さて、The New England Journal of Medicineと言うと、The Lancetと共に臨床家や臨床研究者が一度は論文を載せてみたいと思う最もプレステージの高い雑誌だ。私は全くその機会がなかったが、現役時代再生医学の実現化プロジェクトを率いることになった時、メンバーとして選ばれた皆さんにこのプロジェクトではNatureやCellの論文より、The New England Journal of Medicine (NEJM)やThe Lancetに臨床結果についての論文を掲載してほしいとお願いしたのを覚えている。
この格式が高い NEJMでも短いコレスポンデンス論文なら息抜きになる内容を掲載してくれるのだという例が、今週号にオランダ・アムステルダム大学、ドイツ・オルデンブルグ大学、そして英国・ケンブリッジ大学のチームから発表された。タイトルは「The success of sinister right handers in baseball(右投げ左打ちが大リーグで最も成功する)」だ。なぜNEJMが大リーグでの成功率を掲載し、またなぜヨーロッパの大学チームがこの研究を行ったのかは不思議だが、右投げ左打ちのイチロー選手を輩出した日本人としてはなるほどという論文だ。
研究は単純で1871年から2016年までに大リーグでプレーした野手9230人の選手を右投げ右打ち(63%)、右投げ左打ち(11%)、左投げ左打ち(16%)、右投げ両打(5.5%)、左投げ右打ち(3.2%)、左投げ両打(1.%)に分類し、ピッチャーを除いた後、3割打者になった確率、野球殿堂入りを果たす確率を調べている。
どちらの調査項目でも達成可能性のオッズ比が最も高いのがイチローの右投げ左打ちで、3割達成率がオッズ比で18.43で、右投げ右打ちの0.14、左投げ左打ち3.67と比べても群を抜いている。左打者は当然有利と考えられるが、それでも18.43はすごい。さらに野球殿堂入りの確率から見ても、右投げのスウィッチヒッターと比べてもオッズ比が倍になっており成功率が高い。要するに、右投げの選手が左打ちに転向することで野手としての成功率が上がるという結果だ。
話はこれだけで、これが科学かと疑問を感じる人も多いだろう。例えば英国の雑誌The Lancetなら掲載しただろうか。メカニズム解析という点ではほとんど何もわからないが、しかしデータを見ると現象としては面白い。すなわち、普通の人(右投げ)が、もう一方の脳を使う訓練をすると効果が上がることは、プロの運動を支える脳のキャパシティーを考える上では面白い。また、逆に左投げの野手が左打ちなるよう訓練した場合、成功率が極端に低いという結果はさらに面白い。まちがいなく、科学の芽があることは間違いない。
イチローの場合、お父さんが最初から左打ちを指導したらしいが、なぜ左打ちに改造しようという動機や、いつそれを始めたのか、その時の指導者の判断など、他の要因についての情報が得られないと、このまま結果を鵜呑みにするわけにはいかない。この辺は、ヨーロッパの学者にはわかるまいと思ってしまうが、なぜ彼らが野球に興味を持ったのか、それが私には一番不思議だ。
おもしろい論文紹介をありがとうございます。脳をまんべんなく使う、という説が興味深いと思いましたが、疑問も持ちました。ここでは右投げと左打ちのときに使う脳がちがう、としています。左で打つ場合、右手も左手も使いますし、体全体も使います。そのときに右投げの脳と反対の脳を使っているのでしょうか?バッティングでは引く方の手(右手)が重要とも考えられます(右打ちはその逆)。何らかの科学があるのは同意しますが「使う脳がちがう」かどうかは検討が必要と思いました。
最近ワーキングメモリーのキャパシティーについて考えていて、ついつい書いてしまいました。おっしゃる通りです。