石器時代から青銅時代の遺物のゲノム解析が現在急速に進んでいる。もちろん当時の人間のゲノムを調べ、有史以前の人間の行動を明らかにすることが主目的だが、採取されたDNAに含まれるDNAのほんの一部だけがヒト由来で、実際には分類ができていないDNAが大半を占める。この研究ではこれまで解読された101にのぼる2600-5000年前の人骨由来DNA配列890億塩基対のうち、これまで人間以外のDNAとして排除した配列の中にペスト菌のDNAが含まれているのではないかと着想した。ペスト菌は約2600年〜3万年前のいつか、Y.pseudotuberculosisから分離したと推定され、歴史で習うようにその流行は、500ACにユスチニアス1世時代ビザンチン帝国、14世紀から続いたヨーロッパの黒死病大流行など、歴史に大きな影響を与えてきた。ただ、有史以前となると流行の実態はわからない。調べてみると、全ゲノムが解読できた2体を含む7体の人間の歯にペスト菌DNAが存在することを発見した。あとは解読された配列が本当にその当時の人間が感染していたペスト菌由来かどうか、様々な基準を用いて確認したうえで、現在のペスト菌と毒性を比べている。詳細を省いて結論をまとめると次のようになる。
1) 地理的広がりをみると、少なくともバルカンからロシアに広がる地域でペスト感染者が3000BC-1000BCには存在していた。
2) ペスト菌のY.pseudotuberculosisからの分離はこれまで考えられていたよりずっと昔、約50000年前。
3) ペストの大流行に関わるネズミ毒素(ノミの腸内で生存するために必須)は青銅時代のペスト菌には存在せず、1600BCから951BCの間のいつかに獲得されている。この獲得にはトランスポゾンを利用する水平遺伝子伝搬が重要な働きを演じている。
4) 組織深く浸透するためのプラスミノーゲン活性化因子はペスト菌が分離した最初から存在している。
5) ヨーロッパ大流行の後、ペスト菌からDFR4と呼ばれる遺伝子が欠損し、毒性が弱まるが、この遺伝子は最初から存在している。
6) ペスト菌は免疫反応を逃れるために鞭毛を失っているが、2000BC以前の菌には鞭毛が存在しており、免疫反応が十分対処していた可能性が高い。鞭毛は1000BCぐらいから失われ始めたと考えられる。
このように、青銅時代までのペスト菌は感染性はあっても、免疫反応を誘導し、ノミを媒体に使えないため、大流行はなかったようだ。とはいえ、ユーラシアの広い範囲に広がっていた。このように、論文では主にペスト菌の由来と歴史が調べられているが、今後記録に残るペスト菌の流行と対応させた歴史学的検討へと進むだろう。文字とDNAはともに書かれた記録で、歴史の解読に重要な双輪になっていることを実感する論文だった。しかし、この分野の我が国のプレゼンスはあまりに低いのが心配だ。歴史問題議論が盛んな我が国だからこそ、決して変更されていない「史」としてのDNAは重要なはずだ。