ただ、このようなガンゲノムの研究は、異常から正常を引き算した発がんに関わる変異の探求に偏りがちだ。発がんに限らず、ガンを独立した一つの全体として捉えその全体的性質と相関させようとした研究は私が見る限り少ない。そんな例として私の印象に残っているのが少し古いがケンブリッジ大学から出された乳がんのゲノム研究で、発がんとの関係にかかわらず、ガンのゲノムに見られる全ての多型を、ガンの遺伝子発現パターンと相関させ、乳がんを10種類に分類できることを示した研究だ(Curis et al,Nature 486:346, 2012)。このように、ガンを独立した一つの単位として、全体を把握する研究はこれからますます重要になるだろう。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、悪性度の強いトリプルネガティブ乳がんの代謝に注目して治療可能性を探索している研究で、4月号のNature Medicineに掲載されている。タイトルは「Inhibition of fatty acid oxidation as a therapy for myc-overexpressing triple negative breast cancer (Myc発現の高いトリプルネガティブ乳がん治療としての脂肪酸酸化酵素の阻害)」だ。
トリプルネガティブ乳がんの特徴の一つはMycと呼ばれる遺伝子の発現が上昇していることだ。このMycはそれ自身ガン遺伝子として様々な発がんに関わっている。このため、発がん過程にどう関わるかについての研究は進んでいても、一見ガンとは関係なさそうな性質との関連は研究が遅れる。この研究では、mycが脂肪代謝に影響して、それが発がんに関わるのではという可能性に狙いを定めて研究を進めている。まずMycの発現により誘導される代謝産物を調べ、脂肪酸酸化酵素(FAO)が上昇することで、脂肪代謝が変わることを明らかにしている。次に実際のMycが上昇している乳がん細胞で脂肪代謝の異常が誘導されるか調べ、確かにMycの高い乳がんではFAOの上昇による脂肪代謝異常が誘導されていることを確認している。さらにこの脂肪代謝異常を直すことで、ガンの悪性度が低下することを発見し、最後にFAO活性阻害剤がガンの進展を抑制できることを示している。
この結果を脂肪代謝とエネルギー代謝の問題だけで説明するのは簡単だが、脂肪代謝から生まれる中間体としての分子が核内受容体分子を通して転写に影響することも知られている。すなわち因果のサイクルが続いている気がする。この研究をきっかけに、さらにガンを全体として捉えることがすすむだろう。もちろん、トリプルネガティブ乳がんの治療の難しさを考えると、新しい標的が発見できたことがこの研究の最も重要なメッセージだ。