11月1日:フォルクス・ワーゲン不正による被害推定(10月29日号Environment Research Letter掲載論文)
2015年11月1日
巷では旭化成建材の杭打ちデータ流用の拡大がメディアを賑わせているが、東芝不正経理、東洋ゴムデータ改ざん、VW排ガス不正と、大企業で続く不正を目にすると、昨年小保方問題の原因について、大学や理研は企業では当たり前のコンプライアンス対策や人事管理ができていないからだと記者会見で語っていた人たちの顔が浮かぶ。これだけ続くと、おそらく現在の大企業が作り上げた利潤追求システムを構造問題として分析する必要がありそうだ。ただ今続発している企業不正には被害者があり、司法の場に持ち込まれるケースも多いはずだ。このとき被害の全体をどう科学的に、しかも迅速に評価するかが問題になる。
この問題にアメリカのアカデミアがどう迅速に対応できるかを示すマサチューセッツ工科大学とハーバード大学からの論文が10月29日号のEnvironmental Research Letterに掲載されていたので紹介する(Environ.Res.Lett. 10(2015) 114005)。タイトルは「Impact of the Volkswagen emission control defeat device on US public health(フォルクス・ワーゲンの排ガス制御装置のdefeat deviceが米国の公衆衛生に与えるインパクト)」だ。幸いこの論文はクリエーティブコモンズに登録されており、図の引用が可能だ。
しかしアメリカ環境局(EPA)がVWの不正について発表したのは9月18日であることを思い起こすと、この論文がその後1ヶ月半で発表されたことは驚くべき速さで、社会の要求に迅速に答えることを使命の一つとして自覚しているアメリカアカデミアの底力を見る思いがする。さてタイトルからわかるように、この研究ではフォルクス・ワーゲンとアウディがアメリカで2009-2015年に発売したディーゼル車の排ガスがアメリカ市民の健康に及ぼす影響を算定したものだ。タイトルに登場するdefeat deviceとは、状況に合わせて排ガス処理をバイパスする装置で、今回の不正では排ガス検査以外の正常走行でこの装置が働くようにしたことが問題になっている。推計学的方法の詳細はすべて省くが、研究では、販売台数、これまで蓄積した一般車の走行パターンから割り出したNOxとPM2.5の排出量を、すでに環境評価で確立している幾つかの推計シミュレーションモデルに当てはめて、premature death (早死に)する確率や、様々な疾患の発生率を推定したものだ。論文に示された表をそのまま転載するが、2015年までの排出によるpremature deathを59人、社会コストを4億5千万ドルと推定している(図をクリックしてください)
そして、VWが約束した通り2016年末までにリコールを終わらせれば将来のpremature deathを130人減らし、社会コストも8億4千万ドル減らせることを強調している。他にもこれまでの排ガスにより31人の慢性気管支炎と34例の入院例が発生したはずだとする推計も示している。その上で、現在EPAなどが推定しているVWへの罰金額が4万ドルを超えている点について、今回の研究から推定される実際の被害は一台あたり高々2600ドルで、EPAの算定は高すぎるのではと指摘している。さらに、被害のほとんどはPM2.5によるもので、NOxによるオゾン層破壊の影響はほとんどないことも強調している。役に立つことを絵に描いたような研究だが、使った推計学モデルが正しいかどうかは議論が必要だ。我が国を含め、公的資金を使ってビッグデータ・シミュレーションモデルが作成されているはずだ。このようなモデルは本当は今回のような問題が勃発したときのために作られてきているはずだ。こうした蓄積が役に立つことを迅速に示して、市民社会の期待に応えた点はさすがだ。次はこの論文がどのようにEPAや司法の判断に利用されるかが見ものだ。とはいえ、今回の推計データを実際の死亡率や発病率と照らし合わせて推計モデルの正統性を示す科学側の新たな責任も生まれたと思う。繰り返すが、9月16日のEPAの発表後すぐに計算を始めて、10月2日には論文を投稿し、10日で掲載が決まるというアメリカの学界のスピード感には舌をまく。
先生、
加工肉の発がん性のランセット論文が話題になっています。事実の検証の必要性と、第三者への取材を記事に仕上げるのがマスコミの責任であると思います。センセーショナルに煽り、怪しくなると叩く、そうして世論を混乱させていることを、日本のマスコミは反省していないようです。
このランセット論文の検証と結論を待ちたいですが、私も早速読みます。
情報を知らせるのではなく、記事を書いて反響を呼ぶことが使命になっていますから、NHKも含めてメディアを当てにするわけにはいきません。