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3月21日:忘れないと覚えられない(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)

2015年3月21日
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2年近く脳関係の論文を読んでみると、脳活動の記録や解析手法が確立したことで、研究の勝負は問題の設定とその問題を解くための課題の設計にかかっているような気がする。このため、論文を読んでいて一番面白いのは脳活動の記録や解析、あるいは結論そのものより課題設計の想像力になる。実際、論文でもこの課題設計部分について詳しく記述が行われるのが普通だ。今日紹介する英国認知脳科学研究所からの論文は、「忘れ去る」という「積極的な忘却」過程という困難な問題にチャレンジした研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Retrieval induces adaptive forgetting of competing memories via cortical pattern suppression (記憶の取り出しは、皮質パターンの抑制を介する競合する記憶の適応的忘却を誘導する)」だ。訳してみるとずいぶん難しいタイトルになったが、要するに記憶を呼び起こす時、その記憶に連合した他の記憶は積極的に忘れ去るよう脳が働いているという話だ。問題がこんな複雑な過程なので当然対象はヒトだ。さて、この問題を解くため設計された課題だが、次のようになる。まずあらかじめ一つの言葉に二つのイメージが対応したセットを何セットも用意しておき、それを覚えてもらう。例えば、「砂」という言葉にマリリンモンロー(顔)と帽子(物品)を連合させて覚えてもらう。同じように「骨董」という言葉にアインシュタイン(顔)とゴーグル(物品)が連合するよう被験者をあらかじめ訓練する。そのあと、被験者に「砂」と問いかけて、それに連合したマリリンモンローの顔か帽子のどちらかを思い浮かべてもらって、どちらを思い出したか「顔」「物品」というカテゴリーで答えてもらう。そのあとすぐ、今度は覚えてもらっている様々な写真を示して、マリリンモンローが出て来れば「砂」と答えてもらう。もちろん帽子が出てきても答えは「砂」だ。ただその前の課題で行った、「砂」からマリリンモンローを思い出すという記憶の呼び起しが帽子のイメージを抑制しているとすると、帽子を見たとき「砂」という正しい答えを出す確率が低下することになる。この時、最初に呼び起こしとは関係ない連合イメージを見せて正解率を調べ、コントロールにしている。実際にはこのセッションを4回繰り返す。ほとんどの人は2回目以降はまず1回目と同じ記憶(例えば帽子ではなくマリリンモンローの顔)を呼び起こす。一度思い起こすことで記憶は鮮明になるから、当然だろう。一方、呼び起こさなかった方のイメージは抑制されているのかを帽子を見たとき「砂」と答える正解率で調べると、予想通りセッションが繰り返されマリリンの記憶が確かになるほど、帽子を見たとき「砂」と答える正解率は下がる。もちろん最初の呼び起しに使わなかったコントロールの連合セットでは、間違う率は一定している。この結果から、私たちは複数のイメージが連合した記憶セットから一つのイメージを呼び起こすとき、他のイメージを積極的に抑制していることがわかる。自らの経験に当てはめると、誰だったか思い出そうとして間違った名前が先に頭に浮かんでしまうと、本当の名前が「あの人、あの人」と思い出せないのと同じだろう。納得の課題設計だ。あとは、このセッションの過程を機能的MRIで調べ、イメージを想起すること、もう一つのイメージを抑制することに関わる脳部位の活動を対応させるだけだ(本当はこれも大変な分析だと思うが)。結果は、セッションを繰り返すほど腹側視覚野の一部の活動が記憶の抑制と関連していることがわかる。さらにこの抑制は前頭前皮質の興奮と関連することも明らかになった。すなわち、記憶を呼び起こすプロセスが興奮すると、そのイメージと連合しているイメージを探し当てるため前頭前皮質が興奮し、連合している他のイメージだけを抑制するという回路が明らかになった。脳研究の醍醐味は課題設計にあることがよくわかる。今後、この機構がうまく働かないためすぐ気が散る性格などの解明と、治療手段がわかってくれば、自分のこととしてこの結果を祝いたい。

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