政策の典型と言える植民地で、今も多くの遺跡が残っている。

ただ、ローマは395年東西に分裂、東から北からのプレッシャーにより衰退していく。この辺は世界史の重点項目で、私たちの頃はフン族のヨーロッパ進出によって起こったゲルマン人の大移動として習った。

今日紹介するチュービンゲン大学、マインツ大学、そしてスイスのフリブール大学からの論文は、この時代ローマ帝国の国境にあたる南ドイツの集落Altheimを中心に、ドイツ各地のRow-Grave(列墓)と呼ばれる横に並べて配置する墓から発掘された250体以上の個体ゲノムを解析し、我々がゲルマン人の大移動として単純化して教えられた時代の南ドイツ人の形成過程を調べた研究で4月29日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Demography and life histories across the Roman frontier in Germany 400–700 ce(西暦400−700年のローマ国境のドイツでの人口動態と生活)」だ。

列墓はゲルマン文化の特徴で、この研究では王侯貴族ではない一般のゲルマン人の成立過程や生活を知るために、列墓に埋葬されている人のゲノムに限定して解析を行っている。様々な地域についても議論がされているが、ここではAltheimに限って紹介することにする。まずおもしろいのは、Altheimでの列墓が始まった最初の頃470年に埋葬されていたのは、ほとんどが北ヨーロッパを代表するゲノムで、現代北ドイツ人とも一致する。一方、同じ南ドイツでも他の地域では北ヨーロッパのゲノムはほとんど存在しない。おそらくAltheimはケルンと同じで、ローマ兵となった北ドイツの家族の植民で始まった可能性が高い。逆に、近くのAzlburgでは、最初は南ヨーロッパゲノムから始まっており、イタリアのローマ兵により形成された植民地と考えられる。ただ西暦470年を境に、Altheimのゲノムは、南ヨーロッパ、東ヨーロッパのゲノムが混ざった多様なゲノムへと変わっていく。そして中世が始まると、多様化が失われ現在の南ドイツゲノムに近い均一なゲノムへと変化する。

この結果は、少なくとも南ドイツでは、ゲルマン人の大移動といったような大規模な人の移動でゲノムが変化したわけではなく、東西南北様々な領域から移動してきた人たちを少しづつ受け入れることで、ゲノムの多様性が形成されたと考えることができる。さらに、現代南ドイツと比べても、Altheimのゲノムは多様であり、それが中世という人が動かない時代によって、地域の特徴を持ったゲノムへと収束したと考えられる。

では、このようなゲノムの多様化を可能にした当時の家族形態とはどんなものだったのか?これは列墓に埋葬された人たちの家族関係をゲノムから調べることにより推察することができる。集団解析の結果に一致して、他の地域からの個人との婚姻、あるいは他の地域の人が家族ごと移住してAltheimの一因となったりする様子が、列墓の位置やゲノムの関係から明らかにすることができる。即ち、外から来た個人や家族との婚姻を通して、多様化が進んだと考えられる。

列墓の位置から家族関係を推察することが出来るが、この研究ではアイソトープや骨の状態を使った年齢や時代測定もできるだけ正確に行うことで、ゲノムによる家族関係だけでなく、寿命まで推定している。これによると、平均寿命は男43歳、女40歳で、今とは逆になっている。これは出産自体が寿命を縮めるリスクファクターになっていたことを示す。

ゲノム関係からわかる家族関係もおもしろい。キリスト教以前に見られる、近親結婚、あるいは義理の姉妹と結婚するケースはほとんどなく、しかも一夫一婦が維持されている。そして、多くの場合は結婚すると女性が男性の家族と一緒に生活するのだが、一定の割合で逆も存在しており、極めてフレキシブルである事がわかる。言ってみれば、嫁入りも、婿入りもある現代社会と同じと言える。これは、例えば息子のいない場合、女性が財産を引き継いでいいとするローマ法とも一致する。

以上のことから、ローマの植民地支配による人の移動を中心としたヨーロッパが、ローマ衰退によりヨーロッパ中の人が小さなグループで移動する大きなうねりが起こったのが、フランク王朝やゴート王国と言った民族移動を代表する支配階級の移動に一致したのが、ヨーロッパの民族移動の本体である事がわかる。文献も遺物も存在する時代でも、これだけ丹念にゲノムを調べることで、新しい歴史科学が可能である事を示した素晴らしい研究だと思う。

  1. okazaki yoshihisa より:

    ローマ衰退によりヨーロッパ中の人が小さなグループで移動する大きなうねりが起こったのが、フランク王朝やゴート王国と言った民族移動を代表する支配階級の移動に一致したのが、ヨーロッパの民族移動!
    imp.
    庶民の移動➕支配階級の移動
    社会背景が人の移動を促す。
    現代と同じ。

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