エクササイズによりアルツハイマー病の発症を予防したり、あるいは病気の進行を遅らせる可能性があることは以前から指摘されている。しかし最近の研究では、発病してしまうと1週間に一回程度の運動では、ほとんど進行を遅らせることができないことも示唆されている。どちらが正しいとしても、この問題に関しては、臨床例の観察を行なった疫学研究しかなく、運動が効果があるとしても、その分子メカニズムに迫ることは難しいと考えられていた。
ところがブラジル・リオデジャネイロ大学、米国コロンビア大学、そしてカナダ西オンタリオ大学の共同チームが1月号のNature Medicineに発表した論文は、運動により誘導されアルツハイマー病の神経シナプス結合を改善させる分子を特定した点で画期的な研究だ。タイトルは「Exercise-linked FNDC5/irisin rescues synaptic plasticity and memory defects in Alzheimer’s models (運動と連動するFNDC5/irisinがアルツハイマー病のシナプスの可塑性と記憶を回復させる)」だ。
これまでの研究で運動すると筋肉に発現しているFNDC分子が切断され、細胞外ドメインのirisinが血中に分泌されることが知られていた。著者らは、アルツハイマー病(AD)に運動が効果があるなら、このirisinがその原因ではないかと着想し、FNDCに対する抗体を用いて、筋肉だけではなくADの主要な病巣である海馬でも強くFNDCが発現してirisinを分泌していることを確認する。
次に進行したAD、初期のAD、そして正常の海馬でのirisin量を調べ、進行性ADで著明に低下していること、また脳脊髄液中のirisinがADで低下していることを明らかにする。面白いのは、正常の人では脳脊髄液中のirisinは年齢とともに上昇するが、ADになるとこの上昇が全くないか、少し低下する点だ。すなわち、正常では年齢に応じた脳の変化をirisinが抑えているような印象がある。
そこでマウスモデルを用いて、脳細胞のFNDCをノックダウンする実験を行い、脳内でのFNDC合成がなくなると、海馬のシナプスの可塑性が低下するとともに物体認識の記憶が低下することを明らかにする。
次にirisinが低下しているADマウスにirisinを投与することで記憶が回復するかどうかを調べ、期待通りシナプスの可塑性と物体認識記憶が元に戻ることを突き止めた。また、アデノウイルスを脳に注射する方法でもシナプスの可塑性を回復させることができる。この回復したマウスの脳組織を取り出して活動を調べると、興奮の低下が大きく改善されることも示している。すなわち、irisinの低下はADの記憶症状をかなり説明することができる。
次に、では脳内で合成されるirisinだけでなく、筋肉で合成されるirisinもこのようなアミロイドによる記憶低下を防ぐことができるのか調べるために、末梢からirisinをコードするアデノウイルスベクターを注射する実験を行い、末梢で合成されたirisinが脳内に移行して記憶を戻す作用があることを明らかにしている。そして最後に、ネズミを一日1時間水泳させてアミロイドによる記憶低下を抑えられるか調べ、運動により分泌されるirisinでも十分記憶力低下を抑える効果があることを示している。生化学的には、irisinはcAMP-PKA-CREBシグナル、すなわち記憶のシグナルを活性化し、irisinの作用が直接細胞に働いてシナプス可塑性を保ち、神経細胞を保護していることも明らかにされている。
irisinが人間のADで低下している以外は、まだまだ動物実験の段階で、人間もirisin投与が同じようにADに効くかを確かめる研究は必要だが、これが正しいとすると、irisinはアルツハイマー病の薬剤として使うことができるし、またしっかりした運動プロトコルを行える初期なら、記憶力低下をエクササイズで防ぐことすら出来ることになる。本当だとすると、かなり大きな貢献だと思う。
臨床例の観察を行なった疫学研究しかなく、運動が効果があるとしても、その分子メカニズムに迫ることは難しい
運動すると筋肉に発現しているFNDC分子が切断され細胞外ドメインのirisinが血中に分泌される。
→著者らは、アルツハイマー病(AD)に運動が効果があるなら、このirisinがその原因ではないかと着想
運動とADとの関連の分子メカニズム解明、面白い着想が突破口になった研究です。