17世紀、デカルトから始まる理性と普遍の科学は、人間を機械として扱わざるをえなかったが、これに反し真の人間学は先験的理性ではなく、センスス・コムニス(共通の感覚)から始めるべきだと主張したのがイタリアのジャンバティスタ・ヴィーコだ。しかしヴィーコの「新しい学」を踏襲しなくても、科学は18世紀の有機体論、19世紀の進化論、20世紀の情報理論を生み出し、21世紀には新しい人間学の世紀になると私は期待している。Nature Human Behaviourはこの機運をリードする雑誌に発展して欲しいと期待する。
前置きが長くなったが、今日紹介する米国ピッツバーグのカーネギーメロン大学からの論文は自殺願望を正確に診断する方法を開発する研究で、臨床精神医学、脳イメージング、機械学習と、様々な分野が集まったこの雑誌にふさわしい話だと思う。タイトルは「Machine learning of neural representations of suicide and emotion concepts identifies suicidal youth(自殺や感情的概念の脳内表象を機械学習させることで自殺願望のある若者を特定できる)」だ。
研究では、自殺観念を持っている人と、そうでないコントロール17人づつを対象に、「無気力」「死」「絶望」といった自殺に関わりの深い言葉10種類、「喜び」「気楽な」「安らぎ」といったポジティブな気分に関わる言葉10種類、そして「退屈」「非難」「残酷」といったネガティブな気分に関わる言葉10種類を聞かせた時に活性化される脳領域を機能的MRI(fMRI)を用いて調べ、それぞれの言葉についての脳の反応パターンをベイズ法をベースにした機械学習でコンピュータに学習させ、自殺観念を持つ人と、正常人を区別することができるか調べている。
私は精神医学の臨床には関わったことがないので、想像するだけだが、おそらく今回使われたような言葉に対する印象を調べ、うつの状態や、自殺願望を調べることは行われていたはずだ。ただ、これまでのテストは自己申告をもとにスコア化するしか反応を評価できなかった。これに対し、この研究ではfMRIを用いて、それぞれの言葉に対する反応を調べたことで、客観的な評価が可能になる。すなわち、主観的感覚を客観的指標に移すことで、個人の主観的傾向を科学することができる。
詳しい結果は省くが、「死」「残酷」「トラブル」「気楽」「グッド」「称賛」と言った言葉に対しての反応は、自殺観念のあるなしで大きく異なる。もちろん最も違いが見られるのが「死」に対する反応だ。このように強い変化を引き起こした6種類の単語に対する脳の6領域の反応を計算して個人の反応をスコア化し、2次元に展開すると、1例を除いて自殺観念を持つグループを、正常から完全に分離することができる。感情に関わる「怒り」「悲しさ」「恥ずかしさ」「誇らしさ」に対する反応を抜き出して使うこともできるが、基本的にはこれらの言葉が、「死」や「トラブル」などすでに指標として有効性が証明された言葉と相関しているからと考えられる。
また「死」「生気がない」「気楽」などの言葉に対する、特定の脳領域の反応を使指標にすると、自殺を実際に企てた人と、観念はあっても実行したことのない人を区別できることも分かった。最後に、最初の機械学習には使っていない21人の自殺観念を持つ人たちを、今回開発できた指標で分類すると、87%の確率で診断がつくことを確認している。
以上が主な結果で、今後それぞれの言葉に対する反応の関係など詳しく見ることで、自殺観念を早期診断するための有効な検査法が開発されるだけでなく、人間の精神の多様性の研究に寄与するのではと期待できる。また、言葉に対するfMRIでの反応は、自殺願望だけでなく精神疾患にも利用価値があるように思える。さらに、fMRIだけでなく、例えば脳波などでも同じことが確認できると、さらに用途は広がるだろう。 このように外から計り知れない人間の内面を浮き上がらせる方法は、人間基礎科学の手法としても役に立ちそうだ。今後に期待したい。
宗教的素地や言語の成り立ち・背景の違いから、例えば[death]と日本語の「死」を同義として議論できない面があると思う。文化を異にする場所でのデータ解釈に、もう一つの壁があるのではないか。
自殺者数の多さは異常に思います。かねてから、それを防ぐことをできないかを考えておりました。こういった研究が発展することに期待します。