そんな人のために是非紹介したいと今日取り上げるスウェーデン・ウプサラ大学からの論文は、大人になっても続くクモ嫌いは治るかを科学的に調べた研究で10月10日号のCurrent Biologyに掲載予定だ。タイトルは「Disrupting reconsolidation attenuates long-term fear memory in the human amygdala and facilitates approach behaviour (記憶の再構成過程を遮断することで扁桃体に由来する長期間続く恐怖の記憶を弱め接近行動を促進する)」だ。
心的外傷後ストレスをはじめ、私たちがトラウマと呼んでいる多くの恐怖経験に基づく心的障害の治療法開発を目指して、様々な実験や、試行錯誤が続いている。これらの研究から、恐怖記憶は扁桃体の興奮と連合していること、また記憶から恐怖への回路は新たな経験に出会って想起されるたびに不安定になり、構成し直す必要があるという弱点を持っていることがわかっていた。
そこでこの恐怖記憶が不安定になる時を狙って治療する方法が開発されている。この方法では、恐怖記憶をまず誘発して記憶を不安定にして、時間をおかず同じ体験を繰り返させることで、恐怖心を取り除く治療だ。
この研究では、写真でクモを見せられるだけで恐怖心を感じるという、生粋のクモ嫌いを慎重に選び、このクモ嫌いを上記の戦略で治療した時、扁桃体の興奮の低下という客観的改善につながるかMRIを用いて調べている。
研究ではまず2種類のクモが映った写真をランダムに見せて恐怖反応を誘導する。その後被験者を2グループに分け、1グループは10分後から、他のグループは6時間後から、最初見せたうちの1つのクモの写真を連続して見せる治療セッションを行って、恐怖記憶が再構成されるのを阻害している。この記憶の誘発から治療セッションまでの10分と6時間の違いは、恐怖記憶が再構成されたかどうかの違いで、10分では記憶と恐怖の回路が完全に固まりきっていないが、6時間あれば十分再構成されていると考えている。
さて、治療セッションの次の日、4種類のクモの写真を様々な組み合わせで被験者に見せて恐怖記憶を呼び起こし、治療効果を扁桃体が興奮するかどうかMRIで調べて確かめている。結果は明白で、6時間経ってから治療セッションを受けたグループは、10分後に同じ治療セッションを受けたグループと比べ、扁桃体の興奮が高い。すなわち、恐怖記憶を呼び起こしてすぐ治療セッションを受けたグループは確かに恐怖反応が軽減している。
ここまでならなるほどと納得するだけだが、この結果をさらに確認するため最後に行っている「接近・回避心理試験」は圧巻だ。
このテストでは被験者に写真を見ませんかと尋ねる。恐怖記憶が除かれたとしても、わざわざクモの写真を見る物好きは多くない。しかし、3クローネ、5クローネと、写真を見るとお金がもらえるとなると話は別だ。それでも、恐怖記憶が残っていると、5クローネぐらいでわざわざ見る気にならない人も多い。
このテストで調べると、恐怖心が除かれたと考えられる10分後に治療セッションを受けた人たちは、もらえるお金が多いとほとんど写真を見るという選択を行う。6時間後に治療セッションを受けたグループは本当は見たくないはずだが、お金の額が上がると、お金に惹かれて見る人が出てくる。私だって、害がないと思えばお金を選ぶだろう。
面白いのはこの時の脳の反応だ。このお金のために写真を見ようと決意したタイミングで扁桃体の興奮を調べると、10分後に治療セッションを受けたグループは、お金につられてクモの写真を見ている時も扁桃体の興奮は低い。一方、6時間後に治療セッションを受け、恐怖記憶が除かれていないグループでは、お金につられて写真を見ると扁桃体が興奮する。すなわち、恐怖心を持ったまま、葛藤の末お金を選んでいることがわかる。
心理学と脳のイメージングを組み合わせた面白い実験で、このような研究はいつ読んでも楽しい。しかし、クモの実物を見た時でも同じ結果が得られるのか、あるいは他のトラウマでも同じ方法が利用できるのか、結果に完全に納得したわけではない。
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