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1月31日:100人に尋ねて正解を得る方法(1月26号Nature掲載論文)

2017年1月31日
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    今年からNature出版は「Nature Human Behaviour」をスタートさせた。メールマガジンで送られてきた第1号の論文リストを見て、思わずフリーアクセス論文を4編もダウンロードしてしまったほど、一般の興味を引く論文が掲載されている。Aims & Scopeを見ると、人間の行動に関することならなんでもありという雑誌で、「人間科学」専門誌と言ってもいいのかもしれない。今後が楽しみで、ぜひ図書館でも購入して欲しいと思う。ただ、今日紹介するMITからの論文はこの新しい雑誌に掲載された論文ではなく、1月26日号のNatureに掲載された論文だが、エディターも新しい雑誌のことを意識して掲載を決めたのではないかと推察する。タイトルは「A solution to the single-question crowd wisdom problem(問題解決のための集合知が抱える問題に対する一つの対策)」だ。
   論文を読んでいてほぼ全てが理解できる場合と、主旨や結果はおおむね理解できるのだが、途中過程の詳細がよくわからない論文がある。そんな論文は責任が持てないので、紹介しないようにしているが、今日はあえて「途中の過程は理解できていません!」と断った上で、それでも紹介することにした。
   この研究が対象としている問題解決に対する集合知とは、次のようなものだ。例えば私たちがアメリカに行って、周りのアメリカ人に「ペンシルバニア州の首府はフィラデルフィア?」、あるいは「サウスカロライナ州の首府はコロンビア?」とそれぞれ一番人口の多い都市を指定して尋ねて回り、正しい答えを導き出そうとしたと考えてみよう。もし最初の問いも、次の問いもYesが60%,Noが40%だとすると、多数決でフィラデルフィア、コロンビアが正解として選ばれる。これが単純な統計原理だ。ところが正解はハリスバーグとコロンビアで、ペンシルバニア州の首府については間違った情報を得てしまう。すなわち、単純な多数決原理では、一般的に人口の多い都市が首府だとするバイアスに囚われていたり、知識程度が多様な人達に尋ねても正解が得られないことが多い。
    この問題を解決するため、答えの信頼度に関するデータを集め補正する必要がある。Yes/Noを聞くと同時に、自分の答えにどのぐらい自信があるかを尋ねて、答えを補正することが次善の策になる。ベイズ統計もよく似たものだが、人間の自信ほど信頼おけないものはない。実際データを集めてみると、フィラデルフィアに関する問題の場合、どちらの答えを出した人も、自分の答えは信頼おけると答えている。一方、多くの人が知識がないと感じているサウスカロライナ州の場合はどちらの答えを出した人も、自信の程度はばらつく。すなわち、自信度で補正しても、結局正しい答えが導けない。従って、比較的単純なルールに基づく問題に適用できても、人間の知識のように多くの要素が関わる場合、この方法はあまり役立たない。
   そこで著者らは、自分の答えの信頼性を聞くかわりに、自分の答えが他人の答えとどのぐらい一致しているかを予想してもらうと、正解に近づけるのではと提案する。
   例えばペンシルバニア州の首府の場合、誰もが一番大きな都市フィラデルフィアだと思ってしまうことから、フィラデルフィアと答えた人も他の人が同じように考えていると予想する。しかし、ハリスバーグという正解を知っている人は、これは自分しか知らないだろうと思っているので、他の人はまず間違うだろうと予測する。すなわちYesの答えを出した人は他の人と100%意見が一致すると言い、Noと答えた人はまず他人とは一致しないからNoと答える。このため、この条件で補正すると正解に大きく近づく。一方、サウスカロライナ州のようにもともと知識が乏しい州の場合、答える側もそのことを知っており、結果他人との一致率についての予測度はばらつくため、コロンビアという答えが大きく補正されることはない。
   このアイデアを使えるかどうか、アメリカの州の首府についての問題、一般的な物知り度を調べる問題、皮膚科医の診断能力を調べる問題、現代絵画の価格を推定する問題を、実際に行って得たデータを、単純多数決、自分の答えに対する信頼度を補正した計算、そして他人と自分の意見の一致率の予想値を補正した計算のどの方法が実際の正解に近づくか調べている。
   結果は全ての場合で、著者らの提案する他人と自分の意見の一致についての予測値を加味した時が一番正解に近い数値が得られるという結果を得ている。一種の論理学の問題と言えるだろうが、ちょっとしたアイデアが立派な論文になっているのに驚く。
   問題は、政治や経済のような、嘘がまかり通る世界でこの手法が使えるかだが、直感的に簡単でないだろうという印象を持つ。とはいえ、人間の行動パターンを知るための研究としては面白いし、集合知を利用するなら、このような研究を地道に重ねるしか方法がないだろうと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月30日:能ある菌は爪を隠す(1月26日号 Cell掲載論文)

2017年1月30日
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   食中毒の報道では「嘔吐と吐き気を訴える患者が病院に搬送された」というのが定番だが、この嘔吐と吐き気が私たちの体にとってどんな意味があるのか、まず考えることはない。私も、細菌の毒素などによる刺激が、迷走神経を刺激し、その結果延髄の嘔吐中枢が刺激され食事制限を自然にしていると理解していた。すなわち体を守る反応と理解していた。事実、嘔吐が続く患者さんに無理やり食事をとらせることはしない。
   今日紹介するソーク研究所からの論文は、食中毒の原因菌もホストの体に悪い作用の分子だけを作っているがわけではなく、吐き気を抑えるようなホストの体に良い作用を持つ分子を作っていることを示した研究で、細菌と体の関係の複雑性を物語る。タイトルは「Pathogen-mediated inhibition of anorexia promotes host survival and transmission(病原菌が原因の吐き気の抑制は宿主の生存を促進するとともに個体間伝播も促進する)」で、1月26日号のCellに掲載された。
   最近バクテリア由来のleucin-rich repeatタンパク質は自然免疫性炎症の鍵として注目されているが、おそらくこのグループもいわゆるinflammasomeと呼ばれる炎症の核になる分子複合体を研究していたのだろう(これは私の勝手な想像)。私たちにも身近なサルモネラ菌からSlrPと呼ばれるleucin rich repeatタンパク質を欠損させ、ホストの反応を調べていたところ、予想に反してSlrPが欠損したサルモネラ菌の方がマウスの致死率が高く、体重減少誘導も強いことを発見する。
   マウスの観察から、SlrP欠損菌に感染するとより強い嘔吐を誘導することから、食事量が減るから死亡率が上がるのではと、無理に食事を押し込むと、確かに死亡率が減る。すなわち、SlrPは細菌の分子であるにもかかわらず、宿主の嘔吐を減らし、食事摂取を維持して宿主を守っているという意外な結果が出てきたことになる。
   このメカニズムを探るため、細菌により刺激される様々なサイトカインの小腸での産生を調べ、SlrPによりCaspase1が阻害されることで活性型IL-1βの生産が落ちることを明らかにする。この結果、IL-1βによる迷走神経刺激が抑えられ、結果として嘔吐などの症状が抑えられるという結論に到達している。
   これが正しいとすると、なぜサルモネラ菌は宿主を守るメカニズムをわざわざ発達させているのかという疑問が湧くが、同じケージに感染マウスと、非感染マウスを飼うと、感染実験により、SlrPを持つ細菌の方が症状は軽い代わりに、他の個体への感染力は強いことを示し、ホストの症状を抑えることがバクテリアにとっても大きなメリットになることを示している。
   話は面白いが、読んでしまうとあまり余韻が残らない研究だと思う。特に、多くの実験が細菌叢のない無菌マウスとサルモネラ菌との関係を調べる研究で、豊かな腸内細菌叢を持つ私たちにも本当に当てはまるのか心配になる。ただ、SlrPがCaspase1の活性化を阻害するという効果があるなら、inflamasomeの抑制に使える可能性はありそうだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月29日:統合失調症の動物モデル(1月23日号Nature Medicine掲載論文)

2017年1月29日
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    統合失調症は極めて複雑な高次脳機能障害で、私たちの自己や意識の問題に関わるがゆえに多くの医師や研究者、さらには哲学者を引きつけてきた。私自身も学生時代、ヤスパース、ビンスワンガー、ボス、レインなど、統合失調症や精神病理の古典を読んだが、医学の勉強というより、精神という大きな謎の一端を理解したいと思ったからだと思う。もちろん、統合失調症のモデル動物を作るなど、まず不可能と考えていた。
   今日紹介するパストゥール研究所からの論文は最近進む統合失調症のゲノム研究の成果を動物モデル作成に利用した研究で1月23日号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「Nicotine reverses hypofrontality in animal models of addiction and schizophrenia(ニコチンはニコチン中毒と統合失調症の動物モデルに見られる前頭葉機能低下を改善する)」だ。
   極めて高次の認知障害とはいえ、統合失調症の遺伝性は強く、一卵性双生児で両方が統合失調症にかかる率は実に50%に達する。従って、ゲノムから原因遺伝子を探す研究が精力的に続けられたが、あまりにも多くの遺伝子がリストされてしまって、余計に理解が難しくなってしまっている。
   とはいえ、統合失調症と相関があるとしてリストされた変異の中で、アセチルコリン受容体のうちニコチン受容体(nAchR)の機能を低下させることがわかっているα5サブユニットのアミノ酸変異は、前頭皮質の神経結合性が変化することが明らかになり特に注目されている。
   そこでこの研究では、同じnAchR変異をマウスのゲノムに導入し、統合失調症の症状の一片でも再現できるかどうかを調べている。期待通り、マウスは他の個体への興味を示さなくなるという症状とともに、ヒトでも統合失調症の特徴として知られるプレパルス・インヒビション(強い驚愕刺激の直前に微弱な刺激を与えると、驚愕反応が抑えられる現象。統合失調症ではこの機能が低下している)が低下していることを発見する。
   次に、この受容体の発現を指標に症状の細胞学的原因を探り、最終的に前頭皮質の第II/III層のvasoactive intestinal polypeptideを作る介在ニューロンの活性が低下し、その結果ソマトスタチンを作る介在ニューロンの活性が上昇し、皮質の機能の主役、錐体神経細胞が抑制されることを突き止める。
   この結果は、nAchRの反応性が低下していることによることはわかっているので、ではこの受容体の機能をニコチン投与で高めることで症状が改善するかどうか調べている。ニコチンを慢性投与すると、ソマトスタチン介在神経の活性が低下することを確認している。
   症状が改善するのかについてはデータが示されず、少し残念だが、統合失調症の症状は昔からタバコにより軽減することが知られており、かなり面白い結果だと思う。どこまでこのモデルマウスが有用なのか、おそらくニコチンパッチなど、より長期のニコチン刺激を使った臨床治験で明らかになるのではないだろうか。期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月28日:レット症候群モデルマウスの学習機能障害の細胞学的原因についての研究(1月18日Nature Communication掲載論文)

2017年1月28日
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    これまでアナウンスしてきたように、今日2時半からAASJチャンネルでは、最近力強く活動を始められたMECP2重複症の家族会の方々の生の声を聞いてもらおうと、ニコニコ動画の配信を行います(http://ch.nicovideo.jp/aasj)。特に今回は、MECP2という同じ遺伝子の変異によって起こるレット症候群の患者家族代表の谷岡さんをお招きして、今年3月に行われるレット症候群の国際シンポジウムにつてもお話をしていただく予定になっています。
   残念ながら私自身は所用で東京で会議、その後結婚式と参加できないのが残念ですが、患者さんの家族だけでなく、多くの方々に見てもらいたいと思っています。
   MECP2遺伝子はX染色体に存在する遺伝子で、メチル化されたDNAに結合して遺伝子発現に関わることがわかっているが、メカニズムが完全に明らかになったとは到底言えない。その理由は、この遺伝子の変異により起こってくる細胞レベルの変化が完全に記述できていないためで、結局思いつく治療はMECP2遺伝子の発現をあげたり、あるいは抑えたりする遺伝子治療だけになってしまう。しかし、細胞レベルでMECP2遺伝子変異で最も影響を受ける遺伝子が明らかになれば、その遺伝子の機能を調節して症状を抑えられる可能性が出てくる。
   さてレット症候群はMECP2の機能が失われる突然変異で、一方MECP2重複症は機能的MECP2遺伝子が倍になる突然変異だ。X染色体上にある遺伝子のため、レット症候群型の突然変異の場合、男児は全ての細胞でMECP2機能が失われ、新生児期で亡くなる。しかし、女児の場合X染色体不活化という現象で、各細胞が片方のX染色体だけを選ぶので、完全な正常細胞と、欠損細胞が混合した体ができ、この欠損した細胞の割合が多いと異常が起こる。
  逆にMECP2重複症は、女児の例も知られているが、基本的にはX染色体が一本だけの男児の病気だ。
   今日紹介するコールドスプリングハーバー研究所からの論文は、レット症候群のモデルマウスを用いて、学習にかかわる神経活動を調べた研究でNature Communicationに掲載された。タイトルは「MECP2 regulates cortical plasticity underlying a learned behaviour in adult female mice (MECP2 は大人のメスマウスの学習行動にかかわる皮質の可塑性を調節する)」で、1月18日発行のNature Communicationに掲載された。
   この研究ではレット症候群の学習障害の細胞学的原因が追求されている。普通学習というと、動物を訓練した結果を調べるが、この研究でメスマウスがバラバラに散らばった生まれたばかりの子供を自分の近くに寄せ集める行動を利用している。この行動は、出産を繰り返すほど素早く行われ、妊娠経験のないマウスでも本能でこの行動を示すが、集めるまでの反応に時間がかかる。これまでの研究で、生まれた子供が発する声に反応する聴覚野の学習を反映していることが知られている。
   この研究ではこの聴覚の学習が、レット症候群モデルマウスで低下していることを確認した後、学習による聴覚野の組織変化について調べ、変異の有無を問わず学習によりGABAを作るニューロンの数が上昇するが、レット症候群のみ学習を抑制することが知られているparvalbumin陽性細胞の数が強く増加し、神経を特定の場所に閉じ込めるマトリックスの形成が高まっていることを発見する。すなわちGABA作動性抑制ニューロンが増えすぎることが、学習障害の原因になっている可能性が出てきた。
   そこで最後に、レット症候群マウスと、GABAの生産が半分に低下したマウスを交配して聴覚野のGABA濃度を減らすと、学習障害が軽減された。さらに、コンドロイチンを溶かす酵素を聴覚野に注射しててマトリックスを緩めてやると学習障害が改善した。    以上の結果、学習時に抑制性ニューロン活性が高まることがレット症候群の障害の一部を説明できること、またこの過程を薬剤や治療法開発の手掛かりとして使えることが明らかになった。
   次はMECP2重複症を同じような観点から見直すことが必要になる。モデルマウスの場合、X染色体ではなく常染色体にMECP2を導入して重複症を再現することも可能で、全く同じ実験システムが利用できる。このように、常にレット症候群とMECP2重複症をセットで研究することが、患者さんだけでなく、基礎研究に取っても重要だ。その意味で、今日両方の患者家族の会の方々が一緒にニコ動で発信される意義は大きい。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月27日:アルツハイマー病発症をApoEが促進するメカニズム(1月25日発行Cell掲載論文)

2017年1月27日
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   ApoEは血中LDLの主要成分で大脳皮質の発生には欠かせない分子だが、その作用メカニズムについてはまだよくわからない点が多い。中でも臨床医学的に重要なのはアルツハイマー病との関係だ。人間のApoEには3種類の遺伝型、ApoE2, ApoE3,ApoE4が存在し、このうちApoE4はアルツハイマー病のリスクが高いことが知られている。ただ、そのメカニズムについてはよくわかっていない。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文はApoEとアルツハイマー病の重要な原因とみなされているアミロイドタンパクの合成との間のシグナルメカニズムに真正面から取り組んだ研究で1月25日発行のCellに掲載された。タイトルは「ApoE2, ApoE3, and ApoE4 differentially stimulate APP transcription and Aβsecretion(ApoE2, ApoE3, and ApoE4のアミロイドβ前駆タンパク質(APP)の転写とAβの分泌刺激能力はそれぞれ異なっている)」だ。
   私が熊本大学に赴任した頃は、様々なサイトカイン刺激から続くシグナル伝達メカニズムの研究が花盛りだった。この論文は、方法こそ新しいが、当時を彷彿とさせるApoEシグナル伝達の研究で、われわれのような古い世代にもわかりやすい論文だ。
   シグナル伝達機構を研究するにはまず培養細胞が必要だが、この研究ではヒトES細胞から神経細胞を誘導し、これを線維芽細胞と共培養することで、標的となるAPPの生産が見られることを示している。
   次にこの実験系に、ApoE2, ApoE3, ApoE4をそれぞれ加えてAPPの転写を調べると、驚くことにApoE2<ApoE3<ApoE4の順番でAPP転写が誘導された。すなわち、アルツハイマー病の遺伝要因とされるApoE4が、培養神経細胞のAPP転写を最も強く誘導することがわかった。
   次に、 ApoEからAPPまでのシグナル伝達機構を解析し、
1) ApoEが神経細胞上の受容体に結合すると、まだよくわからない機構でDLL分子の分解が抑制され、DLLのレベルが上昇する。
2) DLLは次にMKK7を介してMAPキナーゼ経路を活性化する。MAPキナーゼ経路の活性化についてもApoE4が最も強い活性を持つ。
3) CRISPRを用いたAPP遺伝子転写調節領域のノックアウトスクリーニングにより、MAPキナーゼ経路により活性化されるのはAP1(Jun/Fos)による転写で、c-Fosがリン酸化を受けることがAP-1活性をあげる。
ことを明らかにしている。すなわち、ApoE受容体のすぐ下流を除いて、ほぼシグナル伝達経路の全貌が明らかにされた。これでも十分だが、将来の前臨床研究を考えて、マウスでも同じことが言えるのか、マウス神経細胞及び脳内に直接CRISPRを導入する実験で、ほぼ同じ経路が働いていることを示し、生体を用いる実験としてマウスが使えることを示している。
   もともとAP-1経路はアストロサイトの刺激などで活性化されており、今後はApoE4のような付加的なシグナルが長期に続くことがアルツハイマー病を誘導しているのかなど、詳しい研究が行われるだろう。特にLDL受容体とApoEとの結合及びその直下のシグナルが解けると、アルツハイマー病治療の介入ポイントが見えるかもしれない。期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月26日:Kisspeptin: 分子の名前に実際の機能が追いついてきた(Journal of Clinical Investigationオンライン版掲載論文)

2017年1月26日
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    まだ名前の付いていない新しい分子を発見し、それについての論文を書く時、その分子を命名するチャンスが回ってくる。その時、誰もが覚えやすくて、語呂のいい名前を一生懸命探す。
   事実、名前の由来を聞いて「エ!」と驚いて、2度と忘れない分子もある。その一つがKisspeptinで、最初メラノーマの転移を抑制する分子として発見された。その後この受容体がG-タンパク質共役受容体であることを、武田薬品の研究室におられた故藤野さんたちが特定する。私がKisspeptinを初めて目にしたのは、藤野さんたちがNatureに発表した論文だが、なぜ転移を抑制する分子にこんな名前が付いているのか不思議に思った。
   今日紹介する論文を読みながら気になってもう一度調べ直すと、Wikipediaには、この分子が発見された町Hersheyの有名なお菓子Hershey’s Kissにちなんで命名されたことがわかった。
   この色気のある名前が幸いしてか(?)、この分子の研究はその後大きな転換を遂げる。2014年7月23日にこのホームページで紹介した論文では、視床下部で分泌される新しい性ホルモンとして、排卵誘発剤で誘導される卵の成熟度をあげることが示されていた(http://aasj.jp/news/watch/1907)。
   まさにKisspeptinという名前にふさわしい機能が後からついてきたことになるが、今日紹介するロンドンのインペリアルカレッジからの論文は、この名前にさらにふさわしい機能を発見した極め付きの論文でJournal of Clinical Investigation オンライン版に発表された。タイトルは「Kisspeptin modulates sexuall and emotional brain processing in human (Kisspeptinは人間の性的感情のプロセスに関わる)」だ。
   Kisspeptinは性ホルモンに関わる視床下部だけでなく、感情のプロセスに関わる大脳辺縁系にも発現が見られる。この研究では最初から、Kisspeptinが辺縁系の刺激を通して性的興奮にかかわるのではないかとあたりをつけて、25人のボランティア男性の脳の反応を機能的MRIを用いて調べている。
   実験はまずKisspeptinを静脈注射しても性的興奮に関わる男性ホルモンやオキシトシンの血中濃度は変化しないことを示した上で、被験者にセックス中のカップルの写真、セックスなしに抱擁しているカップルの写真、男女関係とは無関係の喜んでいる写真などを見せ、写真を見た時起こる辺縁系の興奮がKisspeptinで増強されるかMRIで調べている。
   詳細を省いて結論のみまとめると、セックス中のカップルを見た時、辺縁系の様々な領域が興奮するが、左の扁桃体、前後の前帯状皮質の興奮が特に増強される。面白いのは、写真だけではあまり興奮しなかった人の方が、Kisspeptinの効果が高いことだ。
   また同じ反応はただ抱擁しているカップルの写真を見せた時にも起こる。したがって、よりプラトニックで精神的な興奮に関わるようだ。
   無関係の写真や、あるいは同じ写真のネガを見せても反応は起こらないし、また実際の精神的興奮度にKisspeptinは影響がなく、効果はMRIで初めて把握できるようだ。
   ではなぜKisspeptinにこのような効果があるのか?これについては全く説明できていない。研究ではKisspeptin注射により前帯状皮質の周りにある、気持ちを憂鬱にさせる場所が刺激されることから、悪いムードを抑え、いいムードをあげる効果があると議論しているが、結論にはさらに研究が必要だ。
   いずれにせよ、性的な効果など全く想定せずにつけた名前が一人歩きして、今やガン領域ではあまり注目されず、性的興奮を高める効果に注目されるようになるなど、Kisspeptin以外には聞いたことがない。恐るべし唯名論。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月25日:新しいマイクロRNA活性調節機構の解明(Natureオンライン版掲載論文)

2017年1月25日
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   マイクロRNA(miRNA)は特定のmRNAに結合して分解する機構で、急速に解明が進んできた領域だという印象がある。ゲノムからmiRNAが転写され、miRNAへとトリムされ、標的に結合し、分解するまで、Droshaから始まってAGO2に至るまで、この過程に関わるほとんどの分子は明らかにされ、分子メカニズムもタンパク質の構造解析に至るまでわかっている。しかし、細胞中に数多く存在する標的mRNAを同じゲノムから作られるmiRNAで効率良く制御ができるのかなど、まだ不思議な点も残っている。
   今日紹介するテキサス・サウスウェスタン医学センターからの論文は、miRNAが次から次へと新しい標的を処理うる仕組みを解明した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「An Argonaute phosphorylation cycle promotes microRNA-mediated silencing(miRNAによるサイレンシングをArgonauteのリン酸化サイクルが促進する)」だ。
   この研究ではガン遺伝子Mycなどの調節に関わることが知られているmiRNA、miR-19の標的配列を持った蛍光分子GFPを遺伝子導入した細胞を準備、CRISPR/Cas9システムを用いて約19000の遺伝子をランダムにノックアウトして蛍光が増強する細胞を選んでいる。この細胞ではmiR-19によりGFPの発現が抑えられているが、miRNAの合成、作用に関わる遺伝子がノックアウトされるとGFPの発現が上昇すると予測できる。
   おそらく予想以上の結果で、もちろんDroshaやArgonauteなどmiRNA経路に関わることが知られている遺伝子が全て特定されているが、これと同時に新しい分子が5種類特定された。
   それぞれの遺伝子のノックアウトされた細胞を用いてmiRNA経路に関わる遺伝子かどうか検討した結果、著者らはANKRD62、PPP6Cの2種類の分子を選んでその機能を調べている。詳細を省いて、この解析から明らかになった結果をまとめると、
1) ANKRD62とPPP8Cは複合体を作り、miRNAを標的に結合させる過程に関わるArgonaute(AGO)分子の、セリン、スレオニンの脱リン酸化を行う。
2) この脱リン酸化システムが壊れた細胞ではAGOのリン酸化が上昇し、その結果miRNAと標的の結合が低下する。
3) AGO分子のアミノ酸を置換する実験で、AGO分子のS824−S834領域のリン酸化がmiRNAとAGOの結合を調節していること。
が明らかになった。
   これが正しいと、当然AGOのリン酸化を行う酵素があるはずで、脱リン酸化が壊れた細胞を用いてもう一度クリスパーによるスクリーニングを行い(今度は蛍光が低い細胞を選んでいる)CSNKA1リン酸化酵素を特定、AGOが標的に結合するとリン酸化が誘導され,、この結果miRNAが標的から解離することを明らかにしている。
   以上の結果からAGOのリン酸化・脱リン酸化サイクルにより、miRNAと標的mRNAの結合が調節され、一つのmiRNAが繰り返し標的の分解に関われることを明らかにしている。またこの研究は、miRNAの標的の選択制についても、miRNA,mRNA、AGO三者の生化学的結合力として理解できることを示している。この研究で作成されたAGO変異体は今後様々なmiRNAの標的選択性を調べていくために役にたつツールになると思う。
   一つの疑問が解けた素晴らしい研究だと思うが、改めてクリスパーの威力を思い知った。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月24日:CTC(末梢血中がん細胞)を早期診断に使えるか?(米国アカデミー紀要掲載論文)

2017年1月24日
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     末梢血中に流れ出てきたガン細胞を、診断や治療効果の検証に使おうとする研究が進み、すでに臨床現場でも使われていると思う。例えば以前ここでも紹介したように、乳がんの場合、ガンの初期であるステージ1でも、30ccの血中に1−数個のガン細胞を発見することが可能だ。生きたがん細胞が簡単に手に入るという意味は臨床には大きい。特に病気の経過と、得られたガン細胞の治療に対する反応などを調べることができる。細胞数にもよるが、ゲノムや遺伝子発現の変化についても調べることができる。しかし早期診断となると、この方法の最終診断にはあくまでガンマーカーを用いた細胞診が必要で、血中に流れるDNAを調べるリキッドバイオプシーなどに劣ると考えられてきた。しかし、リキッドバイオプシーにしても、最近期待されているエクソゾームを用いる方法にしても、がん細胞を直接扱っていないという問題が付いて回る。
   今日紹介するハーバード大学からの論文はガンの早期発見という目的に絞ってCTCの可能性を探った論文で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「An RNA based signature enables high specificity detection of circulating tumor cells in hepatocellular carcinoma(特徴的RNA発現を組み合わせると肝臓癌でのCTCを特異的に検出することが可能)」だ。
   この研究では肝臓癌の早期発見に絞っている。我が国では早期発見というとすぐに健康診断への利用と結びつけるが、様々なガンではリスクが高い集団が存在し、ガンの発生がモニターできると大きな恩恵をこうむる人たちがいる。なかでも、慢性肝炎や肝硬変の患者さんは肝臓ガンのハイリスクグループで、確実な方法でガンの発生をモニターする意味は大きい。
  研究では、ここでも紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2114)物理学的性質を用いて血中のガン細胞を集める機器CTC-iChip(http://www.nature.com/nprot/journal/v9/n3/fig_tab/nprot.2014.044_F1.html)を、PCRで肝ガン特異的遺伝子発現検出と組み合わせることで、肝ガンの検出率をあげることができるか調べている。まず、CTC-iChipで生成したガン細胞のRNA発現を調べ、肝ガンに特異的に上昇している遺伝子10種類を選び出し、細胞診の代わりに遺伝子発現を指標にした検査を開発している。
   この方法のミソは、RNAの発現を調べるために液滴の中で個々のRNAを増幅して発現を調べるデジタルPCRを用いている点で、これにより増幅のバイアスを減らして、量的な比較が可能になるとともに、検査全体を一つのフローとして自動化することも可能になる。
   次にこうして確立した検査法を持ちいて、肝ガンと診断されたばかりの患者さんの血液を調べ、調べた全ての患者さんで特異的に肝臓ガンを検出が可能で、治療効果もモニターできることを示している。
   最後に肝炎の患者さんについて早期発見に使えるかモデル実験で可能性を確かめた上で、ガンと診断された15人の患者さんについて、現在最も使われているαフェトプロテイント比較しながら調べている。まず、5例はどちらの検査でも陰性。AFPとCTC両方で陽性が5例、CTCのみで検出できるのが4例、AFPのみが1例という結果だ。診断率から見ると、この検査も完全ではない。ただ、肝臓移植などで治療可能な患者さんに限ると、1/3でCTC検査陽性だったが、AFP検査では診断できていない。従って、現時点で手術治療可能かどうかを診断するためにはCTCは利用価値が高いという結論で終わっている。
   早期発見のための検査としてはまだまだと言わざるをえないが、かなり仕上がってきてはいる。また、細胞から始める点で高い特異性がある。個人的には他の方法より、期待できるのではと感じている。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月23日:腸内細菌とホストの新しい関係(1月26日号Cell掲載論文)

2017年1月23日
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    腸内細菌叢に関する研究の勢いは今年も衰えることはないと思うが、これまでの様に、次世代シークエンサーを使って細菌の種類とその変化をただ特定するという研究は、この研究領域の主役から退き、ホストとバクテリアの相互作用に関わる分子メカニズムの研究がこの分野の主役として牽引するだろう。ただ、因果性を明確にしようとすると、細菌叢全体をそのまま対象にして研究することが困難になり、どうしても部分に焦点を充てざるを得なくなる。この矛盾する課題を扱うどんな新しいアイデアが登場するか、楽しみな一年になりそうだ。
   今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、腸内細菌叢を構成する細菌に特異的に見られるペプチド合成系に着目し、細菌叢とホストの新しい関係の可能性を調べた研究で1月26日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Discovery of reactive microbiota-derived metabolites that inhibit host proteases(ホストのプロテアーゼを阻害する腸内細菌叢由来の代謝物の発見)」だ。
   この研究は、リボゾームとは無関係にアミノ酸を結合させて小さなペプチドを合成する細菌の能力に最初から焦点をあてて研究を行っている。もともとアミノグリコシル系の抗生物質はバクテリアの持つこの能力を利用したものだが、この研究ではこのグループがこれまで発見してきた腸内細菌に特に発現が多いペプチド合成系に焦点をあて、バクテリアゲノムデータベースを探索し、主に腸内に生息する嫌気性菌ゲノムに存在し、他の場所にはほとんど見当たらないペプチド合成酵素遺伝子を47クラスター発見している。
   次にこのクラスターを、遺伝子操作がしやすい大腸菌や枯草菌に組み込んで培養し、上清中に出てくるペプチドを質量分析器で解析し、ピラジノンやN-acylated dipeptide aldehydeなどのペプチドを合成できる機能的クラスターを7種類同定している。
   次に、試験管内で合成できるペプチドが、実際の腸内に存在する細菌が合成しているのか菌を培養して調べているが、一部の細菌で確かに合成が確認されているが、合成が見られる培地を見つけるのは困難で、この点については未解決のまま残されたと言える。ただ、遺伝子の配列は9割以上の腸内細菌ゲノムに見られ、腸内でRNAに転写されていることも確認されているので、今後新しいペプチドの発見を含む進展が期待される。
   最後に、今回特定したペプチドの一つPhe-Phe-Hが抗原をMHCにロードする際に重要な働きをするカテプシンを強く抑制することができることを示している。
   以上の結果と、この合成系が腸内細菌に特に強く発現しているという事実から、ホスト免疫系とうまく付き合う一つの進化として進化したのではないかと結論している。
   この研究は、これまでのバクテリアの代謝物や中間体がたまたまホストの機能に影響があったという関係を超えて、ホストの生体機能を外から調節するためにバクテリアが進化させた代謝物が存在し、ホスト〜バクテリアの関係を考えるときに、考えなければならないことを示している。その意味で、ホストとバクテリアの本当の共生関係を探る新しい分野であると言っていいだろう。すなわち、バクテリアもホストに合わせて進化している。
   加えて、こうして発見された様々な代謝物は、研究材料としても有用で、一石二鳥の分野だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月22日:鬱状態とJNK1(Molecular Psychiatry オンライン版掲載論文)

2017年1月22日
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   うつ病にかかったことはなくても誰でも憂鬱な気分に沈むことはあるし、身近な人がうつ病にかかっていたという経験を持っていると思う。私も身近な人が重いうつ病にかかったという経験があるが、症状が重いとまず仕事を続けながら治療などと悠長なことは言っておられない。このうつ病に対しては現在、セロトニン再吸収阻害剤、セロトニン・ノルエピネフリン再吸収阻害剤が使われるが、これらは残念ながら対症療法でしかない。特に、最近の研究でうつ病の患者さんでは海馬の神経細胞増殖分化が抑制されている可能性が示され、根本的治療は細胞の増殖力や分化力を元に戻すことであると考える人が増えてきた。
   このホームページでも、
1) FGF2対して拮抗作用を持つFGF9を脳に投与するとラットの鬱状態を誘導できること(http://aasj.jp/news/watch/4086
2) 神経幹細胞を増殖させる化合物NSI-189の第2相の治験で症状は改善されるが、海馬の大きさは変化なかった(http://aasj.jp/news/watch/4537
などを紹介してきた。
   今日紹介するフィンランド・トゥルク大学からの論文も神経細胞の増殖分化を調節できればうつ病を治せる可能性を示した研究でMolecular Psychiatryオンライン版に掲載されてた。タイトルは、「JNK1 controls adult hippocampal neurogenesis and imposes cell autonomous control of anxiety behaviour from the neurogenic niche(JNK1は海馬の神経細胞生成を調節し、神経細胞生成能をもつニッチに起因する不安行動を細胞自律的に調節する)」だ。
   断っておくが、この研究は全てマウスで行われており、またメカニズムの解析も不完全だと言わざるをえない。とはいえ、現象自体は面白いので紹介することにした。
   研究はJun転写因子をリン酸化して活性化するJNK1遺伝子がノックアウトされたマウスが不安を感じなくなり、これと並行して海馬の顆粒細胞の増殖と分化が上昇しているという発見から始まっている。ノックアウトマウスは最初からJNK1が存在しないため、成体でのJNK1阻害剤の効果を調べると、長期間投与を続けると不安反応が低下し顆粒細胞の樹状突起が増え、細胞数も増えることを明らかにしている。以上の結果から、JNK1はなんらかの理由で海馬の顆粒細胞の増殖と分化を阻害しており、これを抑制することで、海馬での顆粒細胞の数や機能が促進され、不安反応が低下すると結論できる。JNK1阻害剤は必ずしも特異的でないので、これを確認する目的でレトロウィルスベクターを用いてJNK1阻害配列を海馬に注入し、成体での効果もJNK1の特異的阻害によることを示している。
   話はこれだけで、ではうつ病ではJNK1の活性が上がっているのか(これを示す論文は存在する)など、実際のうつ病患者さんの解析が必要になる。うつ病に海馬幹細胞の増殖が関わっているという可能性はヒトで完全に証明されたわけではない。また、鬱状態で脳の酵素活性を調べることも簡単ではない。したがって、この発見をすぐに臨床応用することは難しいだろう。その意味で、Neuralstem cell Incが進める、幹細胞増殖活性化化合物の治験は重要な意味を持つだろう。これが成功裏に終われば、まず重症患者さんに限ってJNK1阻害剤などの治験も行われるようになると思う。その意味では、試験管内で人間の神経幹細胞を用いた研究が重要になる。
   重症のうつ病患者さんの治療の難しさを考えると、発展を期待したい。
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