羊水診断でダウン症などの染色体異常を胎児期に診断することが可能になってすでに50年近くになる。このような診断を望まれる両親の多くは、異常が明らかになった胎児を中絶するという選択をする。ただ、この方法は針を刺して羊水を取る必要があり、検査による流産の危険性があるので、実際に行われる頻度は1%に満たないのではないだろうか。ただ超音波診断の進展で、例えば頚部の浮腫や母親の血清検査(いわゆるクアトロテスト)を組み合わせダウン症の危険性を予測し、羊水検査を勧めることが行われるようになった。当然命の選択を迫られるので、リスクを告げられた両親の苦悩は測り難い。昨年夏クロアチアを旅行していた時、街を案内してくれた35歳のガイドさんが、私が医学部にいたことを知って、今妊娠中で検査でダウン症のリスクがあると告げられたと相談された。その時は、羊水検査をしないとはっきりしたことは言えないこと、超音波とクワトロテストだけでは偽陽性率が高いこと、そして母親の血清中に流れる胎児DNAを使って診断する方法が普及してきたことを伝えた。その後彼女がどのような決断を下したか知る由も無いが、今日紹介する論文はこの新しい検査法の診断率についてアメリカを中心に行われた大規模調査の結果で、4月2日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルはCell free DNA analysis for noninvasive examination of trisomy (非侵襲的トリソミーのための血中DNA検査)」だ。この研究では遺伝子検査にAriosaLaboratoryの方法を用いている。母体の血清中の胎児DNAを次世代シークエンサーで全て配列を決める代わりに、21、18、13染色体の一部の遺伝子に焦点を絞って増幅したあとシークエンスを行う方法だ。従って、原理的に100%の確度はないが、コストは大幅に抑えられる。この研究では、約15000人の妊娠女性についてクワトロテストと、超音波による診断と、Ariosaの診断法の診断率を比べている。結果はきわめて明快で、圧倒的にAriosaのテストの方が診断率、偽陽性率で優れている。21染色体で見ると、対象となった15000人のうちトリソミーを持っていた38例全例がこの方法で診断できたが、従来法では30例に止まっていた。問題は陰性を陽性と判断した偽陽性率で、この方法では9例にとどまっていた一方、従来法では854例と多い。すなわち従来法では5%近くの人が悩ましい選択を強いられることになる。また、羊水検査による流産率は300人に一人ぐらいと言われているので、もし従来法でリスクを告げられた全ての方が羊水検査をするなら、2人以上正常児が失われる心配もある。さらに21染色体だけでなく、診断率が低いのではと心配されていた18、13染色体でも陽性を陰性とまちがう確率は12例中1例だけだった一方陰性を陽性と判断した例も両方合わせて2例にとどまっていた。この結果から、特定の配列に絞った検査法でも羊水検査の結果にほぼ匹敵する診断が可能であると結論できる。結果は以上で、一見めでたしめでたしだが、これが一般検査として保険適用されていくかどうか、コストの問題とともに、検査の目的が目的だけに今後議論を呼ぶような気がする。しかし、経済界は大きな期待をしているようだ。ある経済紙は当面の検査費用(保険会社との契約)は800ドル程度で、1億人がアメリカで保険対象になると予想している。また、5月には20万キットが売れると分析している。事実、この予想を超える結果は会社の戦略上大きな意義があるようだ。すでにホームページでは、この結果を大きく宣伝し、昨年暮れにAriosaはロッシュにより買収された。ゲノムビジネスは予想を超える速度で浸透している。