現在京都で開かれている医学会総会の会長は井村裕夫先生だ。考えてみると、熊大から京大へ移って以後20年近く井村先生の手伝いをしてきたように思う。当時総長だった井村先生に頼まれた京大の再生医学研究所設立。この研究所をきっかけに再生医学が我が国に定着を始めた頃、今度は当時の科学技術会議委員であった井村先生から再生医学を拡大するようにと、ミレニアムプロジェクトを任された。そして最後の仕上げとして理研CDBを設立した。この間井村先生と一緒に何を目指したのかと考えると、基礎と臨床の橋渡しのためのトランスレーショナルメディシンの推進だった。高橋さんのiPSを用いた網膜治療実施などを見ると、どう推進すればいいかについての一定のノウハウは蓄積できたのではないだろうか。ただ、井村先生と一緒に旗を振っているうち、21世紀本当に問題になる死の谷は、続々と橋を渡って登場する新しい治療を限られた財源で利用するための社会構造ではないかと考えるようになった。そのため2013年、理研を辞めると同時に全ての公職を辞め、もう少し広い視野で医学・医療を勉強し、患者さんたちと話をしながら頭をリフレッシュしてみると、この問題の深刻さがさらに深く理解される。例えば今年の1月14日ギリアドサイエンス社から続々出されるC型肝炎薬についてこのホームページに掲載し、橋渡しが進んでいることを紹介した(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2732)。しかし、後で調べていくと新しい薬の薬価は恐ろしく高い。そのうちの一つは我が国での一錠の薬価が13万円を越した。このような新しい治療を本当に現在の医療システムの中で支えきれるのか。この問題をわかりやすく論じることは難しいが、一つのモデルとして刑務所でのC型肝炎治療を扱った面白いブラウン大学からの論文がニューヨークアカデミーの機関紙Journal of Urban Healthに掲載された。タイトルは「A budget impact analysis of newly available hepatitis C therapeutics and the financial burden on a state correctional system (新しいC型肝炎治療が州の更生施設の財政に及ぼすインパクトの分析)」だ。研究では米国最小の州、ロードアイランドの刑務所の受刑者3000人余りの医療記録や10%のサンプリング検査の結果より、活動型のC型肝炎患者を割り出し、病状や肝炎ビールスのタイプなどを調べている。最初に驚くのは刑務所での感染者が2割を超えていることだ。おそらく麻薬や刺青など様々な要因と相関しているのだろう。この調査の結果、服役期間が十分で、治療が必要なC型肝炎受刑者の数が327人と割り出される。最も新しい薬剤療法を施行すれば315人は完全に治癒するとも予想している。問題は、活動性患者を全て治療すると34億円が必要で、現在薬剤費として計上されている予算の12.5倍、全医療費の1.7倍の予算が必要になる。これを線維化が進んだ進行ステージに限っても、現在の薬剤費の5.5倍、全予算の約8割をC型肝炎だけで使ってしまうという結果だ。アメリカの保健制度から見ると、これは特殊な刑務所の話で、治療対象を選択し、治療手段を安価な方法に限ればいいという結論になる気がする。恐らく同じ議論は、個人で保険に入れないメディケイドの患者さんへ拡大されるだろう。一方、わが国の健康保険は国民皆保険で、維持のために税金が投入されている。いわば刑務所がそのまま拡大した構造だ。薬剤の開発、値付け、保健全てを含めて持続可能な健康保険をどのように構想するのか今考える必要があると思う。医療の場合、一度認めた命の可能性を、経済で断ち切ることはできない。もし混合保険しか解決のためのアイデアがないと、取り返しのつかないことになる。