同じ問題は、顔認識にも言えるようだ。すなわち、様々な顔を認識できるのは、私たちが本能として顔を見るように生まれついているからと考えることもできるし、コンピュータのディープラーニングのように、学習しているうちに顔というカテゴリーを脳内に成立させるとも考えることができる。しかしこの2つの説をどう区別すればいいのだろう?
今日紹介するハーバード大学からの論文は、サルが顔というものを見ないで育ったらどうなるかを手の込んだ実験で調べた研究で、Nature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Seeing faces is necessary for face-domain formation(顔を見ることが顔認識領域の形成に必要)」だ。
手の込んだ実験といったのは、生まれたばかりのサルをすぐ親から隔離し、人間の手で育てている。その時、世話をしたり、実験をする人間はつねに顔を溶接の時に使うマスクを着用し、決して表情を見せない。もちろん他のサルとも出会うことがない環境で1年近く育てる。この時親代わりに人形が必要だが、これにも顔がない。ようするに「のっぺらぼう」の家族に育てられたらサルはどうなるのかを調べている。
論文を読んでみると、このような実験は以前にも行われており、例えばプリンストン大学の杉田さんという研究者が2008年に、顔を見ることなく成長したサルが最初に見た顔(実験ではサルか人間の顔を見せている)以外の顔の認識がうまくできないことを示している。
この研究の重要性は、行動解析に加えて、MRIによる脳の反応を調べた点で、これにより顔に反応する脳領域が形成されているかどうか分かる。
詳細を省いて結論を急ぐと、顔を見ないで育ったサルは、顔に反応する下部側頭葉内の領域が全く形成されない。しかし、手や体に反応する領域は正常に形成される。また、網膜の空間地図がそのまま投射された脳領域も正常だ。そしてこの結果、顔を見ないで育ったサルに人間の写真やビデオを見せても、顔を見ることはなく、視線は体の他の部分に集中する。しかし、例えばハンマーを見せたときの視線の集中は、他のサルと変わることはない。
これらの結果から、網膜の空間地図の投射領域は発生過程で形成されるが、この領域の刺激が顔というカテゴリーとして認識するためには、顔を見て育つ必要があり、またこの結果は脳内の顔反応性の活動領域として維持されることが分かる。著者らの結論は、顔を認識するためにはまず顔を繰り返し見ることが重要な点を強調している。しかし、刺激を受け取るための網膜の空間図が投射された領域の形成は発生学的にまず形成されることを考えると、もちろん学習をするための脳構造は前もって形成する必要があることも間違いない。