この私自身の理解が進化してきた過程を、顧問を勤めているJT生命誌研究館のホームページに「進化研究を覗く」(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)として書き綴っている。特に2015年10月15日に書いた「ゲノムの発生学I」以降は(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000020.html)生命誕生に関わる論文や自分の考えを紹介しているので、生命誕生に興味のある方は是非読んでほしい。
この「生命誕生を説明するのは難しくない」という確信をもとに、出張講義を頼まれている医学部学生への講義でもこの課題を取り上げ始めた。昨日皆さんのレポートが送られてきたので、どんな反応が得られたのか読むのが楽しみだ。
生命誕生研究分野には、例えば分子生物学といった中核は存在せず、物理学、有機化学、情報理論、地球学など広い分野にわたっている。これが、この分野を研究したいという気持ちが萎える一つの原因だが、ほとんどカオスの状態から生命が誕生したことを考えると、当然の話だ。今日はその裾野で生体分子の化学合成に取り組むミュンヘン大学からの論文を紹介したい。この研究では、生命誕生前にATP,DNA,RNAの原料となるアデノシンが一回の反応で合成できる条件を探っている。タイトルは「A high yielding, strictly regionselective prebiotic purine nucleoside formation pathway (高収量で部位選択的な生命誕生前のプリンヌクレオシド合成経路)」で、5月13日号のScienceに掲載された。
熱水噴出孔の発見は生命に必要な有機化合物合成についての考え方を大きく変化させ、炭酸ガス、水素、アンモニアなどから、アセトンやメタンといった単純な有機物が作られることはこの分野では自明の事実になっている(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。このため現在では、より複雑な有機化合物が合成される過程を、重要な分子について説明していくことが研究の焦点になっている。
例えば生命の情報とエネルギーに必須の分子、アデノシンは塩基と糖が結合したヌクレオシドにだが、生体では何段階にもわたる代謝経路に従って合成される。しかしこのような多段階の代謝経路は生命にしか存在せず、生命以前には単純な反応で合成しなければならない。これが可能かどうか研究が続いているが、もちろん研究人口は多くない。
塩基の中でもプリンはより構造が複雑で、これまでOrgelグループによりアデノシンを合成する一つの反応経路が示されていたが、実際合成してみると、生まれる産物は多様で、目的アデノシンの収率が極端に悪かった。
今日紹介する研究では、合成回路の理論的検討に基づき、シアン化アンモニウムから簡単に合成されるフォルミルアミノピリミジン(FaPy)を原料とすることでアデノシンの高収量の合成が可能ではないかと着想した (有機化学の専門家は経路を眺めているだけで頭の中で反応が進むようだが、悲しいかな素人にはこれを体験するのは難しい)。基本的にはFaPyから始めるという着想が全てで、後は様々な条件で(熱したり、結晶化させたり、pHを変えたり)反応させてアデノシンの収率を調べている。
結論としては、FaPyからスタートすることで、生体のように他段階の反応経路を通らなくとも、一回の反応でアデニンを少なくとも20%以上の収量で合成できることを示している。しかも、利用した材料や条件は当時の地球に存在したと十分考えられる条件だ。これをリン酸化するのはそう難しくない。これで生命誕生以前の地球にとって、ATPも核酸も現実に近づいた。
生命誕生研究の裾野は広いが、それぞれの裾野での研究は着実に進歩している。まだまだ研究人口は少ないが、これから野心的な若者の参加が期待できるように思える。この分なら、生きているうちに、生命合成の瞬間に出会えるかもしれない。
最初の有機合成例は、アンモニアの合成から始まりました。いまでは有機合成化学は体系化され、どのような複雑な有機化合物も時間とリソースをかければ可能になりましたが、核酸、アミノ酸、脂質の合成が自然界の中で達成されていった過程は極めて興味深いです。
頭の中で化学反応をイメージできる人からのコメントはありがたいです。