6月17日:類人猿の精密なゲノム解読(6月8日号Science掲載論文)
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6月17日:類人猿の精密なゲノム解読(6月8日号Science掲載論文)

2018年6月17日
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2005年、チンパンジーゲノムの解読が報告され、「単一塩基の違いが1.2%」という数字が一人歩きしている感がある。私はこれを「猿の惑星症候群」と名付けている。すなわち、サルもちょっと変われば言葉を話して人間と同じになると考えてしまう「傾向」で、一部のサル学の人たちのサルへの愛情が色濃く反映されてしまっているように思う。

実際、どのような変異がヒト、特にヒトの脳の進化に関わっているかを考えると、このブログでも紹介したように、小さな領域で起こる重複が関わっている可能性が高まってきたが、これまでの精度の解読はほとんど役に立たない。最も致命的なのは、ヒトゲノムを下敷きにしてしまって、猿のゲノムにヒトゲノムのバイアスを加えて「猿の惑星症候群」に手を貸してしまった。

今日紹介するワシントン大学を中心とする論文はかなりレベルの高いオラウータン、ゴリラ、チンパンジーのゲノム解析の論文で、このデータはヒトへの進化を理解するのに役立ちそうな予感がする研究で6月8日号のScienceに掲載された。タイトルは「High-resolution comparative analysis of great ape genomes(類人猿のゲノムの高精度比較解析)だ。

まずこの研究では、一分子シークエンサーを用いて一度に長い配列をしかも100回近く繰り返して読むことで、ヒトゲノムを下敷きにせず構成している。この結果、ゲノム解析で残されていたギャップは平均で100倍近く減らすことに成功、また一分子シークエンサーを使いつつ、99%を越える精度に達している。その結果、ヒトには存在しない遺伝子についても数多く発見でき、進化を詳しく追いかけられるようになった。

この解析データに基づき、様ざまな議論が行われているが、あまりに膨大なので今日は神経進化に関して面白いデータだけをつまみ食いして紹介する。

まず脳の進化の駆動力として注目が高まっている大きな構造変化を調べると、なんとヒト特異的変化の139箇所が遺伝子調節の最も重要なスーパーエンハンサーに集中している。従って、脳の遺伝子発現は人間と猿で随分違っていると考えていい。例えば脳とは関係ない例で示すと、男性ホルモン受容体のエンハンサーでも重複による構造変化がみられる。それぞれの種を比べると変化により新しい構造ができており、この結果人間がペニスの骨を失い、ゴリラは雄の猛々しさを演出しているの可能性を示唆している。このように構造的変異は多様な形質変化の原動力であることがわかる。

さて、このような構造変化と、脳の様々な細胞での遺伝子発現を比べ、脳の進化に関わる大きな構造変化を探している。このような研究が様々な類人猿で可能なのは、ゲノムを調べた個体のiPSが樹立されていることで、分化させた細胞の単一細胞レベルの遺伝子発現を統計的に処理することで各系列の遺伝子発現を決めることができている。この結果、ヒトの幹細胞radial gliaと興奮神経で発現があがっている遺伝子、および発現が低下している遺伝子を特定している。

この中で、ヒト特異的に発現が低下させていると考えられる遺伝子はradial glia細胞に集中しており、遺伝子発現低下に関わる構造変化の実に41%を占めている。このことから、進化にはより遺伝子発現セットを単純化することが重要になるのかもしれない。一方ヒト特異的構造的欠失はradial gliaにも興奮神経にも濃縮されている。他にも、ヒト特異的新しい遺伝子がこのような構造変化から生まれることはすでに証明されている。今回発見された「意味深」な領域の様々な機能解析がこれから始まるという予感がする。 以上のように、ヒト脳進化の入り口にようやく立てたというところだが、この研究の貢献度は大きいと思う。個人的にも、ヒトの脳の進化に関しては目が離せない時代が来たように感じている。

山中iPSが可能になった時、この論文の著者の一人Gageは、まず類人猿のiPSを樹立すると興奮していたが、この先見性が今実を結ぼうとしているのを実感する。
カテゴリ:論文ウォッチ