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11月24日:公正観念の発達(11月18日号Nature掲載論文)

2015年11月24日
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我が国では人文系の学部の再編や廃止が議論されており、すでに地方の国立大学ではこの方針に従った再編案計画を出す動きがあるようだ。医学部に進学したものの、もともと感覚としては人文系の人間だった私にとっては、人文系の廃止と聞くと即、品がないと思える。法人化と同じように、日本の高等教育の長期的視野なしに思いつきで始めた大学の疲弊を招くだけの政策なら早く改めた方がいい。しかし21世紀、多くの人文系の分野が自然科学と融合した分野へと変貌することはわかる。例えば、ゲノム研究が考古学や歴史学を今大きく変化させているし、脳研究が精神についての科学を変貌させている。また、昨年Scienceが格差問題を特集し、Natureにも社会学系の論文が散見されるようになるなど、一般紙の編集方針にもこの方向を強く後押ししようとする意図が見える。ただ、医学から見ても多くの論文はまだまだ新しい科学と従来の人文科学の間をさまよっているように思える。今日紹介するボストン大学脳研究所からの論文も、公正・道徳のような最も高次の脳機能を扱うという点で挑戦的だが、結論のわかりにくい研究だ。タイトルは「The Ontogeny of fairness in seven societies (7つの社会で育つ子供における公正さの発生)」だ。これまでの社会心理学の研究で、公正観念を自己有利な公正と自己不利な公正に分けて調べる方法が確立しているようだ。自己不利な公正とは、自分が不利な状況で公正を求める感覚で、自己有利な公正は、自分が有利な状況で公正を求める感覚だ。実験手法は確立しており、2人の人間を対面させ、例えばお菓子を配る状況で、自分の方に少なく分配されたとき不公平と感じてこの配分を拒否する感覚が自己不利な公正観念で、自分の方に多く分配されたときでも不公平で相手に申し訳ないとしてそれを拒否する感覚が自己有利な公正観念になる。この研究では、分配を拒否するとどちらもお菓子はもらえないことを経験させた上で実験を行っている。すなわち、拒否すると何ももらえないので、少しでももらう方を選ぶか、もらえなくとも抗議の意思を示すかの選択になる。直感的にわかるように、自分が不利な場合、何ももらえなくとも抗議して常に公平を求める感覚は、4歳児ですでに見られ、早くから身につくようになる。実際、サルも同じ行動を示すらしい。一方、自分が多くもらえる状況で、不公平であると意思表示するようになるのは教育が必要で、たしかに発達する時期も学童期以降と遅い。この研究では同じ実験を、インド、メキシコ、ペルー、ウガンダの農村、アメリカ、カナダの都会、そしてセネガルの貿易港湾都市ダカールで行い、それぞれの社会で何歳ごろから2つのタイプの公正を求める心が生まれるか調べている。予想通り、アメリカ、カナダの都会では農村と比べると公正を求める感覚は有利、不利を問わず早く始まり、年齢とともに発展する。面白いのは、自己不利な状況での公正はメキシコを除いてすべての社会で発達するのに、自己が有利でも公正を要求する感覚はアメリカ、カナダ、ウガンダだけで発達している点だ(15歳までの話)。途上国ウガンダの農村でもアメリカと同じように発達していることを見ると、決して先進国の都会という条件に限定されているわけではなさそうだ。論文ではこの結果の原因について色々議論しているが、あまり参考にならない。ただ、この実験が社会の様々な状況を反映することは確かだ。従って、もっと多くの国で同じ調査を行い、他のパラメーターと比較し、公正社会という人文系の課題について研究することが重要だろう。その意味で、調べた国があまりに少ない。もしウガンダがインドやメキシコと同じだったら、あまり面白くない論文だ。私個人でいうと、もちろん我が国を始めとするアジア諸国での調査を期待したい。

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