8月8日:成人の肝臓維持に関する新しい考え方(Natureオンライン版掲載論文)
2015年8月8日
毎日論文を眺めていると、深さ、広さの両方で生命科学が猛烈に進展しているのを感じる。一方、こんなことがまだわからずに残っていたのかという意外な結果に出会うことも多い。こんな場合、すでに定説が出来上がっていて、誰もそれにチャレンジしないことが多い。今日紹介するスタンフォード大学幹細胞・再生医学研究所からの論文はその典型でNatureオンライン版に掲載されている。10の11乗オーダーという膨大な数の肝臓を造った後一生涯にわたって維持することは大変なことだ(特に私のような酒好きは余計に苦労させている)。したがって、一定の割合で自己再生が起こっているとしか考えようがない。最初肝臓幹細胞として発見されたオーバル細胞は、その後の研究で再生能はあっても肝障害によって活性化される予備細胞であることがわかった。このため、普段の幹細胞の維持には分化した細胞がゆっくり増えていると考えるのが通説だった。一方、この研究は自己再生だけ受け持つ特殊な幹細胞が、オーバル細胞以外に存在するのではという新しい可能性に挑戦し、今回「Self-renewing diploid Axin2+ cells fuel homeostatic renewal of the liver (2倍体のAxin2陽性細胞が定常状態の肝細胞の自己再生を司る)」という論文に結実させている。この研究は、もし幹細胞が存在し自己再生するならWntシグナルが働いているはずだと考え、Wnt刺激の結果誘導されるAxin2の発現に目をつけた。肝臓を見渡すと、Axin2は中心静脈周りの細胞だけに発現している。すなわち、そこだけでWntが働いていることになる。次に、Axin2を発現している細胞だけを標識して追いかけると、期待通り標識された細胞が時間とともに拡大していく。すなわち、Axin2細胞は時間をかけて肝臓の細胞を置き換える幹細胞の働きをしている。細胞増殖の時間は遅く、一回の分裂が14日かかるほどの遅さだ。このため、ほとんどの研究で待ちきれずに見つからなかったようだ。さて、この細胞を集めて詳しく調べると、オーバル細胞とは異なり、普通の幹細胞に極めて近いが、他の組織の幹細胞が発現しているTbx3を発現している。また、中心静脈からWnt分子が分泌され、この幹細胞の自己再生を誘導している。この新しい幹細胞の発見とともに、この研究のもう一つの重要な発見は、この幹細胞は普通の体細胞と同じで2倍体だが、分化が進むと一般の幹細胞に見られる多倍体に変化することを明確に示したことだ。分化した幹細胞が増殖するとするこれまでの通説は、ほとんどの肝臓細胞が多倍体であるという事実、すなわち老化した細胞が増殖できるかという問題を避けてきた。この研究はこの問題にはっきりした答えを出している。結論的に言うと、中心静脈から出るWntによりこの近くの細胞がゆっくり増殖を続ける幹細胞集団を維持し、これが周りに拡大して肝臓の定常状態を保っている。オーバル細胞ももちろん幹細胞としての働きはあるが、これは非常時だけで、普通は働かないというシナリオだ。この新しい可能性は、おそらく肝ガンの発生機序の研究にも重要だろう。もし本当なら(かなり確率は高そうだが)この分野を大きく進展させると思う。もし本当ならと但し書きがつくのは、同じような研究がなんども行われてきたからだ。例えば、私もよく知っている京大の川口さんたちはSox9で標識した細胞が肝細胞を置き換えるという研究を私が現役の頃Nature Geneticsに発表したことを覚えている。今回の論文で、この論文が全く引用されていないのは、タモキシフェンを使う標識方法が安定しないからで、私も経験がある。当分はまずこの考えが定着できるのか、少し待つ方がいいかもしれない。