今日紹介するハーバード大学を中心に41の研究機関が共同で発表した論文は12000年から1400年までの狩猟採集民から農耕民までのゲノム解析を行った研究でNatureに掲載予定だ。タイトルは「Genomic insight into the origin of farming in the ancient Near East(ゲノム解析から考える古代の近東の農耕の起源)」だ。 この研究ではDNAの回収率の高い内耳の錐体骨に絞ってDNAを回収し、調べたい120万のSNPに対応する遺伝子部分を、溶液中でハイブリダイゼーションで集める方法を採用している。これにより、全ゲノムレベルのSNPのデータを読むことができた45体のDNAを、現在の農耕民約1000人のデータと比べている。
この研究で問われた問題を一言であらわすと、「農耕は人が動いて広まったのか、あるいは考えが広まって各地で採用されたのか?」と言える。
研究ではまず旧石器時代後期アフリカから移動してユーラシアに到達した現在のユーラシア民族のルーツを代表するUst’-Ishimを基準に45体のDNAを比較し、これが近東の農耕民族に近いことを示している。
次に様々な地域で起こった狩猟から農耕への移行期のゲノムを調べると、それぞれの地域での狩猟民族のゲノムを強く反映している。また、イスラエル、イランなどの農耕民族は、3−4種類の民族が交雑して成立していることも分かった。このことから、農耕民族に狩猟民族が駆逐されたのではないことがわかる。
いずれにせよデータは膨大で、この結果から今回検討した狩猟、農耕民族それぞれのゲノム相関図が最後に示されており、自分の仮説がないと、この相関図の数字を見ていても、本当はピンとこない。 結局大きなデータベースが作られたことが重要で、今後考古学者が様々な遺物の調査研究から導き出した仮説を検証するときの大きな助けになることは間違いない。
詳細を省いて結論だけをまとめると、農耕は、それを開発した民族が他の民族を駆逐して広がったのではなく、まず農耕の可能性というアイデアが、人(ゲノム)の移動より速い速度で広がったことになる。
1万年前だともう既に言語は存在していただろう。先史時代の歴史がどんどん具体的な面白い話になってきた。