患者さんから聞くと、ミトコンドリア病と診断できる一般医療機関は少なく、今回参加してくれるTさんも30歳を超えるまで正しい診断がつかなかったようだ。事実、ミトコンドリア病の原因となる遺伝子変異は150種類以上あり、症状も多様で、どの遺伝子の変化が病気の原因になるのかを特定するのは簡単ではない。しかし、原因に関わらずミトコンドリアの好気呼吸機構の障害が背景にある。従って、治療にはコエンザイムQなどを用いてミトコンドリア機能をなんとか維持しようと試みられるが、効果は限定的だ。
これに対して今日紹介するハーバード大学からの論文は低酸素という直感的にはミトコンドリア病の患者さんに禁忌とも思える方法が、画期的な効果を示すことを明らかにした研究で4月1日のScienceに掲載された。タイトルは「Hypoxia as a therapy for mitochondrial disease (ミトコンドリア病治療としての低酸素)」だ。
培養細胞のミトコンドリアの電子伝達系を阻害して好気呼吸を止めると増殖が止まる。この研究では好気呼吸の阻害を克服して増殖を維持するメカニズムがないか、18000もの遺伝子をCRISPR-Cas9法を用いてノックアウトする大規模スクリーニングにより調べている。このスクリーニングにより500近い遺伝子が候補として見つかっているが、最も大きな効果が得られたのがVHL遺伝子だった。VHL遺伝子は酸素に反応してHIF1分子を分解に誘導することで、細胞の低酸素反応を阻害している分子だ。従って、この分子がなくなると細胞は低酸素に対応するための様々な遺伝子を発現する。
この結果はミトコンドリア機能の低下した細胞の健康に最も効果があるのが低酸素であることを示している。この細胞レベルの結果が、個体レベルでも言えるのか、2−3歳で発症する最も重篤なミトコンドリア病リー症候群のモデルマウスを通常の半分の酸素濃度(11%O2)で飼育して調べている。リー症候群の子供と同じで、このモデルマウスでは生まれてすぐから様々な症状を示し、生後80日目には全例が死亡する。これに対し、低酸素で飼育した群は160日目で全例が生存しており、120日目まで体重の増加も見られている。さらに、通常の酸素濃度で育てたマウスは生後1ヶ月ぐらいからほとんど動かなくなるが、低酸素で育てると活動性もかなり回復する。またこの変化は、生化学的検査や、脳の組織学的検査でも確認される。ミトコンドリア障害による様々な異常の抑制に低酸素が大きな効果を持つことを明らかにする画期的な結果だ。
この結果を患者さんに使うためには、幾つかのハードルがあるだろう。詳しいことは、4月11日のAASJチャンネルで説明したいと思う。この研究は低酸素が治療に使えることを示すだけでなく、医療上の様々な示唆を与えてくれている。例えばミトコンドリア病の患者さんに酸素を投与する治療は注意が必要だし、アミノグリコシル系の抗生物質投与もできるだけ避けたほうがいいこともわかる。素晴らしい論文が紹介できたと思う。