人間の視覚を対象として、視覚認識と、MRIで捉えた脳の興奮を対応させる研究だ。このような研究の成否はどのような課題を設計するかにかかっている。この研究もこの課題が全てだ。文章だけで表現するのは大変なので、今日は図を作ったので、それを使って課題を説明しよう。被験者に実像Aと実像Bを短いインタバルで場所を変えて与える。2枚の絵を見て円の中の格子の向きから回転しながら移動していることを想像するはずだ。このとき右回り、左回りのどちらかを想像するよう命令すると、右回りを想像するときは縦縞の虚像、左回りを想像するときは横縞の虚像が形成されるはずだと著者らは睨んだ。後は、回転の方向を想像しながら2枚の実像を見せたとき、中間の像も含めて実像を単独に見せた場合のV1の活動を比べ、実際には見ていない虚像がV1の特定の興奮として記録できるかを調べている。難しいことを全て省いて結論を言うと、網膜から直接投射されているV1領域で実像と実像の間を虚像で埋めることで動きを再構築していることが明らかになった。納得の話だが、面白いのは全く実像を見せず、像の回転と移動を思い出す場合は、実像とともに虚像を結ぶときに興奮した領域が全く興奮しないという結果だ。すなわち、虚像は実像があって初めて視覚の統合に役に立っているという結果だ。 V1に障害を持つイタリアの患者さんから始まった虚像についての研究が今も脈々と続いていることがよくわかった。今後も注目して、今書いている本にも使っていきたい。
1月27日:実像と実像の間(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
2016年1月27日
極論すれば映画は虚像だが、それでも静止画を重ねて視覚に提供するだけで動きを感じられるのは、見たものが一定時間視覚として続く残像のせいだと小学校の頃習ったように思う。しかし残像と言わなくとも、時間をおいて見た実像が動いていると感じることがある。これは、断片的に入ってくる実像の間を想像による虚像で埋めているからだ。もし想像で埋めているなら、V1と呼ばれる一次視覚野も興奮するはずだ。というのも、様々な研究から私たちが何かを思い浮かべるときV1と呼ばれる一次視覚野にもう一度像を形成し直していることがわかっている。すなわち実際に見ているように思い出している。今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、実像を2枚場所と時間を変えて提示して動きを感じるとき、その間を想像して像をV1に呼び起こしているのかどうか調べた研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Reconstructing representation of dynamic visual object in early visual cortex (動く対象の表象を初期視覚野に再構成する)」だ。
人間の視覚を対象として、視覚認識と、MRIで捉えた脳の興奮を対応させる研究だ。このような研究の成否はどのような課題を設計するかにかかっている。この研究もこの課題が全てだ。文章だけで表現するのは大変なので、今日は図を作ったので、それを使って課題を説明しよう。被験者に実像Aと実像Bを短いインタバルで場所を変えて与える。2枚の絵を見て円の中の格子の向きから回転しながら移動していることを想像するはずだ。このとき右回り、左回りのどちらかを想像するよう命令すると、右回りを想像するときは縦縞の虚像、左回りを想像するときは横縞の虚像が形成されるはずだと著者らは睨んだ。後は、回転の方向を想像しながら2枚の実像を見せたとき、中間の像も含めて実像を単独に見せた場合のV1の活動を比べ、実際には見ていない虚像がV1の特定の興奮として記録できるかを調べている。難しいことを全て省いて結論を言うと、網膜から直接投射されているV1領域で実像と実像の間を虚像で埋めることで動きを再構築していることが明らかになった。納得の話だが、面白いのは全く実像を見せず、像の回転と移動を思い出す場合は、実像とともに虚像を結ぶときに興奮した領域が全く興奮しないという結果だ。すなわち、虚像は実像があって初めて視覚の統合に役に立っているという結果だ。 V1に障害を持つイタリアの患者さんから始まった虚像についての研究が今も脈々と続いていることがよくわかった。今後も注目して、今書いている本にも使っていきたい。
人間の視覚を対象として、視覚認識と、MRIで捉えた脳の興奮を対応させる研究だ。このような研究の成否はどのような課題を設計するかにかかっている。この研究もこの課題が全てだ。文章だけで表現するのは大変なので、今日は図を作ったので、それを使って課題を説明しよう。被験者に実像Aと実像Bを短いインタバルで場所を変えて与える。2枚の絵を見て円の中の格子の向きから回転しながら移動していることを想像するはずだ。このとき右回り、左回りのどちらかを想像するよう命令すると、右回りを想像するときは縦縞の虚像、左回りを想像するときは横縞の虚像が形成されるはずだと著者らは睨んだ。後は、回転の方向を想像しながら2枚の実像を見せたとき、中間の像も含めて実像を単独に見せた場合のV1の活動を比べ、実際には見ていない虚像がV1の特定の興奮として記録できるかを調べている。難しいことを全て省いて結論を言うと、網膜から直接投射されているV1領域で実像と実像の間を虚像で埋めることで動きを再構築していることが明らかになった。納得の話だが、面白いのは全く実像を見せず、像の回転と移動を思い出す場合は、実像とともに虚像を結ぶときに興奮した領域が全く興奮しないという結果だ。すなわち、虚像は実像があって初めて視覚の統合に役に立っているという結果だ。 V1に障害を持つイタリアの患者さんから始まった虚像についての研究が今も脈々と続いていることがよくわかった。今後も注目して、今書いている本にも使っていきたい。