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5月8日 フィリピン原人の痕跡(Natureオンライン版掲載論文)

2018年5月8日
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私が中学生の頃は世界各地で別々に人類発生が起こったように錯覚していた。最も古い人類として習ったのは、現在で言うエレクトスの仲間で、ヨーロッパではハイデルベルグ原人、アジアではジャワ原人と北京原人がそれを代表していた。その後の研究で、実際にはエレクトスもアフリカで誕生し、得意の二本足歩行で世界へと拡大したことが常識になっている。

今日紹介するパリの自然史博物館からの論文は、なんと大陸から離れたフィリピン群島にも同じエレクトスと思われる原人が生息していたことを示唆する論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Earkiest known hominin activity in Phillipines by 709 thousand yrars ago (フィリピンで70.9万年前までに生息していた最も古い人類活動の痕跡)」だ。

これまでフィリピンで最も古い人類の痕跡は、約7万年前の骨だった。日本で発見された現生人類の骨は3.4万年前なので、それよりは古く、だいたいオーストラリアへのホモ・サピエンスの移動時期とオーバーラップしている。この研究では2013年から始められていたGagyan渓谷の発掘現場から発見された土器と数多くの動物の骨を分析して、当時に生きていた人類の影を探っている。発見地層の水晶についての年代測定から約70万年前で、ジャワ原人の生息時期に近い。

発見された石器は57個で、これらはあまり遠い距離を運ばれた形跡はなく、叩き出す技術も単純で、叩き出した後の石器にはそれ以上の細工の後がないことから、ホモ・エレクトスの制作による、いわゆるアシューリアン型と呼ばれるタイプであることがわかった。

残念ながら実際の原人の骨は出土していないが、石器があることは70万年前のフィリピンにエレクトスが存在していたことを強く示唆している。これ以外にも、加工されていないが人類が使っていたと思われる石が数多く見つかっている。

動物の骨は400個発見されたが、そのほとんどは一匹のフィリピンサイ由来で、全て関節が外され、3x2mの領域にバラバラに存在していたことから、空気中でバラバラにされた後、泥に埋まったと考えられる。重要なことは、骨に切れ目が入っていることで、石器で叩いて骨髄を取り出して食べた後と考えられる。この骨の年代を様々な方法で測定し、いずれの方法でも70万年以上前に殺されたと考えられる。

以上の結果から、フィリピン原人は70万年以上前に存在してた。問題は、2足歩行のフィリピン原人が、海も渡ってルソン島にやってきたのかだ。当時は海面が低く、ボルネオや台湾はユーラシア大陸と陸続きだった。しかし、どちらから渡るとしても、海を超えなければならない。ルソン島から出土する動物の骨と、他の島での動物の骨の分布から考えて、おそらく台湾の方向から渡ってきたと推定している。

もちろん肝心の人類の骨が出ていないため、エレクトスと結論することはできないが、原始的な石器で骨髄を取り出し、食べた痕跡などは私のエレクトスのイメージと完全に一致しており、エレクトスが70万年前に海を渡ったとすると、また人類史が大きく変わる。

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