しかし世界中の博物館に数多く秘蔵されているミイラのゲノム解析は、書かれた記録の不足や不備を補うことができる唯一の手がかりだ。今日紹介するドイツチュービンゲン大学からの論文は、チュービンゲン大学とベルリンの先史博物館に集められている、Abusir-el Meleqから出土したミイラの軟部組織、骨、歯から回収したDNAを解析し、現存するミイラからどの程度の情報が集められるのか調べた論文でNature Communication(DOI: 10.1038/ncomms15694)に掲載された。タイトルは「Ancient Egyptian mummy genomes suggest an increase of sub-saharan African ancestry in post Roman periods(古代エジプトのミイラゲノムはサハラ以南の民族の遺伝子がローマ時代以後増加していることを示唆する)」だ。
この研究で調べられたミイラは150体以上に及ぶが、全てAbsur-el Meleqから出土したもので、時代的にはツタンカーメン時代と同じ新王国時代からローマ時代に及んでいる。通常ミイラは裕福な階層に限られていたが、後期になるとミイラ作成自体が安価になったため、このコレクションには一般市民のミイラも混じっているのが考古学的には重要な点だ。
まずこれまでのミイラDNA研究の信頼性を確かめる意味で、軟部組織と骨のDNAを比べ、DNAの変性が軟部組織では骨や歯由来のDNAの2倍にも達するため、全ゲノムレベルの解析にはミイラといえども、骨や歯を用いないと信頼するデータが得られないことを示している。このことは、ツタンカーメンの親族についての研究も、もう一度硬組織を用いてやり直したほうがいいことが示唆された。
高温多湿に加えて化学処理という三重苦にさらされてきたミイラDNAでもミトコンドリアのような小さなDNAについては信頼出来る配列が得られるようで、なんと90体のミトコンドリアDNAの全配列が解読されている。この結果、プトレマイオス以前、以後、ローマ時代とほぼ1300年にわたって一つの民族が維持されていたこと、現代エジプト人より中近東の民族に近いこと、そしてローマ時代以降はサハラ以南の遺伝子流入があることも分かった。この結果は、後に述べるY染色体の解析からも明らかになっている。
多数のミトコンドリアゲノム解析が進んだおかげで、当時の人口動態も推察することができ、最初48000人程度の集団が、1300年の間に31万人に増加することが明らかになった。この結果は、プトレマイオス朝時代に埋葬場所から近い都市ファイユーの人口が9万人程度だったとする記録とも合致する。
硬組織のDNAの変性は軟部組織に比して少ないことはわかったが、それでも信頼をおける解析ができたのは3体に止まっている。もちろん解読は情報学なので、さらに解析を進めて多くの遺体のゲノム情報が得られることが期待されるが、この研究では信頼性の面から3体のデータに限って解析している。これまで得られるデータとの比較から、3体のゲノム解析からも、古代エジプト人は、イスラエルを中心にそれを取り巻くレバントと呼ばれる地域の民族に近いことが確認された。
最後に、肌の色は現エジプト人と比べて白く、黒い目の、農耕民族の特徴を持つゲノムであることを示している。
まとめると、この研究はエジプトミイラの信頼おける最初のゲノム解析で、ミトコンドリアからも、Y染色体からも当時のエジプト人が新石器時代、レバントに住んでいた民族の子孫で、ローマ支配が終わった頃から、この民族を土台にナイル川を経由して移動してきたアフリカ人の遺伝子が流入することで現代のエジプト人が形成されたことがよくわかった。
ミイラは、エジプト文化だけでなく、ギリシャローマ時代を読み解くための鍵になる。今中東は大混乱の様相を見せているが、このようなゲノム解析からわかる中東の人たちの共通性の発見が、違いを乗り越えた安定した中東形成に役立つことを期待したい。