11月6日MRSA制御に向けた膜生物学(11月16日号Cell掲載論文)
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11月6日MRSA制御に向けた膜生物学(11月16日号Cell掲載論文)

2017年11月7日
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MRSA(Methicilin resistant staphylococcus aureus:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)は様々な抗生物質に対する耐性を獲得したブドウ球菌で、多くの場合病院で感染する。元々は常在菌だが、一旦発病すると治療が難しく、現在最も重要な感染症の一つになっている。このため、以前にも紹介したが(http://aasj.jp/news/watch/2724)、世界中で新しい制圧方法の開発が進められているが、この時紹介した耐性菌が発生しない抗生物質も2年経ったがまだ実際に使えるところまで進んでいないようだ。探索を加速させるために重要なのは、MRSAの生理を理解することで、これには当然細菌学についてのプロの技が必要だ。 今日紹介するスペイン・マドリッドのバイオテクノロジー研究所からの論文はMRSAの細胞膜に注目して新しい抑制経路を調べた研究で、新しい細菌学、というよりは細菌・細胞学の粋を見ることができる研究で11月16日発行予定のCellに掲載された。タイトルは「Membrane microdomain disassembly inhibits MRSA antibiotic resistance(膜のミクロドメインの分解はMRSAの抗生物質耐性を阻害する)」だ。

私たちの細胞の膜は均一ではなく、細胞膜上の機能的タンパク質が濃縮した密度の高い領域が存在し、ラフトと呼ばれている。このグループは、MRSAの細胞膜を理解するにはこのラフトに対応する機能的膜マイクロドメイン(FMM)の生化学から新しい治療方法の開発が見えると考え、MRSAの細胞膜からディタージェントで分解しない領域を集めて成分分析を行い、FMMの主要脂質成分がstaphyloxanthinで、この脂質が膜タンパク質のFlotillinと結合するとその重合を促進し、その結果として分子密度の濃いFMMが形成される事を明らかにする。さらに、高解像度の顕微鏡や電子顕微鏡を用いて、FMMが生化学的解析から推定される構造と分子構成を持っていることを確認している。

次にFMMに濃縮されているタンパク質を質量分析器で解析し、FMMにペニシリン結合タンパク質のひとつPBP2が濃縮され、Flotillinと結合してPBP2が重合体を形成することを明らかにする。

このPBP2重合体形成がペニシリン耐性に関わるのではないかと着想し、コレステロールを低下させるスタチンを用いてFMMの形成を阻害すると、Flotillinと共に、PBP2の重合が阻害され膜上に散らばることを突き止める。この結果に基づき、MRSAを感染させたマウスをオキザシリンで治療するとき、スタチンも同時に投与すると、マウスの生存率を延長できる、すなわちMRSAが耐性を持っている抗生物質でも、FMMを阻害するスタチンを同時投与することで治療が可能になることを示している。

研究は、細胞膜ラフトの研究者から見ると、それほど驚く結果ではないかもしれない。しかし、スタチンとの共用でペニシリンの効果を高めることができるという結果は、今後MRSA治療を考える上で大変重要な貢献ではないかと思う。実際、すぐにでも応用可能な方法で早期の治験を期待したい。調べる気になれば、細菌をここまでの分析が可能だとよくわかった。
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11月5日:発達初期の脳で進むDNAメチル化の意義(11月16日号Cell掲載論文)

2017年11月6日
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先週Cellのオンライン版には多くの面白い論文が掲載されていた。2週間に一回発刊なので、これから2週間にわたって幾つかを紹介していきたいと思うが、最初は生後の脳神経発達時、刺激により神経内に起こる転写レベルの変化を長期的に安定化させるプロセスに関わるDNMT3aの機能の話だ。

DNMTは新たにDNAをメチル化する酵素だが、決して闇雲にメチル化するわけではない。そのため、どの領域を特異的にメチル化しているのか、そしてメチル化の結果何が起こるのかを各細胞レベルで明らかにする必要がある。中でも注目されているのが脳発達でのDNMT3aの役割で、生後の脳発達期に上昇し、CGではなくCAをメチル化することがわかっている。さらにこの分子を脳神経細胞特異的にノックアウトするとMECP2が欠損するRET症候群と似た症状を示すことから、脳発達に重要な役割を演じていると考えられている。

今日紹介するハーバード大学からの論文はDNMT3aの脳発達での機能に正面から取り組んだ力作で11月16日号のCellに掲載予定になっている。タイトルは「Early-life gene expression in neurons modulate lasting epigenetic states(発達初期の神経細胞での遺伝子発現は長期間続くエピジェネテイック状態を変化させる)」だ。

これまでの研究でDNMT3aの発現は生後の脳発達の初期に高いことがわかっているので、著者らはまず脳皮質や海馬でDNMT3aが結合しているゲノム領域を調べ、1)生後2週間目の脳でDNMT2aは広くゲノム領域に結合しているが、この結合は8週目になると低下していること、2)強い遺伝子発現に関わるプロモーターやエンハンサー領域、また逆に完全に発言が抑制されている領域にはほとんど結合がなく、低いレベルの転写が起こっている場所に結合していることを明らかにする。

次にDNMT3aが結合していた領域の成熟マウス脳でのDNAメチル化状態を調べると、結合部位に一致してCAのメチル化が進んで、結果遺伝子発発現が安定的に低下していることを見出す。

これらの結果から、発達期での神経刺激による変化を安定化する役割がDNMT3a依存性のCAメチル化にあるのではと考え、グルタメート受容体刺激実験を行い、刺激によりDNMT3a結合が低下すること、この低下が刺激により遺伝子発現が上昇する結果であることを明らかにする。

すなわち、刺激で上昇した遺伝子はDNMT3aの結合から免れ、CAメチル化が起こらず、長期的遺伝子発現の抑制が回避されることを示している。また、この刺激依存性のCAメチル化パターンの変化は、抑制性ニューロンと興奮性ニューロンでは異なる遺伝子で起こることから、発生初期にそれぞれの神経系の運命がCGメチル化やヒストン修飾などのエピジェネティックな調節により決まった後、生後の刺激に応じて細胞ごとにさらに詳細な遺伝子発現のエピジェネティック調節のためにDNMT3aが働いていることを示している。そして最後に、比較的低い発現を示す遺伝子のCA領域にはMECP2遺伝子が結合してDNMT3aをガイドしていることも明らかにしている。

DNAメチル化の記憶や神経可塑性に関する機能だけでなく、MECP2欠損によるRETT症候群についても大変勉強になった論文だった。
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11月5日:エイリアンの姿を想像してみる(11月2日号International journal of astrobiology掲載論文)

2017年11月5日
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息抜きの最後は宇宙人の話だ。

最近の天文学の発展により私たちの住む銀河だけでも1兆個を超す惑星が存在することがわかってきた。最近では、地球に似た環境を持つ惑星の存在まで確認されている。とすると、我々が生命と呼べる存在はどこかにいるはずで、どんな形をしているのか、知性はあるのかなど考えてみることは面白い。もちろん、ウェルズの宇宙戦争から、スピルスバーグの未知との遭遇まで、エイリアンの姿を想像するのは自由だ。しかし、その姿に現実味があるのかは判断が難しい。地球上の生物でも、人間の想像力を超える姿が多く存在する。

今日紹介するオックスフォード大学動物学教室からの論文は、未知の生物を科学的に想像することが可能か議論した一種の意見論文で11月2日号International Journal of Astrobiologyに掲載された。タイトルは「Darwin’s ailien(ダーウィンのエイリアン)」だ。

科学的に演繹するとどんなエイリアンの姿になるのかと期待される方のために種を明かしてしまうと、結局ダーウィンの進化論以外にこの問題に答える考え方はなく、現存の生物を自然選択による複雑化という観点から見たとき、これに必要な最も重要な選択要因を満たした生物ならどんな姿もありうるという結論になっている。

論文では、地球上の生物は、1)遺伝、2)形質レベルの多様性の獲得、3)多様性の中からの成功者の選択可能性、を満たすことで多様性と複雑性を獲得したと定義した上で、エイリアンも複雑化するためには必ずこの条件を満たすべきと断じている。例えば、多様性が起こらない正確な複製機構が存在してしまえば、同じ生物が延々作られるだけで複雑化は起こらないというわけだ。

ではどうして進化は複雑化を伴うのか?これに対して、著者らは独立に異なる機能を進化させた部分を統合させてしまうような変革(例えば2種類の単細胞生物が一緒になってミトコンドリアや葉緑体が生まれたり、異なる細胞が集まる多細胞動物の誕生など)が生殖優位性をもたらす結果、複雑化するとしている。要するに、機能を多様化させることで、環境とのギャップを埋めることができるが、これを実現するためにはそれぞれの必要性を調整する大きなジャンプが必要だと結論している。

とすると、複雑化したエイリアンは必ず、1)部分が統合され協力し合う構造を持ち、2)異なる機能を調整する統合が行われており、3)これを可能にしているボトルネックと言えるポイントがある存在だろうと結論している。要するに、どんな姿を描いてもいいが、その姿を進化論に基づく複雑化の原理で説明する必要があるというのが結論だ。

結局エイリアンをネタにして、著者らの進化についての考えを述べた論文で、特に部分が機能を多様化させることによる衝突を調整することが複雑化の基礎にあることを強調している。ただ、この点については地球上の生物でも説明しきれていないため、説得力には欠ける気がする。しかし、エリアンの姿を想像してみるということを進化学の問いにすることで、新しい想像(創造)が生まれるかもしれないという期待はある。
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11月4日:ショパンの死因(The American Journal of Medicineオンライン版掲載論文)

2017年11月4日
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クラッッシック音楽ファンでなくてもショパンの音楽を聴いたことがないという人はいないと思う。映画でいえば、古いところで溝口健二や木下啓介から黒澤明、そして山田洋次など多くの監督が彼の音楽を使っている。熱情溢れる音楽から、静かな心に染み入る音楽まで様々なバリエーションがありいろんなシーンにフィットするのだろう。

このショパンは1810年ポーランドで生まれ1849年パリで39歳の若さで世を去るが、30歳になる頃から咳、呼吸困難、全身倦怠に悩むようになり、10月17日母国ポーランドから呼び寄せた妹夫妻や友人に見守られ世を去る。この時の死亡診断書には「肺及び喉頭の結核」と記載され、彼が結核にかかっていたことは通説になっている。

この時ショパンの希望で、彼の心臓が取り出されワルシャワの聖十字架教会に祀られるが、この行為が後の科学論争の種になるとは、ショパンも想像できなかっただろう。2008年この通説に対して、ワルシャワの分子細胞生物学研究所のWitt博士らが、ショパンの病気はのう胞性線維症ではないかと疑いを持ち、政府にDNA検査の許可を申請する。理由は彼の姉妹の2人にも同じような症状が見られることがわかったからだが、残念ながらこの時の申請は拒否されるが、その後2014年、ショパンの心臓の保存状態を調べる決定がなされ、この時Witt博士らに組織を調べる許可がついに出され、その結果がThe American Journal of Medicineオンライン版に掲載された。

残念ながらFigureにアクセスできないので、文章だけを紹介するが、結局結核だったと結論づけている。なぜ心臓を見ただけで結核と判断できるのかと疑問に思われるかもしれないが、ブランデーに浸して保存されていたショパンの心臓を包む心膜には多くの結節とヒアリン化が認められ、結核の中では最も深刻な結核性心膜炎にかかっていたことがわかった。さらに、著明な右心室肥大が認められることから、肺に慢性の疾患を抱えていたことがわかり、心膜炎から見ても肺結核と診断して間違いがないという結果だ。

Witt博士らが調べようとしたのう胞性線維症については全く言及がないので、おそらくネガティブだったのだろう。ひょっとしたら、いつか論文として現れるのかもしれない。あるいは全ゲノム解析の論文かもしれないなどと期待してしまう。

この論文を読んで初めて知ったのが、自分の心臓を母国に送りたいというショパンの熱情には感銘を受ける。是非一度聖十字架教会を訪れてみたいと思った。
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11月3日:右投げ左打ちの野手が大リーガーとして最も成功する(10月26日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2017年11月3日
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今日から連休なので、一般の生命科学論文ではなく、ちょっと変わった論文をいくつか紹介したい。多くの研究者の方に情報源として読んでいただいているが、数日はちょっとした息抜きぐらいに考えて、気楽に楽しんでほしい。

さて、The New England Journal of Medicineと言うと、The Lancetと共に臨床家や臨床研究者が一度は論文を載せてみたいと思う最もプレステージの高い雑誌だ。私は全くその機会がなかったが、現役時代再生医学の実現化プロジェクトを率いることになった時、メンバーとして選ばれた皆さんにこのプロジェクトではNatureやCellの論文より、The New England Journal of Medicine (NEJM)やThe Lancetに臨床結果についての論文を掲載してほしいとお願いしたのを覚えている。

この格式が高い NEJMでも短いコレスポンデンス論文なら息抜きになる内容を掲載してくれるのだという例が、今週号にオランダ・アムステルダム大学、ドイツ・オルデンブルグ大学、そして英国・ケンブリッジ大学のチームから発表された。タイトルは「The success of sinister right handers in baseball(右投げ左打ちが大リーグで最も成功する)」だ。なぜNEJMが大リーグでの成功率を掲載し、またなぜヨーロッパの大学チームがこの研究を行ったのかは不思議だが、右投げ左打ちのイチロー選手を輩出した日本人としてはなるほどという論文だ。

研究は単純で1871年から2016年までに大リーグでプレーした野手9230人の選手を右投げ右打ち(63%)、右投げ左打ち(11%)、左投げ左打ち(16%)、右投げ両打(5.5%)、左投げ右打ち(3.2%)、左投げ両打(1.%)に分類し、ピッチャーを除いた後、3割打者になった確率、野球殿堂入りを果たす確率を調べている。

  どちらの調査項目でも達成可能性のオッズ比が最も高いのがイチローの右投げ左打ちで、3割達成率がオッズ比で18.43で、右投げ右打ちの0.14、左投げ左打ち3.67と比べても群を抜いている。左打者は当然有利と考えられるが、それでも18.43はすごい。さらに野球殿堂入りの確率から見ても、右投げのスウィッチヒッターと比べてもオッズ比が倍になっており成功率が高い。要するに、右投げの選手が左打ちに転向することで野手としての成功率が上がるという結果だ。

話はこれだけで、これが科学かと疑問を感じる人も多いだろう。例えば英国の雑誌The Lancetなら掲載しただろうか。メカニズム解析という点ではほとんど何もわからないが、しかしデータを見ると現象としては面白い。すなわち、普通の人(右投げ)が、もう一方の脳を使う訓練をすると効果が上がることは、プロの運動を支える脳のキャパシティーを考える上では面白い。また、逆に左投げの野手が左打ちなるよう訓練した場合、成功率が極端に低いという結果はさらに面白い。まちがいなく、科学の芽があることは間違いない。

イチローの場合、お父さんが最初から左打ちを指導したらしいが、なぜ左打ちに改造しようという動機や、いつそれを始めたのか、その時の指導者の判断など、他の要因についての情報が得られないと、このまま結果を鵜呑みにするわけにはいかない。この辺は、ヨーロッパの学者にはわかるまいと思ってしまうが、なぜ彼らが野球に興味を持ったのか、それが私には一番不思議だ。
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11月2日:生物多様性を維持するための政策(11月2日号Nautre掲載論文)

2017年11月2日
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昨日はNautreの姉妹紙Nature Human Behaviourに掲載された論文を紹介したが、Nature自身もこれまで科学としては扱われてこなかった問題を扱う論文の掲載を意図的に進めているという感触を持つ。特に、南北問題についての政策へ提言につながる論文を積極的に掲載している印象がある。これは、20世紀に未解決のまま残された問題の解決には科学が最も重要だという信念があるからだろう。

今日紹介するオックスフォード大学動物学教室からの論文はまさにそんな例で、様々な要素についてのデータをもとに動植物の多様性を維持するための最も有効な政策を打ち出せる回帰モデルを提案した研究で今日発行のNatureに掲載されている。タイトルは「Reducition in global biodiversity loss predicted from conservation spending(保護に対する支出から予測される世界規模の生物多様性の低下)」だ。

統計学的にどこまで妥当か判断するほど知識はないが、この研究では生物多様性の保護条約に参加する各国のデータをもとに各国が何をすれば生物多様性を守れるのか予測できる独自の多変量回帰モデルを作成している。具体的には、自然保護国際連合から各動植物に関して報告された1996年から2008年までのデータを集めたRed Listを元に人間要因の影響と生物多様性保護政策を統合した多変量回帰モデルを作成して、生物多様性減少スコアを算出し、それぞれの国の問題点が浮き上がるようにしている。

この解析によると、アメリカ、オーストラリア、中国、インド、パプアニューギニア、マレーシア、インドネシアでは明確な生物多様性の低下が著しい。一方、モ−リシャス、セイシェル、フィジー、サモア、トンガ、ポーランド、ウクライナではこの期間に生物多様性は増加している。

詳細は省くが、一般的に最も影響の強い変数は、やはり生物保護のための支出だが、この影響も、経済発展速度や、農地への転用速度などに影響される。また、経済指標である一人当たりのGDPでは、中規模国で成長が高いと生物多様性の失われる速度が速くなる。一方、農地転用の影響を見ると、利用率が低い国で転用が進むと最も悪い影響があることが具体的数値として計算できる。

これらの結果をもとに各国の抱える条件に合わせた詳細な予測が可能で、例えばペルーでGDPなど経済要因が2003年レベルとすると生物多様性減少を50%にとどめるためには4.6百万ドル必要だが、社会経済学的状態が2012年レベルで計算すると5.7百万ドルが必要になるといった計算を示している。以上の結果から、このモデルはそれぞれの国についてかなり正確な予測が立てられると結論している。今回の研究は、各国の内的条件だけを変数にしているが、今後例えば中国での象牙の需要がアフリカ各国に及ぼす影響などを加えたさらに正確な推定が可能になることについての期待も述べている。

話は以上で、科学としての実感をあまり感じないが、政策への影響力が発揮できるなら、Natureに掲載する意味もあると思う。
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11月1日:自殺願望は診断できるか(Nature Human Behaviour掲載論文)

2017年11月1日
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10月8日に、私も参加した「芸術はなぜ人の心を動かすのか」と言うタイトルのNature Cafeを主催したのはNature Human Behaviourと言う新しいNatureの姉妹紙だが、パネルディスカッションには雑誌のチーフエディターのKoustaさんが来日し直々に司会をする力の入れようで、私も充実した時間を持てた。 だからと言ってお世辞を言うわけではないが、毎月この雑誌の目次を見るだけで、人間の行動の関わる広い分野をカバーする人間科学を目指そうとする意欲が感じられる。

17世紀、デカルトから始まる理性と普遍の科学は、人間を機械として扱わざるをえなかったが、これに反し真の人間学は先験的理性ではなく、センスス・コムニス(共通の感覚)から始めるべきだと主張したのがイタリアのジャンバティスタ・ヴィーコだ。しかしヴィーコの「新しい学」を踏襲しなくても、科学は18世紀の有機体論、19世紀の進化論、20世紀の情報理論を生み出し、21世紀には新しい人間学の世紀になると私は期待している。Nature Human Behaviourはこの機運をリードする雑誌に発展して欲しいと期待する。

前置きが長くなったが、今日紹介する米国ピッツバーグのカーネギーメロン大学からの論文は自殺願望を正確に診断する方法を開発する研究で、臨床精神医学、脳イメージング、機械学習と、様々な分野が集まったこの雑誌にふさわしい話だと思う。タイトルは「Machine learning of neural representations of suicide and emotion concepts identifies suicidal youth(自殺や感情的概念の脳内表象を機械学習させることで自殺願望のある若者を特定できる)」だ。

研究では、自殺観念を持っている人と、そうでないコントロール17人づつを対象に、「無気力」「死」「絶望」といった自殺に関わりの深い言葉10種類、「喜び」「気楽な」「安らぎ」といったポジティブな気分に関わる言葉10種類、そして「退屈」「非難」「残酷」といったネガティブな気分に関わる言葉10種類を聞かせた時に活性化される脳領域を機能的MRI(fMRI)を用いて調べ、それぞれの言葉についての脳の反応パターンをベイズ法をベースにした機械学習でコンピュータに学習させ、自殺観念を持つ人と、正常人を区別することができるか調べている。

私は精神医学の臨床には関わったことがないので、想像するだけだが、おそらく今回使われたような言葉に対する印象を調べ、うつの状態や、自殺願望を調べることは行われていたはずだ。ただ、これまでのテストは自己申告をもとにスコア化するしか反応を評価できなかった。これに対し、この研究ではfMRIを用いて、それぞれの言葉に対する反応を調べたことで、客観的な評価が可能になる。すなわち、主観的感覚を客観的指標に移すことで、個人の主観的傾向を科学することができる。

詳しい結果は省くが、「死」「残酷」「トラブル」「気楽」「グッド」「称賛」と言った言葉に対しての反応は、自殺観念のあるなしで大きく異なる。もちろん最も違いが見られるのが「死」に対する反応だ。このように強い変化を引き起こした6種類の単語に対する脳の6領域の反応を計算して個人の反応をスコア化し、2次元に展開すると、1例を除いて自殺観念を持つグループを、正常から完全に分離することができる。感情に関わる「怒り」「悲しさ」「恥ずかしさ」「誇らしさ」に対する反応を抜き出して使うこともできるが、基本的にはこれらの言葉が、「死」や「トラブル」などすでに指標として有効性が証明された言葉と相関しているからと考えられる。

また「死」「生気がない」「気楽」などの言葉に対する、特定の脳領域の反応を使指標にすると、自殺を実際に企てた人と、観念はあっても実行したことのない人を区別できることも分かった。最後に、最初の機械学習には使っていない21人の自殺観念を持つ人たちを、今回開発できた指標で分類すると、87%の確率で診断がつくことを確認している。

以上が主な結果で、今後それぞれの言葉に対する反応の関係など詳しく見ることで、自殺観念を早期診断するための有効な検査法が開発されるだけでなく、人間の精神の多様性の研究に寄与するのではと期待できる。また、言葉に対するfMRIでの反応は、自殺願望だけでなく精神疾患にも利用価値があるように思える。さらに、fMRIだけでなく、例えば脳波などでも同じことが確認できると、さらに用途は広がるだろう。 このように外から計り知れない人間の内面を浮き上がらせる方法は、人間基礎科学の手法としても役に立ちそうだ。今後に期待したい。
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10月31日:RNA編集による突然変異治療(Scienceオンライン版掲載論文)

2017年10月31日
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今年のノーベル賞はクリスパーを素通りしたが、受賞が時間の問題であるのは間違いない。ただノーベル賞より先に、特許の帰属が今年の話題になった。米国特許庁はクリスパーの生物学から技術開発へ進んだダウドナさんやシャルパンティエさんではなく、「遺伝子編集を動植物に使うためのレセピーを確立した」チャンさんにクリスパーの利用に関する特許が帰属すると裁定した。その意味で、ノーベル賞がダウドナさんとシャルパンティエさん以外にも与えられるのか判断が難しく、受賞が延びているのかもしれない。

個人的には2人で十分だと思うが、しかしチャンさんの技術開発の完全主義は徹底しており、天性の物を感じる。今日紹介する論文もそんな一つで、DNAではなくRNAを標的にした編集についての研究でScienceオンライン版に掲載された。タイトルはずばり「RNA editing with CRISPR-Cas13(CRISPR-Cas13によるRNA編集)」だ。

この研究の目的は明確だ。これまで遺伝子編集は細胞のゲノム編集とほぼ同義に使われてきたが、この研究ではmRNAを標的に編集を行うシステムを開発が目指されている。

RNAの場合、ノックアウトだけならshRNAなどによるノックダウンがあるが、この研究ではRNAの配列を変えて、突然変異を持つRNAを正常のタンパク質をコードするRNAに変えることを目指している。

これまでの研究から、RNA編集にはRNAの内部でカットするエンドヌクレアーゼ活性を持つCas13が適していることはわかっている。ただ、この研究では目的に最も適したCas13を選ぶため、現在わかっている43種類のCas13をRNAノックアウトの効率を指標にして比較し、最も活性の高い2種類のCas13をLeptotrichia wadei(LWA)とprophyromonas gulae(Psp)という聞いたこともない微生物からそれぞれ選んでいる。中でも PspCas13bはなんと細胞中に存在する標的RNAの90%以上を無力化できることを示している。そして、shRNAを使うノックダウンと比較し、特異性がノックダウンより優れていることを示している。

このように予備実験を繰り返した後、次にノックアウトではなく、編集を行うためにRNAのAdeninからアミノ基を取り除きInosinに変化させるRNA デアミナーゼ(ADR)をエンドヌクレアーゼ活性を取り除いたCas13と融合させ、CasをRNA切断だけではなく、標的を編集できるようにする検討を行っている。

これも活性が上昇する突然変異も含め、まずADR-Cas13キメラ分子の標的編集能力(AをIへの変換)と、標的へガイドするRNAと標的の関係を指摘化し、編集能力や、標的以外の望まない編集の起こり方を徹底的に調べ、これまで開発してきたADR-Cas13システムの欠点を洗い出している。

基本的にはガイドとは無関係の編集もADR自身の活性で起こるが、AからIへの編集で治る突然変異なら2−30%の標的RNAを編集して治療できるところまでこぎつけている。もちろんこれで満足せず、より高いガイドへの特異性を高めるため、分子構造に基づき特異性を高める可能性のある突然変異体17種類を導入したタンパク質を作り、標的のみにより高い活性を持つ変異体を選んでいる。こうして出来上がったシステムでは、標的以外の遺伝子の編集は大幅に低下し、KRASで27%の効率でRNAの変異を元に戻せることを示している。おそらく、チャンさんの基準からはまだまだという段階だろうが、ここまででも途方もない実験量だったと思う。これ以上は次の機会として論文をまとめたのだろう。

まだまだ効率は悪いかもしれないが、アデノシンの脱アミノ反応で治せる変異の数は多い。また、RNA編集は遺伝子に傷がつかないことから、標的以外の変異が起こっても一過性で、一時的にだけ遺伝子の発現を誘導することで治療が可能な病気を選べば今の段階でも利用可能ではないかと思う。次は用途も含めた論文が出てくると期待できる。

これまでちょっとしたアイデアをクリスパーの系と組み合わせる論文は数多く発表されているが、目的を決めればやれることは徹底してやるグループは数少ない。チャンさんは今後もこの方向のリーダーとして活躍するだろう。
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10月30日:2型糖尿病はアミロイド病?(10月17日米国アカデミー紀要掲載論文)

2017年10月30日
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2型糖尿病は先進国にとって予防対策が急がれる最重要疾患で、もちろんこのブログでもなんども取り上げてはいる。しかし、よく考えてみると取り上げてきたほとんどの話は、いわゆるインシュリン抵抗性や、エピジェネティックメカニズムによるインシュリン分泌低下に関わる話がほとんどで、最終的に起こってくる膵臓のβ細胞の喪失の話はほとんど扱ったことはなかった。ましてや、膵臓β細胞の変性がインシュリンとともに分泌されるホルモンであるアミリンがアミロイド繊維を形成して細胞死を誘導するからであるとは考えもしなかった。

今日紹介する製薬企業アストラ・ゼネカ研究所からの論文はアミロイド沈着を防ぐためのメカニズムを調べた研究で米国アカデミー紀要10月17日号に掲載された。タイトルは「Extracellular vesicles from human pancreatic islets suppress human islet amyloid polypeptide amyloid formation(人間の膵島β細胞からの細胞外小胞はアミロイドペプチドがアミロイドを形成するのを抑制する)」だ。

タイトルにある細胞外小胞は、これまで紹介してきたエクソゾームに対応すると考えて貰えばいい。この研究では、製薬会社の研究所として糖尿病のエクソゾームを正常人と比べる研究を続けてきたのだろう。

と言っても人間の膵島、それも2型糖尿病の患者さんの膵島を集めることは、まず我が国では不可能なことだ。ところが、Prodoラボラトリーというこの要望に応えられる臓器調達会社があるようで、ここから購入している。残念ながら使った糖尿病患者さんがどの程度の糖尿病であったかはわかっていない。ただ両方のエクソゾームの内容物を比べると、インシュリンの前駆体であるc-ペプチドが糖尿病患者さんでは明確に低下しているので、ある程度診断は信じられるのだろう。

この研究のハイライトは、試験管内でのアミリンによるアミロイド形成を正常膵島が分泌するエクソゾームが、添加量に並行して抑制するという発見だ。これに対し、血液全体から集めたエクソゾームにはこの効果はなく、これが膵島由来のエクソゾームに特徴的な現象であることがわかる。そして驚くことに、糖尿病患者さんからの膵島のエクソゾームでは、このアミロイド形成抑制効果がほとんど消失しているという結果だ。すなわち、エクソゾームの変化も糖尿病の一因であることがわかった。

この結果は、エクソゾームが細胞内に様々な分子を運ぶためのキャリアーとしてだけでなく、小胞事態で細胞外のアミロイド化を抑制する効果があることを示しており面白い。残念ながら、この抑制効果を特定するところには至っていない。脂肪とタンパク質の比率が高いことは示しているが、本当に特定してそれが効果を持つなら、おそらく論文として出てこないだろう。もちろん、アミロイド説がどの程度認められているのかは素人なのでわからないが、2型糖尿病の新しい側面を知ることができた。
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10月29日:ラットの脳波を調べる(10月20日Science掲載論文)

2017年10月29日
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何百もの微小電極を脳に留置して長期間モニターすることが可能になり、例えば脳内に実際に迷路の空間パターンを見ると言った、古典的な一個の神経記録を重ねる方法ではわからない神経活動パターンが明らかになり、脳科学は大きく進展した。しかしこの方法を人間に使うことは原則難しい。人間でも、癲癇の発生場所を特定するため、このようなクラスター電極が埋め込まれることもあり、その機会を利用した研究も行われているが、普及はできない。このため、PET, MRI、近赤外イメージングそして脳波が現在も人間の脳活動モニター方法の中心だ。中でも、脳波は脳の電気活動を反映しているため、うまくここの神経活動との対応がある程度つけば、その重要性は増す。中でも最初癲癇の重要症状として明らかにされたrippleと呼ばれる高周波の発生は、睡眠中の記憶の固定するための脳活動を反映することがわかってきた。ただ、動物では脳波はポピュラーでないため、動物モデルとの対応はできていなかった。

今日紹介するニューヨーク大学からの論文はNeroGridと呼ぶ電導性有機物を用いたディテクターを用いて、脳表面のフィールド電位と単一細胞からの活動を睡眠中にモニターし、rippleが本当に脳内各領域のコミュニケーションを反映しているのか調べた研究で10月20日号Scienceに掲載された。タイトルは「Learning-enhanced coupling between ripple oscillations in association cortices and hippocampus(連合皮質と海馬のripple振動の連動により学習が促進される)」だ。

NeuroGridでnon-REM睡眠中の脳表面のフィールド電位を広い範囲で同時記録し、各領域間の同調性を調べたのがこの研究のすべてだ。海馬と皮質の各領域、特に頭頂部や正中部で同調したripple を観察することができる。しかし、体性感覚野とは全く同調しない。実際、14%の海馬でのrippleは50ms以内の時間差で皮質でも観察され、両者で結合し、同調したシグナルを送り合っているのがわかる。また脳波全体が上振れするときに、皮質のrippleが発生することがわかった。そして、細胞レベルでは錐体細胞と介在神経細胞の両方の活動が、ripple型にロックされていることを明らかにしている。

最後に、では学習により皮質と海馬でrippleが上昇するか、迷路を学習する課題を行わせたラットを用いて調べ、迷路学習を繰り返すことで海馬と皮質の同調した活動の頻度が上昇することを示している。
話は以上で、これまでの研究から期待された通りの結果と言えるだろう。確かに、睡眠中のスパインの変化まで見ることができる世の中に、この方法は少し古典的に見えるかもしれないが、私はフィールド電位と神経細胞活動を対応させられる点で、人間の脳波理解には欠かせない技術になるように思っている。
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