もちろん同じ実験をヒトで行うことは原理的には不可能ではない。また、複数の場所の神経細胞興奮を記録するために埋め込み電極を使うことは、てんかん発作の起源を見つける目的で行われることもある。しかし、海馬だけに電極を留置するといった実験は、倫理的に許されない。このため、モザー夫妻が発見した脳内GPS細胞の存在をヒトで確かめることは難しかった。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文はMRIを用いて脳内のGPS細胞の特定に挑戦した研究で6月10日号のScienceに掲載された。タイトルは「Prospective representation of navigational goals in the human hippocampus (ヒト海馬で移動の際のゴールを前もって予想する時に起こる活動)」だ。
この研究では脳の記録をMRIで行っているが、問題はMRI検査では実際に被験者が動くことができないこと、また埋め込み電極と比べると、MRIで細胞の興奮を記録するときの空間・時間的分解能が足りないことだ。
最初の問題は、決められた環状のコースを移り変わる景色を見ながら歩いた気になるバーチャルリアリティーを用いて解決している。実際には、コースに5箇所のゴールが設定されており、1日目に様々な場所からスタートしてゴールに向かうトライアルを行い、ゴールを記憶する(ゴールに到達すると印が出るようになっている)。次の日MRI測定を行いながら、スタート地点と行くべきゴールを示され、その道順を考えている時、当然コースにある5つのゴールの場所を思い浮かべながら、指示されたゴールへの道順を決める。その時ネズミと同じなら道順に合わせて当然異なるGPS細胞が興奮するはずだ。
ただMRIで測定しているのは神経細胞興奮ではなく、それを反映すると考えられる血液の動きなのでどこまでこれが可能かが2番目の問題だ。残念ながら私には分解能の良い3テスラーMRIを使っていること、また特定の脳領域に焦点を絞って測定結果の多変数解析を行っている以外、最終的にどうデータを処理したかは理解できていない。結局、示される結果を信じるだけだ。棒グラフで示された結果を見ると、神経細胞興奮を直接測る方法と比べると、場所による差も小さく、分解度は悪いが、確かに道順の選択や途中で通る地点に対応する特定の海馬の反応パターンを引き出すことに成功しているのは理解できる。さらに脳内の結合を調べる方法で、またこの海馬の場所細胞興奮が大脳皮質とのネットワークで支えられていることも示されている。なんとか、人間もネズミと同じかなと思うことができた。
モデル動物は人間の代わりとして利用されることが普通だが、モデル動物で得られた結果を人間で確認することがこれほど大変かがよくわかるとともに、それでも様々な困難を乗り越え人間との比較を進める研究者の執念を感じることができた論文だった。