最近Jonathan Cohnさんの書いた『Sick:The untold story of Americas health care crisis and the people who pay the price.』という本を読んだ。アメリカの医療保険が市民を守るという視点で見た時破綻に近づいている事について、様々な実例を挙げて示した本だ。邦訳されているのかわからないが、オバマケアがなぜ急がれるかも含め、アメリカの医療保険システムの現状を知る上で大変参考になった。今日紹介する論文は、このアメリカの医療保険制度の問題点を指摘している。コロラド大学とエール大学の共同研究で、タイトルは、『National study of health insurance type and reasons for emergency department use (救急外来を利用する健康保険の種類と理由についての全国調査)』だ。研究は救急外来を利用した人達がなぜ家庭医の代わりに救急外来を利用したか、またどのような医療保険に加入しているかを聞き取り調査した研究だ。結果は、救急外来を病気の緊急性から利用した人達では加入している保険に差は認められないが、救急の方が診療してもらえる可能性が高いとアクセスの点から救急を選んだ人達では、低所得者層対象の公的な医療保険メディケイドや高齢者対象のメディケア保健の人の割合が多いという結果だ。結局救急外来の機能が低下し、何の治療も受けずに帰される患者さんだけが増える。結論として、この問題を解決するには、公的医療保険の人にも救急外来以外に相談出来る場所を提供すべきと提言している。昔から指摘されている事だが、改めて確認された。アメリカの医療保険は、基本的には私企業によって提供される医療保険プログラムと、それを購入する個人が制度の基本だ。保健が買えない低所得者層に対するセーフガードとしてメディケードが1965年に創設されているが、税負担の理由からこのシステムの維持に必要な資金は常にショートしている。このため多くの州ではメディケードのカバー出来る医療は厳しく制限されており、病気になっても一般医によって見てもらえる可能性は著しく低くなってしまっている。このため、法律上差別なしに診察する事が義務づけられている救急外来(これも有名無実になりつつある現状もあるようだが)を選ぶ事になる。冒頭にあげた本で紹介されているアメリカの問題を確認出来る論文だった。(サイエンス誌オンライン版にも同じ趣旨の論文が掲載された。機会があれば紹介する)
アメリカではリーマンショック以来、個人の医療保険に入れず、さらに低所得者のカテゴリーにも入らないため、メディケードでもカバーされない人達が増加している。この結果、5000万人と言う多くの人が医療保険を持たないという状況が生まれ、この数は増え続けていると言う。さらに、アメリカンドリームを支えて来た中産階級ですら高齢化とともに私的保険システムから排除され始めており、医療保険の根本的改革が求められている事をひしひしと感じる。一方、我が国では保険間で受けられる診療に差別はなく、ほぼ平等の原則が守られている。一定の個人負担に加え、税が使われているが、医療へのアクセスの自由という点から患者に取っては世界一と言うシステムだろう。ただ、国の借金を考えるとこの維持は簡単ではない。このすばらしいシステムをどう持続させるのか、自分たちの課題として今後議論して行きたい。
1月3日:医療保険の種類で救急の利用率が変わる(Journal of General Internal Medicine 12月24日号掲載論文)
低グレードグリオーマの遺伝的多様性(サイエンスオンライン版掲載論文)
正月なのにめでたい話が出来ないのは残念だ。しかし、病気になると盆も正月もなくなる。出来るだけ多くの情報を届ける事を今年も心がけたい。しかし、今日紹介する論文は、明らかにされた事実に戸惑う典型だ。論文は先週サイエンス誌のオンライン版に掲載されたグリオーマのゲノム研究で、カリフォルニア大学サンフランシスコ校を中心に我が国からは東京大学のゲノムサイエンス研究室や脳外科等も加わった国際共同研究だ。タイトルは「Mutation analysis reveals the origin and therapy-driven evolution of recurrent glioma (再発グリオーマの起源や治療により誘導される進化が突然変異解析で明らかになった)」で、これもガンのエクソーム解析の例で23例のグリオーマを発生時と再発時で比べている。私はこれまで、ガンのエクソーム解析によりうまく行けば次の手を打つチャンスがある事を強調して来た。この背景には、再発してくるがんは、元のがんが時間とともに新しい変異を積み重ね進化した結果だという考えがある。しかし、同じ話は低グレードグリオーマでは通用しないことがこの論文で明らかにされた。グリオーマと言うと悪性で予後の悪い腫瘍の代表だが、その中で低グレードグリオーマは進行も遅く、手術が治療の中心になる腫瘍で、患者さんも手術を繰り返しながら長期に生存される事が多い。ただ、なかなか完全に切除する事が困難で、再発・再手術が必要な事が多い。このゆっくりと進行するグリオーマの再発はただの取り残しなのか、あるいはグリオーマが進化して新しい突然変異を蓄積しているのかということをこの研究は調べている。結果は、驚くべき物だ。まず、最初切除された腫瘍と再発腫瘍に明らかな連続性が見られる(即ち多くの同じ遺伝子突然変異を共有している)ケースもある。しかし、半分(43%)近くの再発腫瘍では1−2の遺伝子変異は別として、最初切除した腫瘍の持っていた突然変異とは全く異なる遺伝子が突然変異を起こしていたという結果だ。更に重要なのは、初回手術後テモダールというお薬を投与した10人の患者さんのうち6人で、薬剤を投与しない場合には見られないより悪性のグリオーマへの進化を示す遺伝子の変異が誘導されており、この治療がより広範な突然変異を誘導してしまう事を示した結果だ。残念ながら今回の研究から、この腫瘍がゆっくり進行するとはいっても発見時に既に多様な腫瘍細胞が脳内に撒かれている厄介な物で、これまでの方法では、その中から別の細胞が選ばれ再発する事を防げない事、そしてアルキル化剤の投与は突然変異を誘発して逆行化である事がわかってしまった。物事が明らかになる事で気分が暗くなる典型の仕事だが、ただ光がない訳ではない。例えばIDH1遺伝子突然変異のように初発腫瘍から再発腫瘍まで共通に見られる変異もある。今後はこのような標的の機能を調節する治療の開発が待たれる。
