私自身が女児割礼について初めて知ったのは、大学6年の夏休み、刀根山病院で学生研修を受けたときで、ケニアの医療機関で指導された経験のある山村医師からこの風習を習った。この研究が対象にしているスーダンでもこの風習は現在も続いており、しかも外国に暮らすスーダン人の中でもこの風習を守る人たちがいる。すなわち風習と片付けられない、長い歴史で形成された文化になっている。
とはいえ、不衛生な環境で行われる割礼により多くの女児が死亡したり、感染に苦しむ現状は明らかなので、女児を守る意味では即刻やめるべき文化と言える。事実様々な機関が教育により、割礼をやめさせようと努力してきた。ただ、頭ごなしにその危険性を説く多くの試みは、現地の人たちに先進国の文化を強要するための活動に見え、新しい方法論の開発が必要とされていた。
この論文の著者らは、既に一般住民の中に女子割礼に反対する意見が生まれていることに着目し、多様な意見に住民が気づくことで、変えることができない文化として無意識のうちに従ってきたこの風習を自分の子供には受けささないという選択ができないか調べた研究だ。
女児割礼が続く背景には、それぞれの個人が持っている価値観、そして自分の子供が結婚できるかの2大要因が存在する。しかし、個人的価値観は純潔や文化を守るという立場だけではなくなり、衛生上の安全性を価値観として押し出す人たちも増えてきている。一方、子供が結婚できるかについては、自分の息子は割礼された女性を本当に喜んで迎えるか、疑念を持つ人たちも生まれてきている。
研究では住民の中にこの価値観の違いが生まれていることを、3本の娯楽映画で表現して、これを住民に見てもらった後、意見が変わったかどうかを調べている。3本の映画は、価値観の多様性、結婚可能性に関する考えの多様性、そして両方の要因についての意見の多様性をテーマとしている。それぞれの映画は90分の娯楽映画に仕立てられており、子供の割礼をめぐって夫婦が様々な議論を繰り返した後、自分たちの父親に止めたいという気持ちを伝え、父親もそれを許すという筋立てになっている。
それぞれの映画を見せた後、すぐに聞き取り調査で割礼に対する意見を聞くと、それまで割礼賛成の住民の多くが、反対に回るという結果を得ている。ただ、この場合どの映画を見ても同じ結果で、それぞれの映画の効果に差はない。
ところが、映画を見た後数週間後に意見を聞くと、価値観と結婚観の両方が扱われた映画を見た住民では割礼反対の意見が維持されていたのにもかかわらず、価値観、結婚観をそれぞれ別々に扱った映画の効果は大きく低下していた。
面白いのは家から離れることの多い遊牧民では、割礼を維持する考えを変えることは難しいようだ。
とはいえ、この結果から、できるだけ多くの要素について、住民の中で多様な意見があることを認識すること、また夫婦や家族の中で問題をタブー視せず話し合うことができることを認識すること、この2点について、決して上から目線の啓蒙映画ではなく、娯楽映画仕立てで見てもらうことで、住民の意識が変わることを示している。
繰り返すが、Natureがこのような取り組みを掲載するのは21世紀に入って大きな変化が進んできていることを示している。
もちろん、割礼については納得の論文だが、皮肉な見方をすると、洗脳技術を高めれば文化でさえも変わると読める論文でもあった。