「日本では、みんな横並び、単線型の教育ばかりを行ってきました。小学校6年、中学校3年、高校3年の後、理系学生の半分以上が、工学部の研究室に入る。こればかりを繰り返してきたのです。しかし、そうしたモノカルチャー型の高等教育では、斬新な発想は生まれません。」、そして続けて 「だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。(Rather than deepening academic research that is highly theoretical, we will conduct more practical vocational education that better anticipates the needs of society. I intend to incorporate that kind of new framework into higher education.)」と述べている。まともな科学者なら、これを読んだらこの国の科学はおしまいだと思うだろう。もちろん原稿は、優秀な内閣府の官僚が書いたのだと思う。知識をひけらかす才気紛々とした原稿だ。しかし「Rather than deepening academic research that is highly theoretical(極めて理論的な学術研究を深めるのではなく)」といったフレーズを平気で使える官僚が日本の高等教育政策を担っているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。
実際今年3月、Natureは日本の科学力が14分野中11分野で大きく低下していることを指摘した。この主な原因をNatureは政府の研究投資の停滞のせいにしていたが、平気でこのようなフレーズを首相の演説に盛り込む、科学について無知な官僚が科学政策を担っていることも大きな問題だと思う。
こんなことを考えながら、新しく発行されたNatureを眺めていたら、Abbottさんの記事「Germany’s secret to scientific excellence(ドイツの卓越性の秘密)」という記事が目に止まった。
この記事で3つのグラフが示されている。最初は、科学技術への投資だが、着実に増加しているものの、ドイツは我が国より低い(民間も合わせた統計)。しかし、論文の引用レベルを示す指標でドイツは米国と肩を並べるまでになって、科学研究の着実な進歩を示している。ところが最後に示された特許取得数の統計は、ドイツが日本の半分にも満たないことを示している。すなわち、ドイツ政府はOECDでの安倍演説の逆、「すぐ役立つ職業教育ではなく、理論的学術研究を深める」方針を科学技術政策の根幹にしている。
記事の中心は、「広く深く教育を進め、政治宗教から自由でなければならない」というフンボルトの思想をドイツ教育のDNAと捉え、将来展望に立って安定的に科学技術を推進するためメルケル政権が行った2つの政策についてだ。一つは大学改革で、これまで州政府の予算で運営されてきた大学に、連邦政府も「卓越クラスター」として直接予算を導入し大学の学術研究を促進する政策、そしてもう一つは大学やマックスプランクやヘルムホルツなどの研究機関を競わせるだけではなく、垣根を払った共同研究を促進するために行った政策だ。
この結果、先に述べた学術研究が急速に進展しただけでなく、もう一つ我が国の大学の凋落を印象付けたタイムズ高等教育トップ200に、なんと22大学がランクイン(2005年には9校だけ)している。この結果ドイツの大学の魅力は増して、今や外国人教員数は全体教員数の12.9%に達している。
他にも参考になることの多い記事だが、この成功が全てドイツ政府の政策の結果であることがこの記事の要点だ。そして、「ドイツの研究者になぜドイツの学術が花開いているのかと質問すると、誰もがメルケル首相のおかげだと答える」と述べている。 これは記者の誇張だというかもしれない。しかしこのことを私自身は実感として感じている。現役最後の2012年、ベルリンにあるマックス・デルブリュックセンターで行われた幹細胞のシンポジウムのオーガナイザーの一人として手伝ったことがある。この時、メルケル首相が若い研究者と公開討論会を行うので、シンポジウムを一時中断して、そちらに参加することになった。そこで、メルケル首相一人と、あとはセンターの若い研究者三人(だったと思う)が科学者の前で討論をしていた。内容はドイツ語のせいもあって全く覚えていないが、我が国で行われる研究所見学名目の大名行列の様子と比べ、首相が施設の説明より、研究者の生の声を聞きに研究センターに来ているのを見て感銘した。
つまるところ、大学の凋落を招いている我が国の問題は、「生の声」と「データ」に基づかず、ウケを狙う思いつきを政策にしてしまう、内閣府に集まる少し頭のいい官僚の問題ではないかと私は思っている。
最近、日本で、国立の機関・施設で、すぐに役立たないような文系の教育・研究をする必要がない、という乱暴な議論がありましたが、同根の思想ですね。