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7月4日 人間の寿命の限界はまだ見えない?(6月29日号Science掲載論文)

2018年7月4日
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統計学的な話だが、次の1年を生きることができる確率は、年齢とともに低下していく。ところが、105歳を超えて生きたスーパー高齢者になると、このカーブが低下し、死亡率が頭打ちになることを示唆するデータが出されている。私も含めて105歳まで到達することはないほとんどの人にとっては関係ない話なのだが、人間の寿命の限界を突き止めたいという思っている研究者にとっては大事な問題だ。

今日紹介するローマのサピエンツァ大学からの論文はこの可能性についてイタリアでの調査を示すとともに、現在どんな取り組みが行われているのかも合わせて教えてくれる研究で6月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「The plateau of human mortality: Demography of longevity pioneers(人間の死亡率は頭打ちになる:長寿パイオニアの人口統計学)」だ。

この問題の難しさは、正確な記録が取りづらいことで、年齢が不正確だったり、対象者の生存や死亡が正確に確認できていないことが最大の問題点で、現在15カ国が集まって、International database on longevity(IDL:長寿の国際データベース)が整備されつつあることが紹介されている。このデータベースの検討からも、110歳以降は、死亡率が114歳までは頭打ちになって一定になるという結果を導引き出せるが、同じデータベースを異なるモデルで解析すると、死亡率は上がり続けるという結果になるなど、まだまだこのデータベースは誰もが納得できる結論を導き出せるところまで整備されていないといえる。

この研究の著者らはもちろんIDLのメンバーではあるが、今回はイタリアで最近整備が終わった105歳以上の人たちのコホート研究を解析して、この問題に答えようとしている。この研究では、2009年から、2015年の6年間に105歳になった人たちを追跡している。従来の同じような研究と比べると、持続的に対象の生存を確認できている点で信頼性が高い。わが国でもそうだが、イタリアでは105歳以上のスーパー高齢者は自治体が特別の体制で把握している。この結果、3836人ものスーパー高齢者をかなりの確度で追跡できることができた。

結論は、105歳を超えると死亡率が間違いなく頭打ちになり、現在のところ明確に人類の寿命の限界を指摘できないという結果だ。この結論は以前(http://aasj.jp/news/watch/5880)紹介した、寿命には超えられない限界が必ずあるとするnatureの論文に反対するように思える。この結果の重要性は、人口統計学として、この結論を導いている点で、今後寿命も含めてスーパー高齢者とは何かがわかと期待される。とはいえ、スーパー高齢者が進化的選択指標になるはずはないことから、我々一般人とはちがうかなり特殊な集団を代表しているような気がする。
  1. 白土 より:

    多分、人間は生きるということと、存在するということの意味を履き違えているのではないかと思います。私の父を例にとると、一般的に言うと、大して出世もしなかったけれど、教員を定年後中国とモンゴルの大学で教え、数年前86歳で亡くなりました。母に言わせると、父は定年後の人生のほうが生き生きとしていたそうです。現役中は母に感動したなんて言う言葉は一切しなかったのに外国にいる間手紙で何度も書いて寄越したそうです。つまり自分自身の満足感は長さではなく何をしたかであって時間の長さには関係がないのではないか?亡くなる前、母に父は俺はお前たちに関係なく幸せだったと言って死んだそうです。生命の長さと人間の存在の意味は必ずしも比例しないのではないのでしょうか。因みに父の定年は当時55歳でした。

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