培養を長期に維持する培養条件はどんどん開発されているが、実際に長期培養をやるとなると、培養を担当するスタッフには大変なストレスになる。様々な細菌やウイルス感染が持ち込まれると、その時点でそれまでの苦労は水の泡になる。このようなコンタミネーションがないとしても、例えば培養中に急に細胞の状態が悪くなってしまうと、それが正常の老化なのか、あるいは何らかのミスなのかが判断がつかないまま、それまでの努力が失われる。
それでも、苦労をいとわず長期培養にチャレンジする研究者は必ずおり、今日紹介するハーバード大学からの論文はヒトiPSから脳オルガノイドを形成させ、それをなんと5年以上培養し続けて起こる変化を調べた研究で8月19日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Human brain organoids record the passage of time over multiple years(ヒトの脳オルガノイドは複数年にわたる時間経過をレコードしている)」だ。
論文を魅力的に見せるテクノロジーに長けたグループのようで、5年培養したら神経再生過程が変化していた等と書く代わりに、脳のオルガノイドが時間を記録しているというタイトルを付けている。しかし結局は培養でも5年もすればエピジェネティックな変化が起こってくることを示した研究と言える。
このグループはできるだけ正常の脳に近いオルガノイドができる培養条件を長年研究してきており、その成果として5年という長期のオルガノイドの培養に成功している。異なる培養時間のオルガノイドの遺伝子発現を比べると、見事に発現遺伝子が徐々にシフトしていることがわかる。そしてこの変化は、DNAのCpGアイランドのメチル化と対応し、メチル化状態は実際の時間と正比例する。
一方で含まれている細胞の変化を見ると、最初増加してきた分化した神経細胞、特に介在神経は時間とともに減少するが、グリア細胞の数は上昇する。即ち、オルガノイドと言っても全く異なる細胞集団になっていることがわかる。この変化は実際の脳とは大分異なるので、長期培養だからと行って手放しで喜べない。
ただ、オルガノイドを自然の神経興奮が誘導出来る培地に移して培養すると、少なくとも1.5年までは機能的神経が維持され、しかも若いオルガノイドよりシナプス形成は強くなっていることがわかる。細胞レベルで調べると、神経興奮が起こることで興奮神経の数が大きく上昇していることがわかる。一方、介在神経は大きく抑制される。おそらく、同じ実験は5年以上経過したオルガノイドでは、興奮神経数が少なすぎて難しいのだろう。一方、オルガノイドを神経興奮が起こる培地に移して培養すると、2年間は興奮神経のネットワークを維持することができる。以上の結果は、脳ネットワークの維持に持続的な刺激が必要で、この条件でさらに長期に培養することが重要なことがわかる。
いずれにしても、5年培養した細胞の解析はこれ以上行われず、この後oldと表現されるのは1年程度経過したオルガノイドで、まだ興奮神経や介在神経が残っているこの時期のオルガノイドを用いて神経細胞の増殖力を調べている。一度オルガノイドを崩して細胞浮遊液にしたあともう一度オルガノイドを形成させると、oldオルガノイド細胞も再度オルガノイドを形成し、そこには崩す前のオルガノイドと同じ細胞が再生している。ただ、オルガノイドの大きさは小さく、増殖力は低い。ところが、若い細胞とミックスししてオルガノイドを形成させると、興奮神経が半分以上含まれるオルガノイドが形成される。さらに、未熟な神経前駆細胞も出現することから、oldオルガノイドの神経細胞にも、若い細胞のシグナルに反応して未分化神経細胞を再生する能力がある。ただ、oldオルガノイドの場合、興奮神経は2週間という短期間で数多く発生してくることから、すぐ成熟する前駆細胞が多く存在すると考えられる。
結果は以上で、これをoldオルガノイドの神経細胞が時間を記録していて、すぐに成熟細胞へと分化する記憶があると表現している。しかし個人的には、エピジェネティックに分化が方向付けられ、すぐに増殖力がある前駆細胞がoldオルガノイドには存在していると行った方が自然な気がする。皆さんはどう思われるだろうか?とはいえ、この研究のハイライトは5年間脳オルガノイドを維持したという一点にある。
