このブログではフロイトの「自我とエス(中山元訳ちくま学芸文庫)」から引用した一文
「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。・・・・少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」(注:ここで備給と訳されているのは、ある対象で心が占拠されることを意味し、ドイツ語ではBesetzung:わざわざ普通使わない単語を使うのが我が国の翻訳の重大な問題で、例えばunderstandingを悟性などと訳してしまうことで、古典を読む意欲を削いでしまう)
「乳児期に口唇を通して頭に描く母のイメージ」から、より高次な認識力の発展とともに,新しい自己の表象が形成される過程を描いているが、わかりやすく書き直すと、
「赤ちゃんは最初唇を通してしか外界を感知できないため、最初の自己はこの感触との関係で形成される。従って、当然母の乳房が世界の全てになる。そこに、手や足、匂い、音を通して新しい世界が開け、最後に視覚を通して世界が見える。そのため、常に、新しい外界のイメージをそれ以前に形成した自己と統合し、自我が形成されるが、その時母のイメージはまず身体を通して形成されたため、高次の感覚から形成された父親のイメージと対立する、性的な対象として確立してしまう」といったところだろうか。
この話は、たとえば乳児が示す、唇に触れたものを追いかける口唇反射を見ると納得できるが、これを脳波で確かめたワシントン大学からの論文がDevelopmental Scienceに先行出版された。タイトルは「Neural representations of the body in 60-day-old human infants(60日齢の子供の脳に形成された身体の表象)」」だ。 研究は極めて単純で、60日目の乳児の脳波をとりながら、左手、左足、そして上唇をタッチセンサーを兼ねた棒で触る。その時の脳の反応を比較的簡単な脳波計で調べている。答えも簡単で、それぞれの場所を触られた時だいたい0.2秒ほどで反応が得られるが、反応の強さは唇の刺激が他の刺激と比べて圧倒的に強く、電位差にして2倍以上の反応が記録できる。脳の局在については、手はすでに右脳に投射されているが、他の場所はまだはっきりしない。
フロイトの言う口唇期の脳がはっきりとわかる結果だが、大人の感覚野を表現している脳内の小人の姿の中で、唇があれほど大きな場所を占めている理由もよくわかった気がした。この単純なイメージがどう発達するのか、ぜひ経過を見たいと思うとともに、子供の発達障害も、科学的治療を開発する余地が多く残っていることを確信した。