11月10日 ローマは一日にして成らず (11月8日号Science掲載論文)
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11月10日 ローマは一日にして成らず (11月8日号Science掲載論文)

2019年11月10日
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ローマに行って驚くのは、古代から現代まで様々な時代が同じ場所に存在している点だ。もちろん自分で旅行しても十分感じられるが、ローマ人の案内で本当のローマを知りたければ、ちょっと古いが「フェリーニのローマ」がおすすめだろう。この映画からわかるのは、分裂時代も含め様々な時代を経てきても、ローマは永遠という点だ。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文はローマという地域に限って、中石器時代から現代までその土地に暮らした人のゲノムを調べ、ローマ人の変化を調べた論文で11月8日号のScienceに掲載された。タイトルは「Ancient Rome: A genetic crossroads of Europe and the Mediterranean (古代ローマ:ヨーロッパと地中海の十字路)」だ。

研究では全部で127体のローマ地域29カ所から出土した古代人の蝸牛骨からDNAを抽出、ウラシルDNAグリコシラーゼ処理したライブラリーを作成し、全ゲノムを解読している。あとはそれを解析してローマ人ゲノムがどのように変化したかを調べている。ゲノムとは「生殖のみにより伝わる情報の全て」なので、この変化は征服を含む様々な交流による交雑を通したゲノム流入の歴史を示している。

結果は大変わかりやすく、ローマ人が様々な民族間の交流によって成立してきたことがわかる。結果を時代別にまとめると以下のようになる。

  • 中石器時代は当時ヨーロッパに広がっていた狩猟採取民のゲノム(WHG)とほぼ一致し、個体間の多様性は少ない。
  • 新石器時代に入ると農耕が始まるが、ヨーロッパ農耕のルーツとなっているアナトリアゲノム(AG)でWHGゲノムはほとんど置き換わる。すなわち、アナトリア人が移動してきたことがわかるが、100%アナトリアではなく、WHGとイランの農耕民のゲノムも検出され、交雑が進んだことがわかる。
  • 鉄器時代から共和国までの時代には、さらにインドヨーロッパ語をもたらした中央ヨーロッパ草原からのゲノムが大きな割合を占めるようになる。一部の人にはモロッコの狩猟採取民のゲノムも認められるのでアフリカ地区との交流が認められる。
  • ローマ帝国成立後は、WHG、中央ヨーロッパ、イラン農耕民、アナトリア農耕民ゲノムがその後のローマ人の基本的要素になるが、帝国が地中海世界にひろがるとともに、イラン農耕民ゲノムの割合が急速に増大する。すなわち、中東の人たちのローマ帝国への流入が進む。また北アフリカのゲノムも多く認められるようになる。
  • 中世に入っても要素は変化しないが、特に北ヨーロッパからの人の流れを示す、中央ヨーロッパ草原やWHG由来のゲノムの割合が変化し、多様な集団が形成される。実際、この時期から統一までローマは長い抗争の時代に晒されている。
  • そして現代、ローマ人は4種のゲノムがかなり安定な割合で混ざった、比較的均質なゲノムになっている。

以上、私の知っているローマの知識で十分フォローできる、しかしゲノムで描かれた歴史が示された。まさにローマは欧州と地中海の十字路で、ローマは1日にしてならずということがよくわかった。

しかし、いつ日本人についてこんな歴史を知る日が来るのだろう。ゲノム考古学では、一体一体を解析する時代はとうに終わって、多くのゲノムから新しい歴史を描く時代に突入している。

カテゴリ:論文ウォッチ