2019年8月26日
腸内細菌叢がガンを含む様々な病気に影響を持っていることについてはもう疑う人はいない。とすると、経口で抗生物質を服用するという行為は、腸内細菌叢の構成に大きな変化をもたらしてしまい、対象となる病気だけでなく、予想しなかった病気のリスクを招く可能性がある。
実際、経口抗生物質を服用している人の方が、様々なガンのリスクが高まることを示す疫学調査も報告されている。ただ、がんのリスクを正確に調べるためには、抗生物質服用以外の様々な条件を揃える必要があり、これまでの研究は決定的とは言い難かった。
これに対し米国ジョンホプキンス大学のグループは、世界最大と言われる英国の医療電子データを用いて、他の条件をできるだけ揃えた大腸ガンの発生率調査を行い英国消化器学会の機関紙Gutに報告した(Zhang et al Gut in press, 2019:doi:10.1136/gutjnl-2019-318593)
結果をまとめると次のようになる。
1)大腸ガンを発症したグループは、発症しなかったグループに比較して抗生物質の服用歴を持つ人が多い(71.3% vs 69.2%)
2)大腸ガンの発症で見ると、抗生物質の服用期間が長いほどリスクが高まる。
3)一方直腸癌で見ると、60日以上の服用歴のある人では、ガンのリスクが低下する。
4)15年以上長期の追跡が行えるグループではより大腸ガンリスクの上昇がはっきりする。
この研究の重要性は、英国のデジタルビッグデータを用いて、十分な対象数についてリスクを計算できた点で、驚くほどリスクが高まるというわけではないが、確かにリスクがあることは確認できた。
個人的には、この程度のリスク上昇では、抗生物質を使わないリスクと比べた時、抗生物質を避けるという決断はないと思う。したがって、今後は抗生物質の種類や、影響を受ける細菌を特定して、より安全な抗生物質の使用法を確立してほしい。
2019年8月23日
ニーマンピック病はスフィンゴミエリナーゼと呼ばれる酵素が欠損する病気で、最も重いものでは早くから進行性の脳障害をきたす病気だ。酵素活性がある程度残っている患者さんでは、脳は正常だが、スフィンゴミエリンの蓄積によるライソゾーム機能異常により、肝臓脾臓腫大、呼吸機能低下が起こる。最近、この酵素を注射すると体の様々な臓器に取り込まれて、リソゾーム機能が回復することが示され、脳障害のない子供を治療する治験が進んでいる。しかし、酵素は脳に到達できないので、脳症状は遺伝子治療が最も近道と考えられてきた。
実際、モデル動物を用いて脳に直接アデノ随伴ウイルスベクターに組み込んだ遺伝子を注射する研究が行われてきたが、ウイルスベクターが万遍なく脳に広がらないため、局所的にスフィンゴミエリナーゼの発現が高くなりすぎ、その結果スフィンゴミエリンの分解物が強い炎症を引き起こすという問題が立ちはだかっていた。
これに対し、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究グループは、この問題をアデノウイルスに組み込んだスフィンゴミエリナーゼ遺伝子を小脳延髄槽に注入することで解決できることを示し、この病気の遺伝子治療を一歩進めることに成功した。(Samaranch et al, Adeno-associated viral vector serotype 9–based gene therapy for Niemann-Pick disease type A Science Translational Medicine 11, eaat3738).
この研究のミソは、向神経性の強いアデノ随伴ウイルスベクター(AAV9)を用いたことと、図に示したように小脳と延髄の間にある脳室にウイルスを注射した点にある。
詳細は全て省くが、私が理解した限り、マウスでは小脳だけでなく、海馬から皮質に至るまで神経細胞とグリア細胞の両方にスフィンゴミエリナーゼを発現させることに成功し、運動機能、記憶機能の回復とともに、通常30週ぐらいで始まる死亡を完全に抑制することに成功している。
もちろん同じプロトコルが人間で有効かどうかはやってみないとわからないが、脳症状については根本的治療方法がない現状で、一刻も早く実際の治験に進んで欲しいと思う。マウスでの前臨床データから見る限り、臨床治験に進むのを躊躇する理由は見当たらない。そして、ぜひ現実的な価格で治療を受けられるようにして欲しいと思う。
2019年8月22日
おそらく人類誕生以来、人間は戦争を繰り返してきた。確かに、未開民族の研究では、多くの戦争は相手を殲滅させる全面戦争というより、できるだけ生命の犠牲が少ない形で白黒をつける儀式と考えられているが、数千年前、帝国が誕生し国家間の戦争が始まると、全面戦争が普通になっていったことは、多くの資料が物語っている。
この生存を重視する自制に基づく限定戦争から、全面戦争への転換がいつ起こったのか、それぞれの文化や民族が持つ国家観によるところが大きいが、マヤ文化では9−10世紀の古典時代の終期以前には、集団の間で争っても、全面戦争を防ぐ合意が存在していたと考えられてきた。
ところが最近米国地質学研究所のグループは、マヤ文明でも7世紀にはすでに相手を殲滅する目的の全面戦争が行われていたことを碑文と発掘資料から明らかにしNature Human Behaviourに発表した (Wahl et al, Palaeoenvironmental, epigraphic and archaeological evidence of total warfare among the Classic Maya , Nature Human Behaviour :https://doi.org/10.1038/s41562-019-0671-x )。
全て詳細は省くが、この研究では碑文に書かれた「(西暦に換算して)696年5月21日にがWitznaがPuluuy(燃え尽きた)」という表現が、どの程度の破壊であったのかを、Witzna近くの湖の炭素沈殿物から推察している。
結果は碑文と一致して、400年から650年まで何回か大きな火事が起こったこと、650年に最大の火事が起こって、その後人間の活動がこの地域からほとんど消滅したことを発見している。
この結果は、Puluuyという単語が、単純な火事を指すのではなく、全面戦争という意味を持っており、650年の戦争で、その地域は人間が生活できないところまで完全に破壊されたことを物語っている。
これまでマヤ古代文明では、わが国と同じでその地域の支配者やその一族が犠牲になることで、戦争は終わると考えられてきたが、そうではなかったという結論だ。
これと比較すると、わが国で多くの争いを終わらせた切腹という儀式がいかに人道的なものであったのかよく理解できるが、ひょっとしたらこの背景には、天皇という、独立した国家観が君臨していたおかげかも知れない。
2019年8月19日
毎日書いている論文ウォッチは主に生命科学の大学生以上を対象としているので、一般の方に対する情報としては少し難しい。そこで、今日から一般の方にもわかりやすい論文を紹介する「生命科学をわかりやすく」というセクションを設けることにした。毎日紹介することはできないが、こちらもぜひ読んでほしい。原則として、査読を受けた論文を対象としているので、間違った情報が発信される確率は低いが、もちろん捏造という場合もあるので、そこは大目に見てほしい。
第一回目の今日はウィーン医学大学からの論文で、最もよく処方される薬剤の一つ、胃酸を抑制する抗酸剤の使用が、アレルギーを増やしているという研究でNature Communicationに掲載された(Nature Communications (2019) 10:3298 | https://doi.org/10.1038/s41467-019-10914-6)。タイトルは「Country-wide medical records infer increased allergy risk of gastric acid inhibition (オーストリア全国の医療記録から胃酸抑制によりアレルギーのリスクが高まることが推察される)」だ。
この研究は最初から制酸剤を投与するとアレルギーリスクが高まるということを仮定して研究を進めている。2009年から2013年までの期間、オーストリアで処方された制酸剤、抗アレルギー剤、そして高脂血症や高血圧に対する一般的な処方を抜き出し、それぞれの薬剤が組み合わさる確率を調べただけの研究だ。これにより、制酸剤とアレルギー発症の関係を調べられると期待できる。
結論は明確で、様々な制酸剤(プロトンポンプ阻害剤が一番多い)が処方された後、抗アレルギー剤が処方される確率は、全オーストラリアで2倍近くに達し、一部の地域ではなんと3倍に達するという結果だ。
女性の方が影響を受ける確率が高く、また60歳以上の高齢者は、20歳以下の若者よりリスクが高い。
様々な原因が考えられるが、制酸剤の免疫細胞への直接作用よりは、胃酸をおさえて食べ物の消化が抑えられることで、抗原が分解されずに摂取されることが、最も大きく寄与しているようだ。
他にも原因は考えられるが、原因追及より先に制酸剤の処方をもう少し慎重に行うことが重要だと思う。