今日紹介するマウントサイナイ医学部からの論文は、ひょっとしたらこの閉塞状況を変えてくれるのではと期待を持たされる研究だ。タイトルは 「A small molecule RAS-mimetic disrupts RAS association with effector proteins to block signaling (Rasとエフェクター分子の会合を阻害するRas分子を模倣する化合物はRasシグナルを抑制する)」で、4月21日号のCellに掲載された。
この研究の最初の目的は現在骨髄異形成症候群の臨床治験が進んでおり、わが国でもシンバイオ製薬が展開している薬剤リゴサチブの作用機序を明らかにすることだったようだ。まずリゴサチブに結合する分子の解析から、RASと結合する様々なシグナル分子がリゴサチブに結合することを発見する。磁気共鳴を用いた構造解析から、リゴサチブがRas下流のシグナルを媒介するRAF分子のRAS結合領域に結合し、RAFの活性化を阻害することを明らかにしている。すなわち、リゴサチブがRasを模倣する分子として働き、活性化Rasにシグナル伝達分子が結合するのを競争的に阻害することがわかった。後は、この阻害により、伝統的なRas-Raf-Mapkの伝達経路を遮断できること、またPLK,Ral,Pi3Kなどの他のRas結合分子からのシグナルも同様に抑制することを明らかにしている。最後に、活性化Rasによる発がんを抑制できるか、また活性化Rasによりガン化した細胞の増殖を抑制できるかを様々な系で調べ、期待通り効果があることを示している。
もともとRasの下流で多くのシグナル分子が活性化されており、その一つ一つを標的にしてきた薬剤と異なり、機関銃での掃射のように多くのシグナルを一度に遮断する可能性のある治療法だ。ただ示されたデータを見ると、まだ完全に腫瘍が消失したという結果ではない。私見だが、このようなメカニズムの場合、rasに結合する分子の量など様々な生化学要因が影響するはずで、用量の選択など今後さらに研究が必要だろう。しかし、リゴサチブ投与でがん細胞内の様々な分子のリン酸化が阻害されており、今後大いに期待が持てると思う。例えば膵臓癌などはすぐ試したいところだろう。幸い、この薬剤は骨髄異形成症候群の治療薬としてすでに第3相まできており、副作用が少ないこともわかっている。したがって、臨床研究へのハードルは低い。さらに、Rasではなく、シグナル分子が活性化Rasに結合する部分を標的にするアイデアは、他のシグナルにも使えるだろう。また、同じメカニズムのさらに強力な分子も開発されるように思える。
もちろんぬか喜びかもしれないが、堅固なRas砦に穴が開いたのではと期待させる。
このホームページでなんども繰り返しているように、今、最も待望されている薬剤は、突然変異型のRas分子阻害剤だ。
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論文ワッチ愛読者になり、再度、細胞のシグナル伝達に興味沸きました。
自分が勉強したのは、『細胞の分子生物学(第3版)』でしたが、このコーナーの各種論文に刺激されて、Wendell Lim先生他著『細胞のシグナル伝達』(MEDSi)購入しました。
細胞を情報処理機械の1種とみなし、コンピュータ、機械を考える時の視点を絡めて、細胞のシグナル伝達を理解、合成しようとする思想、ひと昔前の百科事典的に事実を列挙する視点とは大きく異なっており、非常に興奮します。
こうした新たな視点から、CAR-T療法の発展、RAS阻害剤の開発が進展するのではないかと思っています。