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8月13日:立ち止まって考えてみる(Science, The New England Journal of Medicine, Cell Stem Cell掲載記事から)

2015年8月13日
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現役時代はいわゆる橋渡し研究の旗振り役を務めていたが、同時に文科省のヒト胚安全部会や他の機会を通じて、先端医療に対して懸念を持たれる人たちと、できる限り真面目に対話しようと心がけたつもりだ。ともすると「科学研究だけが未来を保障し、研究は完全に自由であるべきだ」と思ってしまう。ただ、様々な国の事情を知ると、科学研究は間違いなく文化や政治の制限下にあり、そんなに単純な話でないことがわかる。まず同じ社会に異なる様々な意見があることを理解することが科学者にとっての倫理の第一歩だろう。トップジャーナルのエディターはこのことをよく知っており、様々なコメンタリーを掲載している。今日はこの1−2週間に私が目にしたコメンタリーを紹介する。  コロンビア大学公衆衛生学からの「Public health in the precision-medicine era(プレシジョンメディシン時代の公衆衛生学)」というコメンタリーが8月6日号The New England Journal of Medicineに掲載された。いうまでもなく、オバマ政権は今年の一般教書演説でプレシジョンメディシンを推進して、各個人に合わせた安心の医療推進のための研究を加速すると約束した。もちろんこの背景には、ゲノムをはじめとする様々な個人の情報が解読できるようになったことが大きい。ただこの方針により、疫学や公衆衛生学など、病気を予防するための予算が削減されること、及びプレシジョンメディシン推進の結果が、医療上の格差をうむのではないかと著者は懸念を表明している。実際、アメリカの現状を見ると健康に関するほとんどの統計データは最悪で、まともなのは75歳以上の人たちの健康状態だけだ。この状況は決してプレシジョンメディシン推進では解決できないことは明らかだ。さらに、プレシジョンメディシンから生まれる先端医療のほとんどはまずお金持ちの医療として独占される。この結果、医療の進歩が社会格差を悪化させるという結果を生む。このコメントは最後に、プレシジョンメディシン推進者をそのまま信用してこれにだけ焦点を当てるのは間違いで、社会全体が健康になる方策を講じるべきだという強い主張で締めくくっている。私はもちろんプレシジョンメディシンの推進派だが、それが格差だけを生み出して終わる可能性も感じている。重要な課題としてコメントを読んだ。   次のコメントはカーネギー大学の倫理政策研究所からの「Patient-funded trials: Opportunity or liability ?(患者助成による治験:良い試みか間違った試みか?)」で、8月17日号のCell Stem Cellに掲載された。幹細胞を用いた細胞治療は、山中さんのノーベル賞もあってわが国では手厚い支援が行われている。しかし、普通は患者さんの数も少なく、また薬剤のように明確な規制の方針が定まっていないため、なかなか治験が進まない。これを補うために、患者さんが治療開発や治験自体に、被験者として参加するだけでなく、お金も出してもらうという動きがアメリカで進んでいる。私も知らなかったが、脳卒中の細胞治療治験参加に3万ドルを課金する会社が出てきたり、あるいは資金はほとんど患者さんから集めた勃起障害に対する脂肪幹細胞移植の治験が始まったそうだ。これまでのように、資本を集めてリスクをとる創薬手法では、新薬や新しい治療法の価格が高騰していることを考えると、患者さんがどこかでファンディングに参加して開発費を抑えることは重要だ。しかし、現在のように野放しのままこれが進むと、間違いなく研究者の倫理性の低下と、治験の科学性喪失につながるのは間違いがない。そのため、もっと政府がコミットして患者ファンドによる医学治験をレビューし、規制する枠組みを作るべきだという提言を行っている。私も現役の頃、神戸市の人たちと患者ファンドの可能性について勉強会を持ったことがあったが、いくら私的ファンドでも、公的な機関が治験計画を科学面や倫理面でしっかり管理することがまず大事だと結論した。同じ趣旨の結論だと思う。ただ、患者さんが資金面で参加していくことは医療費抑制の鍵になることは間違いない。再生医療はこれを考えるための格好の材料で、このようなコメントをCell Stem Cellに掲載する編集者はさすがだ。   最後は昨日少し触れたショウジョウバエの研究者を中心に7月30日のScience Expressに形成された「Selfguarding gene drive experiments in the laboratory (実験室での遺伝子操作実験を自衛する)」という声明だ。クリスパーなどを使って様々な遺伝子改変が可能になることで、これまで実験室外では生存できなかった動植物に限らず、野生の多くの遺伝子改変が進むと予想される。昨日も述べたが、これは安全性の問題というより、38億年の進化の道筋への大きな介入が起こることを認めるかどうかの問題になる。もちろん、研究をやめるという選択がないなら、科学者側で新たな何重もに及ぶ封じ込めを行う必要がある。この封じ込めの具体的方法を提案した声明でだが、これを読むと遺伝子改変動物の拡散をどう防ぐかについて科学者が自ら率先して議論していることがよくわかる。科学者が成熟して初めて、真剣な倫理議論が始まる。我が国でももっと議論を進めるべきだ。  この3つの問題で、現役時代、私はいわば推進派だったし、現役を退いた後も節を曲げるつもりはない。しかし、これまで以上に様々な人と対話を進めたいといつも思っている。若い一線の研究者も、夏休みぐらい少し落ち着いて、自分と違う意見に耳を傾けてみるのも大事なことだ。

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