今週号のScienceと、オンライン版のScience expressにヨーロッパの石器時代の狩猟民と農耕民との関係を調べた論文が2報出ていた。
今週号の方は Ancient DNA Reveals Key Stages in the Formation of Central European Mitochondrial Genetic Diversity (古代DNAによって中央ヨーロッパのミトコンドリアゲノム多様性形成に関わる重要な段階が明らかになった)で, ザクセンーアンハルト州先史時代博物館が中心の論文だ。掲載を待つオンライン版は2000years of Parallel Societies in Stone Age Central Europe (2000年にわたって石器時代中央ヨーロッパでは異なる社会が併存していた)で、ドイツグーテンベルグ大学が中心の論文だ。
先ず地方の博物館からトップジャーナルに掲載される仕事が行われているのに感心した。調べてはいないが、日本ではどうだろう。特にドイツはネアンデルタール人のための研究所があるぐらいで、人類学に力を入れている。国の歴史を知る意味で、科学的人類学は最も重要な分野だ。
最初の論文では、ザクセンーアンハルト州で様々な時代の人骨を採取し、そのミトコンドリア遺伝子を調べ、その結果を同じ場所で発掘される陶器型のヨーロッパでの分布と比較して中央ヨーロッパの住人がどのように多様化してきたのか、またこの過程に何が重要であったかを調べている。面白いのは、最初農耕の始まりと共に、この地域からいったん狩猟民が消えることだ(6000年から4000年)。ただ、この間も東の民族との交流は盛んだったようだ。その後、北に移った狩猟民のうちの農耕民族化したグループとの交流が始まる(別に農耕化している必要はないかもしれない)。これが3000年ぐらい前までで、これにより、駆逐された狩猟民の遺伝子が中央ヨーロッパに戻ってくる。その後後期新石器時代になると、前ヨーロッパ規模の交流が始まり、更に多様化するという結果だ。この研究で文化の交流や広がりは陶器のタイプで代表させている。
もう一方の論文は少し違った角度から石器時代を調べている。この研究では、やはり中央ドイツに位置する、ブレッターヘーレと呼ばれる、死体を放り込むために使われていた穴から得られるDNAサンプルと、石器時代の人間の食物を、炭素、窒素、硫黄の同位元素を計る事で狩猟民か農耕民かを区別して、農耕民が実際に狩猟民を駆逐したのかどうかを調べている。結論は、2000年にわたって両者が同じ場所で共存していたというものだ。仲良くかどうかはわからないが、しかし共存したという事実は重要だ。このような研究が進むと、人間の道徳や宗教といった高次感情の起源を科学的に解明できる可能性が生まれる。実際2番目の論文では、全ゲノムが可能であったサンプルも報告している。言語も含めて人間とは何かを知るための研究が進む予感がする。しかし、いずれも5000年以上前ぐらいの遺伝子を解析する新しい技術がなければかなわなかった仕事だ。今大きく発展しようとしているこの分野の日本の研究レベルはどうだろう。少し心配だ。
10月15日 考古学におけるDNAの威力(オリジナル)
2013年10月15日