11月10日:脳内の位置情報に距離と時間をどう統合するか(11月4日Neuron掲載論文)
2015年11月10日
昨年のノーベル賞がオキーフさんとモザー夫妻に与えられるまで、恥ずかしいことに彼らの仕事については全く知らなかった。ただ引退後分野を問わず論文を乱読していると、認知科学の中でこの分野の研究はかなり主流になっていることがわかる。確かに、自分の経験した外界の位置関係がそのまま脳のグリッド細胞の位置関係に表象されているのは驚きだ。この情報は視覚入力や、方向感覚、そして手足の感覚から得られる距離などが統合されて形成されるようだが、この中から実際のGPSの正確な位置測定に必要な時間や距離だけを取り出して調べることは難しかった。今日紹介するボストン大学からの論文は距離と時間感覚を位置認識から抽出して研究する面白い課題についての研究で11月4日号のNeuronに掲載された。タイトルは「During running in place, grid cells integrate elapsed time and distance run (経路を走っている時グリッド細胞は経過時間と走った距離を統合する)」だ。この研究の全ては、8の字経路を走る課題を覚えさせたあと、視覚の影響を受けずに経路の距離と時間だけを変化させる方法を着想できたことだ。実際には、8の字の真ん中に速度や回転数を変えることができる車輪をおいて、ラットがそこに入ると視覚情報が変えずに、同じ位置で時間や距離を変えて走らせることができるデバイスを設計している。そして、ラットを自由に走らせながら脳内の神経活動を記録し、車輪を回転させずに経路を走ることで形成されたグリッド細胞を特定したあと、同じ細胞が車輪の中で走る距離や時間をどう記録しているのか調べている。最初に断っておくが、多くの神経細胞の興奮を同時に計測するだけでなく、そのデータを様々な数理モデルで計算し直し仮説の検証を行っており、実際に研究をしたことのない私には理解できない点も多い。それでも要点は十分わかる。この研究の要点は、経路内の位置を表象しているグリッド細胞自体が時間や距離にも反応して、新しい地図を形成しているという結果だ。例えば滑車に入って走り始めると順番にグリッド細胞が興奮し、あたかも時間をカウントしているようなパターンが得られる。回転速度を変えて時間だけでなく走る距離を変える実験を行うと、その距離に反応して興奮するグリッド細胞が見つかる。このカウントには視覚情報は関わらない。またそれぞれのグリッド細胞の興奮パターンから、時間だけに反応する、距離だけに反応する、両方に反応するグリッド細胞が存在する。グリッド細胞以外の細胞にも同じような興奮パターンが見られるが、グリッド細胞はかなり正確に時間や距離を表象する。しかし、個々のグリッドの興奮を詳細に見ると、細胞の興奮は走っている間一度だけでなく何回か見られる。このような経験の結果、距離や時間を統合した脳内に形成されるグリッド細胞の興奮領域が拡大する。以上の結果は言ってしまえば全て現象論で、今後は個々のグリッド細胞の反応パターンと、他の領域との結合性をしらべて、その背景にある神経回路の法則性を明らかにする大変な研究が待っている。おそらく、これを完全に解明するにはまだまだ時間がかかるだろう。ただ脳の構造化の問題は脳回路形成に普遍的な問題で、今後より高次の認識も同じような研究の対象になっていくだろう。この分野の素人にとっても、この分野を最初に開発したオキーフさんは本当に偉大だと思う。