マスメディアのように、効率のいい遺伝子編集法で生きたマウスの脳に遺伝子ノックインする方法と説明してしまえば、一般の人は、ほとんどの脳細胞の遺伝子が編集されると考えるだろう。しかし著者らがSLENDERと呼ぶ方法のミソは、この方法で脳内の一部の細胞だけを正確に遺伝子編集することができる点だ。そして、この編集により、細胞がひしめく組織の中のほんの一部の細胞だけに焦点を当て、分子の動態を細胞レベルで詳しく調べられる点だ。実際効率が良すぎると、脳のような細胞がぎっしり詰まった組織では、個々の細胞の特徴を全く観察できない。この問題解決のためにこの方法を開発したと著者らもイントロダクションで述べている。実際これまでも組織の中の単一クローンを可視化するために様々な方法が開発されてきた。ただ、個々の細胞の任意の分子を正確に標識することは難しく、クリスパーを用いることで初めて可能になった。しっかり論文を読めば、この方法が拓く将来は明確に理解できる、ワクワクする論文で5月12日号のCellに掲載された。タイトルは「High-throughput, high-resolution mapping of protein localization in mammalian brain by in vivo genome editing (生体内でのゲノム編集を用いたタンパク質局在の高効率・高解像のマッピング)」だ。
この方法では胎児の脳内にCas9とガイドRNAを使って標的遺伝子を切断すると共に、相同組み換え修復を誘導するDNAを導入して電流を流すことで遺伝子を導入し、一部の細胞のゲノム遺伝子を標識のついた遺伝子に置き換える。クリスパーをわざわざ効率の低い電気穿孔法と組み合わせて、大きな組織の中で個別の細胞を浮き上がらせ、その中で働く様々な分子の動態追跡を可能にしている。
研究では、多くの研究者が脳細胞内で動態を正確に知りたいと思っている様々な分子の標識を行い、この方法が今後脳細胞研究で多くの問題解決に寄与するポテンシャルを持つことを示している。また、この方法による遺伝子編集が特異的で、標識できなかった細胞の遺伝子を変化させせていないことも確認している。そして、異なる分子の同時標識、リアルタイムモニターへの応用、免疫電顕への応用、そして標的遺伝子をノックアウトした細胞の追跡など、これでもか、これでもかと可能性が現実に示される。そして何よりも、例えば遺伝子を強制的に導入するこれまでの方法では見落としていた問題がこの方法で見えることを示している。ウォリーを探せというパズルがあるが、集団の中に埋もれていた個別の細胞を詳しく追跡する方法は、脳研究やマウスを超えて利用は広がるだろう。
以上脳細胞の研究者に大きなプレゼントを提供したと言える仕事だが、この論文に感動して紹介したいと思ったならこのワクワク感を伝えるのが科学者の務めだと思う。私はこれを伝えるのは、結局感情以外何も伝えることのできないSNS上の短い言葉ではないと思う。
西川先生、いつも楽しみに拝見させていただいてます。必ず毎日記事を書くのはとても大変なことだと思います。
今回の論文ですが、もちろん画期的な素晴らしい技術だと思います。一点だけ、「標識できなかった細胞の遺伝子を変化させていない」とありますが、実際には(5’タグの場合でも)発現に変化がないことを確認しているだけで配列の変化は見ていません。むしろDiscussionで、NHEJによる配列変化は予想しており、それが実験結果に影響しないように十分に配慮するように著者自ら警告しています。
指摘ありがとうございます。原理的には当然ですが、本人も問題をdiscussionで指摘しているのは見落としました。その問題はあっても、使われるでしょうね。
そうでしょうね。それだけに問題点は認識しておく必要があると思います。
同感です。
著者@フロリダです。西川先生、私たちが論文で伝えたかったことをシャープにまとめてくださり、ありがとうございました。「ワクワクする論文」と言っていただき、とても励まされます!
「生きているとはどういうことか」という哲学的ともとれる問いから始まった西川先生の発生学の講義は、今も印象に残っています。
連絡ありがとうございます。この論文では、ポテンシャルと写真にワクワクしました。次の論文では、ストーリーで楽しましてください。