今日紹介するスミソニアン研究所とジョージワシントン大学からの論文は、おそらくサピエンスが使ったと思われる石器の進歩についての研究で、Scienceにオンライン出版された。タイトルは「Long distance stone transport and pigment use in the earliest middle stone age (最も早期の中石器時代では石器の原料を長距離運搬し、彩色のための色素も利用していた)」だ。
この研究はケニア南部のアフリカ地溝帯内のOlorgesailieで行われた発掘の一種のまとめとして発表されて3編の論文のうちの一つで、残りの2編はサピエンスの石器だけではなく、Ologesailieの発掘現場が100万年近く人類に使われてきたが、60万年以上前に暮らしていた人類と、30万年以降に暮らしていた人類(この場合サピエンス)が明確に異なっていることを、地質学的、古生物学的地層研究、そして出土する石器の分析から示している。
私のブログの読者のほとんどは、石器について予備知識がないと思うので、今日はざっとした石器の歴史を図示してみる。もちろん私も素人だが、図に示したShea著「Stone tools in human evolution」を読んで、いかに石器研究が科学的で、奥が深いかを学ぶことができた(石器については生命誌研究館のサイトにもまとめているので(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)それも参照してほしい)。
図左はこの本を下敷きに示した石器の発達をまとめている。この図は、ネアンデルタール人も含んだ分類で、アウストラロピテクス、直立原人、ネアンデルタール人、ホモサピエンスと人類が進化したとする考えに従って描かれている。この人類進化に連れて、石器も大きく変化するが、まず最初の大きな変革は2足歩行で暮らすようになった直立原人が誕生してからで、彼らの使った石器の特徴からAcheulean石器と名付けられている。
Ologesailieの60万年前以上の地層から出土する石器はまさにこのAcheulean石器に相当する。図に示すように、ネアンデルタール人が現れると新しいタイプの石器が見られるようになりこれをMousterian文化と呼んでいるが、サハラ以南のアフリカにはネアンデルタールは暮らしていない。従って、同じサイトから30万年以降に見られる石器はAcheuleanの延長と考えられてきたが、サピエンスが30万年以上前にアフリカ全土で活躍していたことから、サピエンスによると考えられるようになった。ただ、この研究でも新しい地層からは人骨が出土せず、一種の推察になる。
今日紹介している論文では、この新しい石器が、Acheuleanの単純な延長とは考えられない、大きな技術上のイノベーションの結果であることを示している。まず、Acheuleanの特徴である大型の手斧は姿を消し、繊細で、何度も手を加えたLevallois様式(Mousterianの中に分類される)と呼ばれる鏃のような石器が存在してている。これは、デザイン力や技術伝達力に大きな変化が生まれたことを意味している。すなわちAcheuleanと言うより、ずっと進んだ中石器時代(middle stone ageと書かれているがmiddle paleolithicの意味と理解している)に分類できると結論している。
著者らが最も注目したのが、BOK2と呼ばれる現場から出土した石器の半分が黒曜石からできていた点だ。残りは、現地調達可能な石を原料としているが、黒曜石が得られる場所は50km以上離れている点だ。すなわち、黒曜石が石器として優れた性能を持つことを理解し、そのために遠く離れた場所から原料を調達してる点だ。
先に挙げたSheaの著書によると石器は決して家庭で各自が作るのではなく、一種の工房で行われていたことを考えると、工房がどこかを特定する必要がある。ただ狩猟採集民の移動距離として、あまりにも距離が長いので、おそらくより複雑な部族間交流があった可能性も示唆している。いずれにせよ、Ologesailieと黒曜石生産現場をつなぐ線状にさらに面白い発見があるかもしれない。
最後に、同じ場所から出土した小さな石の中に穴が掘ってあって、色素で彩色された石が見つかったことも示している。このような装飾道具はすべて、シンボルを使って抽象的思考が可能になったことを示す証拠と考えられ、直立原人ではなくサピエンスが新しくOlogesailieの住人であったことを示すと結論している。
今後もアフリカから目が離せない。また間違いなく、今日示した図の内容もさらに書き直されるだろう。