ネアンデルタールやデニソーバ人の骨や歯から得られるDNAのゲノム解析が可能になる事で、これまで考古学的にほとんど研究が出来なかった多くの事が明らかになって来た事をこのホームページで紹介した。同じ事は人間と深い関わりを持って来た様々な細菌についても言える。人類が歴史上経験した選択圧という観点から見た時、疫病の影響は自然災害に匹敵する。ペストによってイングランドの人口が1/3に減少した事は有名な話だ。従って疫病のインパクトを科学的に評価して歴史を深く理解するためには、当時のペスト菌についての情報が必要だ。ではどこに行けば当時の疫病を起こした菌が残っているのか。この問いに答えたのが今日紹介する研究でカナダマクマスター大学からの研究で「Second-Pandemic strain of vivrio cholerae from the philadelphia cholera outbreak of 1849 (1849年フィラデルフィアを襲ったこれら大流行の原因コレラ菌)」と言うタイトルだ。たまたま1849年のコレラ大流行で亡くなった患者さんの腸が固定液につけて保管され、ミュター博物館に展示されていた。これに目を付けた研究者には脱帽だ。期待通り十分なDNAが標本から得られ、現在のコレラ菌と比べる事が出来たと言う結果だ。勿論標本として保存されている間に多くの科学的変化が加わっている。このため配列決定にはネアンデルタール人ゲノム解析に使われたのと同じ方法が必要だ。コレラ菌は現在もなお小規模の流行が見られ、2012年だけでも10万人の死者が出ていると言う。ただ単発の発生は別として最近の流行は、2系統のコレラ菌のうちEl Torと名付けられた系統だけで、どうしてもう一方の系統が流行を引き起こさないのか謎だった。今回調べられた1849年のコレラ菌はもう一方の古典型系統に分類できるが、その中でもEl Torに近く、毒性に関わる部分が増強している事がわかった。詳細は省くが、このゲノムと、現在菌として保存されている多くのコレラ菌系統の配列と比べる事で、この菌が最初のコレラ流行が記録された1817年頃に生まれた事など、コレラ菌の進化の歴史も明らかになる。どんなに医学が進もうと、将来も私たちはこのような疫病にさらされるだろう。その時、菌の進化の情報は役に立つ。そして何よりも、人間の歴史の理解に疫病の流行は欠かせない。考古学や歴史研究と分子生物学が近くなっている事を実感する。しかし、日本で生命科学者と歴史学者の合同会議がもたれるのはいつになるだろう?