2019年5月3日
デニソーワ人に関しては2つの大きな謎があった。一つは、現代人の中でメラネシア人が5%という例外的に高いデニソーワ人ゲノムを受け継いでいる点、そして現代のチベット人やヒマラヤのシェルパの高地順応遺伝子の一つがデニソーワ人由来であることだ。
最初の謎については、先日紹介したように、デニソーワ人がポリネシアに直接進出して、14000年ぐらい前までそこで生活していたことが明らかにされ、今後この地域でのデニソーワ人の遺跡を探す研究が進むように思う。
一方、チベット人の高地順応遺伝子の由来がデニソーワ人だったという謎は、今日紹介する中国蘭州大学とドイツ マックスプランク研究所の共同論文により大きく前進した。タイトルは「A late Middle Pleistocene Denisovan mandible from the Tibetan Plateau(チベット高地で発見された中更新世後期のデニソーワ人下顎)」で、Natureに掲載された。
中国チベットの夏河洞窟から1980年に出土していた、アイソトープを用いた年代測定で16万年前後の骨と特定されていた、下顎骨と歯がすでに出土していたが、DNAはすでに破壊されており、ゲノム解析が困難だった。そこに登場したのが、最近古生物学で利用され始めたコラーゲンのアミノ酸解析技術で、たんぱく質自体は核酸より経時的変化に強いので、系統解析に使えると期待されている。
この研究では、この骨から6種類のコラーゲンを取り出し、そのペプチドの配列から系統樹を解析し、これまで発見されている人類の中ではデニソーワ人に最も近いことを明らかにしている。
新しいデータはこれだけだか、これが正しいとするとインパクトは極めて大きい。
- 同じ形状の下顎と歯はチベットを含む中国で中更新世人類として既に多く発見されており、今後の解析で、それらがデニソーワ人であることが確認される可能性が高い。
- 今回解析された歯の形状は初期ホモ・サピエンスと、中更新世人の中間に位置しており、デニソーワ人と考えても問題はない。
- デニソーワ洞窟以外のデニソーワ人が初めて発見され、今後骨格についてさらに研究が進む期待が持てる。
- 3000mの高地で発見されており、高地順応遺伝子の謎が解ける。
などだ。しかしでデニソーワ洞窟の歴史に関する論文やポリネシアへの移動から、デニソーワ人は暖かいところが好きかと考えていたが、氷河期の寒い時代に高地で生息していたとすると、極めて高い適応能力があった人類かもしれない。
2019年5月2日
ダウン症候群の子供を、母親の血液に漏れ出てきたDNAで出生前診断することは、すでに信頼の置ける検査として定着している。このように、増殖と細胞の破壊が並行して起こる場合は、その細胞由来のDNAが血中で検出できる。当然、同じことはガンでも起こり、バイオプシーの代わりに血液中のDNAでガンを診断する方法の開発が進んでいる。
ダウン症のように、ガンで特異的に見られる突然変異をマーカーとして使える場合は、治療効果や、再発、転移を診断するために利用できることも確認されている。しかし、存在するかもしれないガン細胞がどの遺伝子を発現しているのか全くわからない場合は、血中のDNAを網羅的に調べて、突然変異の同定から始める必要があり、簡単ではない。
今日紹介するマンチェスター大学を中心とする研究グループからの論文は、全遺伝子ではないが、ガンで変異で起こりやすい641種類の変異に焦点を絞って、血中のDNAにリストした遺伝子の変異があるか調べる簡易型の方法を用いれば、かなりの確率で新しいガンの遺伝子診断が可能であることを示した論文でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Utility of
ctDNA to support patient selection for early phase clinical trials: the TARGET
study (血中DNAを初期段階の臨床試験の患者さん選びに用いる可能性:TARGET研究)」だ。
この研究では、バイオプシーしたサンプルと、血中DNAに存在するガン特異的変異の存在を比べることで、ガンの診断を行うだけでなく、分子標的薬の治験の対象者を選ぶときに使えるか調べている。
まず決まった641種類の遺伝子に焦点を絞って純化した後増幅することで、ガン特異的変異についての信頼できるデータが得られられるようになっている。テクノロジーを見ていると、古代人の骨から採取したほんの少量のDNAの配列を調べる方法とほとんど同じで、一般に販売されているキットを組み合わせてデータが得られるように計画されている。
最初様々な条件を20人のサンプルで検討した後、22種類のガンと診断された100人の患者さんで、実際の臨床で治療のための最適な分子標的薬を選択できるかについて調べている。検査にかかる日数は、20−80日とばらつくが、平均33日で、現在イギリスでのゲノム診断が30日なので、実用的レベルに達している。
結果だが、バイオプシーによる遺伝子検査との一致率は79%で、十分実用的になってきたと言える。さらに、この方法では遺伝子コピー数の変異も調べられる点で、現時点でもバイオプシーを補完するところまでは間違いなくきている。
個々のガンで見ると、メラノーマ、小細胞性未分化ガン、乳ガン、大腸ガンなどで変異の発見率が高く、非小細胞性肺ガンや前立腺ガンが続く。特殊なガンを除くと、半分以上は遺伝子変異を見つけることができる。
ただ遺伝子変異があるからといって、ガンと診断できるわけではない。実際、前ガン状態でほとんど重要な変異が見つかる場合も多く、さらに同じ細胞がすべての変異を持つということをこの方法では決められない。
そこで、この研究では発見した遺伝子変異をもとに治療薬を決め治療するということに絞って検討している。すると、100人中41人で治療可能な変異が見つかっている。そのうち、17人は分子標的薬を使わず、通常の治療法を行なっている。13人は治験参加を断られている。残る11人は発見された変異に基づく分子標的薬を用いた治療を行なっている。
結果は、遺伝子変異を元に治療した場合のみ、腫瘍の縮小が見られている。残りの症例も、病状は安定して進行は抑えられたという結果だ。
以上をまとめると、末梢血10mlで、ガンの確定診断はできないが、ガンの遺伝子変異についてはかなりの確度で診断でき、ガンに合わせて治療選択するプレシジョンメディシンのためのとしてはかなり有望な検査に仕上がっていると思う。今後、500人規模の治験が予定されているので、期待したい。
2019年5月1日
腸管は免疫反応が誘導される最前線で、ここでの自然免疫状態に腸管内の細菌叢が重要な役割を演じている。この前線と司令基地としての所属リンパ節を結んでいるのはリンパ管で、このルートを通ってリンパ球や樹状細胞が腸管組織と所属リンパ節を行き来する。このため、所属リンパ節は、それぞれがカバーしている腸管組織の様々な状態が反映されている。ところが、腸内での免疫を考えるとき、私たちは全てを一括りにして考える傾向がある。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文は腸管各領域に所属するリンパ節の細胞構成と免疫機能を丹念に調べた研究で、このような検討がまだできていなかったと驚くとともに、好感が持てる研究だった。タイトルは「Compartmentalized gut lymph node drainage dictates adaptive immune
responses (各領域に分離されたリンパ節への流入は獲得免疫を規定する)」だ。
この研究では、十二指腸、小腸、大腸と所属リンパ節を領域ごとに分けて、それぞれの違いを丹念に調べ、免疫反応との関わりを調べている。特に新しいテクノロジーを使うわけでもなく、極めてオーソドックスな研究で、要するに問題設定が面白い点が評価された研究だと思う。結果は箇条書きにする。
- 所属リンパ節間の連結はなく、従ってそれぞれが独立した免疫の司令基地として働いていることが確認される。
- レチノイン酸のような脂肪に溶ける物質は、ほとんどが十二指腸で吸収され、所属リンパ節に直接流入するが、他のリンパ節へは循環に入ってからしか流入しない。これは、薬剤の効果を考えるとき重要。
- 樹状細胞の遺伝子発現を調べると各所属リンパ節間で大きな変化が見られる。また下部消化管に行くほど所属リンパ節には炎症を促進するタイプの樹状細胞が多くなり、一方制御性T細胞の流入を促進するケモカインを分泌するタイプは十二指腸所属リンパ節に多い。
- これを反映して、制御性T細胞は十二指腸所属リンパ節に多く、炎症性T細胞は下部消化管所属リンパ節に多い。
- 十二指腸、回腸に直接抗原を注射して腸炎の発症を調べると、回腸に抗原感作した時のみ炎症が起こる。
- 十二指腸に選択的に感染する寄生虫を感染させると、十二指腸所属リンパ節の制御性T細胞が減少し、トレランスの成立が低下する。
などを示している。様々な感染実験を組み合わせた、さすがロックフェラー大学と思える、オーソドックスな研究で、古い世代としては大変好感を持った。実際同じことが人でも言えるのか、さらに研究が必要だが、ワクチンや、食物アレルギーを防ぐといった観点から考えると、抗原の投与方法の開発で、より抗原特異的免疫操作が可能になるのではと期待する。
2019年4月30日
SLEを代表とする全身性の自己免疫病は女性に多い。私たちの頃は単純に男女の内分泌システムの違いがこの原因だとされてきた。しかし、性ホルモンが原因だとすると、なぜ思春期前、あるいは閉経後も女性に自己免疫病が多い状態が続くのかを説明できない。
この問題に対してVGLL3転写因子の男女での発現差が自己免疫病の発症頻度の差を決める可能性を示す論文がミシガン大学から4月18日号のJCI Insightに発表された。タイトルは「The female-biased factor VGLL3 drives cutaneous and systemic autoimmunity (VGLL3の女性優位の発現が皮膚と全身の自己免疫を駆動する)」だ。
タイトルにあるVGLL3はまだまだ機能が理解できているとは言えない転写に関わる分子で、脂肪細胞分化や、炎症に関わる可能性が最近指摘されるようになった。このグループは以前、VGLL3が女性の皮膚に男性の3倍程度発現している事を発見し、これが全身性の自己免疫病の原因になっているのではないかという可能性を指摘していた。
この研究では、この仮説を動物実験レベルで確かめるため、皮膚のケラチノサイトでVGLL3を過剰発現させた場合、全身性の自己免疫病が起こるか、トランスジェニックマウスを用いて調べている。この方法では、正常の5−50倍という高いVGLL3の皮膚での発現が誘導される。実験では雄マウスを用いており、これによりVGLL3の効果を性ホルモンとは切り離して検証できる。
結果は著者らの期待通りで、3ヶ月までにはケラチン層の肥厚を伴う強い皮膚炎症が誘導され、病理学的にも人のSLEとよく似ている。遺伝子発現で見ると、VGLL3過剰発現によりインターフェロンやケモカインなど多くの炎症性サイトカインが誘導され、これが炎症の引き金になっていることを示唆する。また、人間のSLE患者さんの皮膚での遺伝子発現と比べると、遺伝子発現プロファイルがよく似ていることが確認される。
次に皮膚に浸潤してくる細胞および、全身の免疫細胞状態を組織学、FACS、さらにCyTofと呼ばれる細胞内のタンパク質発現を単一細胞レベルで調べる方法を用いて調べ、皮膚病変はT細胞、B細胞、樹状細胞が浸潤する典型的SLE病変が起こり、おそらくこの結果として皮膚からのリンパ球を集めるリンパ節や脾臓での強いB細胞の増殖が起こっていることを示している。
この結果として、SLEの代表的な指標である抗DNA抗体をはじめとする自己抗体が上昇し、腎臓にも抗体の沈着が見られることを示している。
以上の結果は、VGLL3の発現が女性で高まるため、炎症性のサイトカインが慢性に分泌され、毎日壊されている皮膚の自己抗原が自己免疫を誘導、その結果B細胞全体の活性が高まるのがSLEではないかと示唆している。
実際には、この分子が皮膚で欠損した場合どうなるのか、自己免疫を誘導した後皮膚からこのトランスジーンを除いたらどうか、など鍵になる実験が欲しいところだが、これが本当なら全身性の自己免疫の治療や予防に向けた明確な戦略が一つ新たに生まれたことになる。
2019年4月29日
うつ病は現代社会にとって緊急課題になってきているが、最近経頭蓋的磁場照射を含む様々な新しい治療が開発されてきた。中でも麻酔剤ケタミンを一回投与するだけで、うつ症状が即座に軽快することがわかり、特に自殺防止の点から大きな期待を集めている。この発見は、低調だった向精神薬の開発を加速させ、最近ではエスケタミンという薬剤がFDAにより認可され、本当にこんな高価な薬剤をケタミンの代わりに使っていいのか話題を呼んだ。ケタミンは確かに即効性があるが、長期的観察では効果がなくなるため、臨床試験だけでなく、並行して動物実験による効果のメカニズムを明らかにする必要がある。
今日紹介するコーネル大学からの論文は、マウスにコルチコステロイドホルモンを投与するといううつ病モデルを用いてケタミンが神経伝達のダイナミズムを反映する神経軸索でのスパイン形成にどのような影響を及ぼすか調べた研究で、4月12日のScienceに掲載された。タイトルは「Sustained rescue of prefrontal circuit dysfunction by antidepressant-induced spine formation (前頭前皮質回路の異常を抗うつ剤によるスパイン形成が持続的に回復させる)」だ。
この研究では、まず生きたマウスの脳の中のスパイン形成を継時的に観察し続け、うつ状態により新しいスパイン形成が低下し、逆にスパインの消失速度が高まることで、スパイン形成が強く抑制されること、そしてケタミンを一回投与すると24時間でスパインの形成がん元に戻ることを発見している。
このスパインの回復は、全く新しいスパインの回復だけでなく、半分以上はうつ状態で消失したスパインが回復することを明らかにしている。
次にカルシウムを検出するイメージングを用いて観察視野内でのシナプス活動を調べると、スパイン数の低下を反映して、うつ状態になるとシナプス活動が低下し、それをケタミンによって回復させられることを明らかにしている。すなわち、スパイン形成は生理学的変化と並行している。
さらに、行動とスパイン形成、シナプス活性をつなぐ目的で、マウスの尻尾を持ってぶら下げたときに体を元に戻そうと努力するモチベーションを調べるテストを用いて、それぞれの関係を調べている。このテストで見ると、うつ状態では元に戻す意欲が低下しているが、ケタミンで回復させることができる。
この3つの指標を同時に調べると、行動に対するケタミンの効果は、スパインの回復に先立って起こり、神経回路の回復と一致している。したがって、スパイン自体はケタミンによる神経活動の回復による二次的効果であることがわかる。次に、東大の河西さんたちが開発した方法を用いてスパインを消失させ、ケタミンの効果を調べることで、ケタミンにより神経活動が回復した結果として形成されたスパイン形成は、体を元に戻そうとするモチベーションが長期間維持されるために必要であることも示している。
以上は全てモデル動物の話だが、このような基礎的研究の上に新しい薬剤を地道に開発する努力が必要かと思う。その意味で、新しい点鼻薬についても、くり返し投与がどのような効果があるのか調べてみたいと思う。
2019年4月28日
最近様々な媒体を使ったコマーシャルで、短鎖脂肪酸を作るXX菌をキャッチフレーズにしているのを耳にする。この背景には、腸内細菌のバランスを整えるとか、悪玉菌を追い出すとかといった宣伝を行ってきたものの、何百、何千種類もある細菌を本当にコントロールして、例えばヨーグルトの因果性をはっきりさせられるのかという反省がある。一方(私の研究室の大学院生だったということで、論文紹介を控えているが)、一つ一つの菌を地道に調べて、因果性のはっきりした素晴らしい研究を行なっている本田さんたちの論文を読むと、何が善玉で、何が悪玉かを決めるためには血の滲むような努力に裏付けられた最新のメカニズム研究が必要であることがわかる。もちろんまともな企業ならこんなことはわからないはずはなく、今度は因果性が大事だと思い直し、その結果糖尿病や肥満との因果性が明確な物質「短鎖脂肪酸」をキャッチフレーズにし始めたように思える。ただ、短鎖脂肪酸と一括りにすると、思わぬ落とし穴がある。
今日紹介する腸内細菌研究先進国と言えるオランダ・フロニンゲン大学からの論文は、短鎖脂肪酸でも糖尿を防ぐものと、促進する両方があることを示した論文でNature Genetics4月号に掲載された。タイトルはズバリ「Causal
relationships among the gut microbiome, short-chain fatty acids and metabolic
diseases(腸内細菌叢、短鎖脂肪酸、代謝病の間の因果関係)」だ。
この研究の目的は、膨大な細菌叢ゲノムデータから、特定の短鎖脂肪酸、そしてホストの代謝状態との因果性が明確な細菌を割り出そうとする研究と言える。基本的には、ビッグデータ処理研究だが、その結果明らかになったのは、
- PWY-5022として知られるGABAを分解してブチル酸を作る経路とインシュリン感受性で、この経路に最も貢献している細菌としてEubacterium rectale, Bacteroides pectinophilus, Roseburia intestinalisと、あまりなじみのないバクテリアが並んでいる。中でもEubacteriumの貢献度は高く、その意味でこの指標については善玉菌と言えるのかもしれない。
- 一方比較的測定が簡単な短鎖脂肪酸プロピオン酸と糖尿病を相関させると、プロピオン酸の合成が2型糖尿病の原因になること。
を明らかにしている。
要するに、短鎖脂肪酸といっても2種類あって、それぞれを作るバクテリアは違っているため、善玉、悪玉ということが言えることになるが、だとすると我が国の食品メーカーも、このレベルのデータを提供して、善玉だ、短鎖脂肪酸だと議論してほしいものだと思う。
しかも、プロピオン酸についてはもう一つ問題がある。腸内細菌叢でも作られるのだが、食品の保存剤として広く用いられている点だ。我が国の現状は把握していないが、この問題を警告する論文が先週号のScience Translational Medicineに掲載された(Tiroshet
al, Science Translational Medicine 11:eaav0120(2019))ので短く紹介しておく。
なぜプロピオン酸が危険かというメカニズムを調べた論文で、最終的に人間でもテストを行った研究だ。まとめてしまうと、プロピオン酸は自律神経を介して、グルカゴンやFABP4の分泌を高め、その結果肝臓でのグルコース合成を高め、高血糖を誘導するという結果だ。この2型糖尿病を誘導する効果は、米国で通常食品保存に用いられる量でインシュリン抵抗性が高まり、逆に食事制限によるダイエットについてのコホート研究の参加者について、血中プロピオン酸とインシュリン抵抗性を調べると、プロピオン酸が低下によりインシュリン反応性が高まり、代謝が改善することを示している。
我が国の現状は知らないが、短鎖脂肪酸を食品メーカーが宣伝のキャッチコピーに使うなら、ぜひプロピオン酸の問題も指摘して、消費者が悪い短鎖脂肪酸を避け、良い短鎖脂肪酸を利用できるようにしてほしいものだ。
2019年4月27日
静脈麻酔や内視鏡手術が増加したとはいえ、全身麻酔による手術は今でも大活躍していると思うが、なぜ全身麻酔が可能かについては、実はよくわかっていない。生化学的な解析から、麻酔剤はGABA受容体を抑制することで脳の活動性を下げる可能性が示唆されているが、最近ケタミンがグルタミン酸受容体を抑えることが明らかになり、ともかく脳活動を全般に下げるのが麻酔と考えることができる。
この考え方に対し、生理的な眠りとの関係を重視する人たちは、麻酔剤により特定の神経細胞がまず興奮し、そこからのシグナルが眠りを誘導するという考えが最近注目されている。今日紹介するデューク大学からの論文はこの考えに基づき、視床下部の視索上核の神経内分泌系に属する神経群が麻酔剤により刺激され、眠りを誘導することを明らかにした研究で6月5日号のNeuronに掲載された。タイトルは「A Common Neuroendocrine Substrate for Diverse General Anesthetics and Sleep(様々な全身麻酔と睡眠を誘導する共通の神経内分泌回路)」だ。
この研究は最初から全身麻酔で特別に活性化される神経細胞があると決めて、活動したばかりの神経を標識するFOSの発現を脳全体で調べると、確かに全体の神経活動は低下しているが、視索上核に興奮細胞の塊が見られることを、組織学的、生理学的に確認している。
この細胞の特性を調べると、これまで考えられていたGABA神経ではなく、バソプレシン、ディモルフィン、オキシトシンなどのペプチドホルモン作動性の神経であることが明らかになった。
あとは本当にこれら細胞の興奮が麻酔状態を誘導するか調べることになる。ただ、ペプチドホルモン作動性といっても多様なので、遺伝学的操作が難しいが、この研究では麻酔によって一度活性化された細胞を永続的に遺伝的にマークする方法を用いて、麻酔で活性化(AAN)される視索上核の細胞だけを遺伝子操作することに成功している。
この結果、化学物質で視索上核のAAN細胞を刺激できるように操作したマウスでは、刺激により周期の低い脳波を特徴とする睡眠(SWS)が誘導される。また、光遺伝学でこの領域を短期間刺激するだけでも、睡眠が促進され、また麻酔の効果が高まる。
逆に視索上核AANを除去したり、活動を抑えると、麻酔効果が短くなり、また睡眠が阻害される。
重要なのは様々な麻酔剤で同じ領域が興奮し、しかも睡眠が誘導される前にこの領域が活性化されることだ。さらに、これらの神経が下垂体と連結する神経内分泌系の細胞で、この興奮により神経だけでなく、様々な身体状態の調整を下垂体を通して行うことが可能になっていることになる。
データを見ると、差が大きくなかったり、またなぜ神経が興奮するのかという点については明らかではないが、この歳になってようやく麻酔がどう効くのか納得することができた。
2019年4月26日
T細胞依存性の抗体産生にはCD40とCD40Lの相互作用が必要で、ノンカノニカルNFkB経路も含めて、その生化学的基盤はよく解析されている。実際、CD40Lの欠損した患者さんではクラススイッチが起こらず、IgMの血中濃度が上昇する。当然この分子を標的にすれば、自己抗体の産生を抑えることができるはずで、PD-1と同じような抗体治療が考えられる。実際、昨年抗CD40抗体を用いた治験がドイツから報告された。
CD40Lに対する抗体も同じ効果を持つと考えられるが、血小板に発現しているため、抗体投与により血栓ができることがわかっていた。今日紹介するベンチャー企業Viela Bio社、アストラゼネカ社、Medimmune社から共同で発表された論文は、ファージライブラリーでCD40Lに対する中和ペプチドを特定し治療に使う研究で4月24日号のScience
Translational Medicineに掲載された。タイトルは「A CD40L-targeting
protein reduces autoantibodies and improves disease activity in patients with
autoimmunity(CD40を標的にするタンパク質は自己免疫病の患者さんの自己抗体を低下させ病気を改善する)」だ。
昨年のノーベル化学賞受賞者の一人はWinterだが、彼はファージウイルスの表面にランダム配列を持ったペプチドを表現させ、目的のタンパク質に結合するタンパク質を特定する方法を開発してきた。この研究でも基本的にこの方法でCD40Lの機能阻害をするタンパク質を探索し、最終的に342と名付けたタンパク質を特定している。
このペプチドはCD4Lの機能を阻害するが、血中ではすぐに分解されてしまうので、この分子を血清中で安定なアルブミンに結合させ、VIB4920と名付けた阻害剤を開発している。
あとはVIB4920の安全性と効果を確かめるための臨床試験を行い、
- VIB4920は血清中の半減期が9.27日で安定している一方、血小板の凝集作用はなく、1500mgまで問題なく利用できること。
- VIB4920に対する抗体が100-300mg投与では誘導されるが、これは3000mg投与群ではほとんど見られなかった。
- T細胞依存的抗体産生を抑制する。
- リュウマチ患者さんの症状を改善し、自己抗体を抑制する。
ことを明らかにしている。
以上の結果から、ファージライブラリー法を用いて開発した機能阻害タンパク質も、今後抗体治療を補完する方法としてかなり有望であることが示されたと思う。完全に把握しているわけではないが、これが臨床で利用されるようになれば、このファージライブラリーから生まれた薬剤としては早い方ではないだろうか。個人的にはこの方法にあまり期待していなかったが、考えを改めることにする。
2019年4月25日
宇宙飛行士はもうすでに何百人にも達しており、今や一般の人の宇宙飛行も視野に入ってきているようだ。まだまだトップジャーナルを賑わすというところまではいかないが、宇宙飛行による医学実験の論文も着実に増えてきている。それでも宇宙飛行士の数は人口のほんの一部で、また特殊な訓練を受けているため、宇宙飛行自体の影響を純粋に取り出して調べるのは簡単でない。
今日紹介するコーネル大学を中心とした研究グループからの論文は、一卵性双生児で共にNASAのミッションに参加しているペアのうち、一人が1年の宇宙飛行、もう一人が地上勤務についているという条件を選んで、宇宙飛行の身体への変化を調べた論文で4月12日号のScienceに掲載された。タイトルは「The NASA Twins Study: A multidimensional analysis of a year-long human spaceflight (NASA 双生児研究:1年にわたる宇宙滞在の影響を多面的に解析する)」だ。
一卵性双生児で、共に宇宙飛行士の訓練を受けているという2人なので、かなり純粋に宇宙飛行の影響を調べることができそうだ。実際、飛行前の検査では、ほとんどの項目で違いはない。しかし、よくここまで徹底的に解析を行ったと思う。生化学、脳科学、エピゲノム、遺伝子発現、免疫機能、代謝機能、腸内細菌、プロテオミックス、循環生理、テロメアまで飛行前後は言うに及ばず、飛行中まで詳しく調べており、大変な研究だと思う。実際、長い長い論文で、データも多く、読むのに苦労した。
もちろん全部紹介する気は毛頭ないので、興味を惹いた話だけを列挙しておこう。
- リンパ球の遺伝子発現の変化を見ているが、フライト中に遺伝子発現は確かに変わるが、地上に戻ると正常化する。さらに、ワクチンに対する免疫反応は、ほぼ同じレベルで保たれる。
- 驚いたのは、フライト中にテロメアが長くなることだ。この原因はよくわからないが、フライト中に血中の葉酸値が低下するので、これが原因かもしれない。
- 大便を採取して細菌叢まで調べており、フライト中にバクテリア種の変化が見られるが、これは地上に戻ると元に戻る。
- 無重力状態で骨のカルシウム代謝が変化する事は予想されているが、尿中のコラーゲンの分泌も上昇する。特に血管の構成成分であるCol3Aが分解されているとすると、注意が必要。
- 当然のことながら、体液代謝の変化が起こり、そのバイオマーカーとして尿中のアクアポリン2の量が上昇する。他にも、レニンアンギオテンシン回路に関わるタンパク質の尿中の上昇も見られる。
- 一旦長くなったテロメアは、地上に戻ると今度は急速に短くなり、これはなかなか回復しない。原因も含めて今後追及が必要。
- テロメア同様、ゲノムの不安定性を示す転座や欠失はフライト中に上昇し、帰還後も元に戻らない。
- これまで指摘されていたように、乳頭浮腫、遠視、綿様スポット、脈絡膜のシワなど様々な眼科的変化が起こる。特にいくつかの症状は地上に戻っても継続するので、今後の重要な問題になる。
- 無重力による循環動態の変化は最も研究されている重大な問題で、普通下肢に停留する2リットルもの体液が上部に移行する。この状態が続くことで、血管の慢性的変化が誘導されることになり、同じ変化が今回も見られている。
- 驚くことに、帰還後炎症性のサイトカインの上昇が見られる。
- 認知機能が帰還後低下する。ただこの長期の影響については不明。
短くと思ったが、すでにこんなに長くなった。はっきり言って、一般の人にはあまり関係のない話だが、要するに宇宙飛行には健康リスクが伴うことを、一卵性双生児の宇宙飛行士ペアという稀有の機会をとらえて調べ抜いた研究グループに脱帽。
2019年4月24日
ウイリアムズ症候群(WS)は、言語と脳が話題になる時必ず言及される病気だ。というのも、知能の発達の遅れにも関わらず、言葉を話す能力が極めて高い不思議な特徴を持つからだ。これと並行して、「天使のように愛くるしい」と形容される人懐っこさ、そして初めて人でも不安を持つことなく近づく社交性を同時に持っていることから、言語能力が社会性と強く相関していることを示す一つの例になっている。
病気の原因は7番染色体の一部が大きく欠損するため、片方の染色体で26種類の遺伝子が欠損するため、実際には様々な身体の発達障害を示す複雑な疾患だ。最近、同じ領域の小さな欠損を持つWSが発見され、GRF2I転写因子の欠損が特徴的な顔貌と精神発達障害に関わることが明らかになった。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文はマウス神経細胞のGtf2i遺伝子を欠損させたモデルマウスがWSのモデルとして利用でき、さらに発達障害の治療も可能であることを示した画期的な研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Neuronal
deletion of Gtf2i, associated with Williams syndrome, causes behavioral and
myelin alterations rescuable by a remyelinating drug (ウイリアムズ症候群に関わるGtf2iの神経細胞特異的ノックアウトは再ミエリン化薬剤で治療可能な行動とミエリンの変化の原因)」だ。
この研究では前頭葉の興奮ニューロン特異的にGtf2i遺伝子をノックアウトしたマウス(cKOs)を作成し、WSと比べながら調べ、以下のような結果を得ている。
- WSでは大脳皮質の縮小が見られるが、同じような皮質の現象が見られる。
- WSは高い社交性と、不安の欠如が見られるが、cKOsの行動解析でも、同じように、他のマウスに対する高い社交性と不安行動の低下が見られる。
- cKOsの遺伝子発現を調べると、なんと低下する遺伝子の7割がミエリン合成に関わる分子で、実際脳のミエリンの厚さが低下して、神経伝達速度が低下していることがわかった。そこで、WSの脳の遺伝子発現とミエリンを調べると、cKOsと似たミエリン厚の低下と、ミエリン関連遺伝子の発現低下が見られた。
- カリウムチャンネルをブロックして神経伝達機能を高めるアミノピリディンを投与すると、運動機能が正常化し、さらに社会性が高いという変化も正常化する。
- オリゴデンドロサイトの文化を誘導しミエリン形成を高めることが知られており、現在はアレルギー症状改善に用いられるクレマスチンを投与すると、ミエリンの厚みが増し、社会性も元に戻る。
- Gtf2iを片方の染色体のみ欠損させた、よりWSに近いモデルマウスでもWSと同じような症状とミエリン形成異常が起こる。
以上の結果から、WSの精神発達障害のかなりの部分はGft2i遺伝子の欠損で説明でき、しかも薬剤による治療可能性があることを示した画期的研究だと思う。臨床試験がうまく進むことを期待したい。