要するに「免疫システムは複雑すぎるため、何を言っても問題にならない」と考えているのだろう。実際には、例えば今話題の抗PD-1抗体はガンの免疫力を高めると同時に、自己免疫という副作用も高めてしまう。自己免疫やアレルギーは厄介な免疫反応だが、病原体やガンに対する免疫反応は私たちを守ってくれる。このように、常に2面性を持つ免疫システムを免疫力という一言で語ってしまう著者や、企業に強い違和感を抱くのは私だけでないだろう。
このような風潮の背景にある構造をわからせてくれるデューク大学からの論文が、こともあろうに11月25日号のScienceに掲載された。タイトルは「Social status alters immune regulation and response to infection in macaques (アカゲザルの社会的地位は感染症に対する免疫調節と反応を変化させる)」だ。すでにお分かりのように、この論文に対して私は極めて批判的だ。
この論文は我々人間社会で社会的地位と健康が相関しているという社会問題から始まっている。すなわち、「社会的地位に応じて健康が増進する」理由の解明を目的に据えている。
しかし次の瞬間、この問題の生物学的側面を研究するにはアカゲザルの序列と免疫系が適していると、ほとんど論理にもならない論理で研究が正当化されている。しかし、人間の社会的地位ほど複雑なものはない。例えば清貧に甘んじ世の中を楽しむ達観できる人間はいても達観するサルはいないだろう。
この飛躍には目をつぶるとして、研究を見てみよう。このグループの所属は進化人類学で、サルの序列についての実験はさすがにプロだと感心する。45匹の猿を9グループに分け、それぞれのグループで序列ができた後、それぞれ1位同士、2位同士とグループをシャッフルして、さらに新しい序列が生まれるのをトータル2年もかけて確認している。
では、こうして生まれた序列と、免疫力(?)は相関するのか?確かに、ランクが上がるとT細胞や、NK細胞の数は上がるようだ。なら、ワクチンに対する反応や、アレルギーなど「いわゆる免疫反応」を調べるのかと思いきや、CD4、CD8、CD3、CD20、CD26などの表面抗原を組み合わせて細胞を分別し、各ポピュレーションが発現している遺伝子を調べ、その遺伝子の中からサルの序列と相関の強い遺伝子に注目してその後の研究を行っている。
例えば序列と相関する遺伝子の数がNK細胞で最も多いので、NK細胞は序列の指標になるという具合だ。しかし、最初から統計学的に相関のある遺伝子のみ抜き出した時点で、その後の解析に大きなバイアスをかけている。
さらに、サルの感染に対する免疫力(?)を調べると称して試験管内でバクテリアの成分LPSによるTLR4刺激反応を調べている。しかしここでも、細胞の反応自体ではなく、細胞が発現している遺伝子を調べ、序列と相関する遺伝子を選んで調べている。
この結果から、序列が低いとMyd88シグナル、序列が高くなるとTRIF シグナルを使うと結論しているが(分子の名前は気にせずに読み飛ばしてほしい。要するに違う刺激伝達系がLPSにより活性化される)、実際のデータから見ても強引すぎる。おそらく、統計処理での小さな差を上手く使いすぎて、データを見たときの直感と離れても気にしないのだろう。
サルの序列を免疫反応と相関させるアイデアは全く悪くない。野生社会ほど、健康は序列の第一条件だ。しかし、免疫反応を調べるなら、まず実際の抗体産生やT細胞反応の測定から始めるべきだろう。各ポピュレーションの遺伝子発現という複雑性をさらに導入して直感から現象を切り離し、後は数理でなんとか結論を出すなど、スマートな人間が考えそうだが、私には受け入れられない。著者らは、CD4T細胞にはヘルパーも、抑制T細胞もあることを知らないのだろうか。方法が根本的に間違っている。
これと同じ論理が、我が国の「免疫力」という言葉に潜んでいると感じる。
ビッグデータ時代「複雑なものをさらに複雑にすれば、どんな結論でも可能」という論理を打ち砕ける理論武装が必要なことを実感した。