7月23日:ラマン散乱顕微鏡を用いたブドウ糖のイメージング(Angewandte Chemieオンライン版掲載論文)
2015年7月23日
ラマン散乱分光を利用した顕微鏡がある。熊大時代、教授会同僚の志賀さんから教えてもらったのが最初だが、自分で使ったことは全くない。JSTさきがけの研究総括をしていた時この技術をリプログラミング過程の研究に使うというメンバーがひとりいたが、技術の改良は別として、肝心のリプログラミング過程を観察して、細胞内分子の分布を調べるという本来の目的は果たせなかったと思う。こんなわけで、ラマン散乱が細胞内の様々な分子種を調べることを可能にするポテンシャルがあるのはわかっていても、普及にはまだまだ大きなブレークスルーが必要だというのが私の印象だ。この意味で、今日紹介するコロンビア大学からの論文で私のラマン散乱顕微鏡にたいする印象は少し良くなった。タイトルは「Vibrational imaging of glucose uptake activity in live cells and tissue by stimulated Raman Scattering (生きた細胞や組織で発振するグルコース摂取を誘導ラマン散乱でイメージする)」で、化学の専門誌Angewandte Chemieオンライン版に掲載された。タイトルにあるように、この研究の目的はブドウ糖の細胞内摂取を生きた細胞で調べることだ。しかし、酸素、水素、炭素だけからできているブドウ糖の細胞内分布を画像化するのが簡単でないのは良くわかる。とは言っても、すでに18F—FDGを標識したブドウ糖はPET検査に使われており、アイソトープラベルができるなら、なんとか蛍光ラベルのブドウ糖を作れるのではと考えるが、これが簡単ではなかったようだ。実際にはNBDGと呼ばれる蛍光標識した化合物がこの目的で開発されているが、水に溶けにくく、様々な分子と非特異的結合が高く、使い物にならなかったようだ。そこで著者たちはブドウ糖の水酸基の一つに標識した炭化水素を導入したブドウ糖アナログを開発した。ここに炭素間三重結合を持つアルキンを使って標識することで、ブドウ糖とほとんど変わらない標識アナログの作成に成功した。アルキンは細胞内の分子の散乱光が全く見られない波長に強いピークを持つ性質があり、これを用いると細胞内でこのアナログの分布が検出できるようになる。あとはこれを実際の細胞で確かめるだけだ。結果は上々で、HeLa細胞では外界のブドウ糖濃度に比例して細胞内に取り込まれる。この取り込みは、ブドウ糖トランスポーター依存性の取り込みで、インシュリンによって刺激される。さらに、試験管内の細胞だけでなく、皮下に植えた脳腫瘍細胞を周りの組織から区別できる。これはFDG-PET検査と同じだ。最後に、脳のスライス培養で調べると顆粒層や髄質に強い取り込みがあるのを観察できる。これらの結果から、ラマン散乱光顕微鏡とこの化合物を用いれば、これまで難しかったブドウ糖の細胞内動態が調べられると結論している。最近は細胞レベルの代謝研究が盛んで、一定の需要は出てくるように思う。同じ手法を使えば脂肪や、アミノ酸など他の分子も標識できるようになるだろう。ただ、この論文でも1フレームの撮影に30秒近くかかるのは問題だろう。多くの代謝反応は早い。今は細胞に取り込まれたかどうかだけが問題になっているが、実際には細胞内での詳しい分布がわからないと利用は限られる。とはいえ、初めてラマン散乱顕微鏡の使い道に納得した。