私たちのゲノムは全細胞の平均値で見ると生まれた時から変わることはないが、一個一個の細胞を取り出すと多くの変異が蓄積している。これがあるレベルを超えるとガンとなって現れるが、ここまでの道のりは遠いので心配することはない。しかし、ガンでなくても変異によって周りの細胞よりちょっと生存や分裂が高くなることがある。この老化に伴う細胞の競争については東京医科歯科大学の西村栄美さんたちの論文で可視化してくれているが(Nature 568:344)、同じような細胞の競争の例として古くから研究されているのが体細胞のY染色体欠損だ。ほとんどの場合血液で調べられており、血液細胞の中でY染色体が欠損する率が老化とともに上昇していく現象だ。この原因については、Y染色体がない方が細胞が増殖しやすいため徐々に増えるという考えと、細胞が増殖しやすい変異の蓄積がY染色体の欠損につながるという考えに分かれていた。言い換えるとY染色体欠損が原因か結果かという問題だ。
今日紹介するケンブリッジ大学を中心とした国際チームの論文はUKバイオバンクの20万人規模の男性についてY染色体喪失とそれに関連する遺伝子多型を調べた論文で11月18日号のNatureに掲載された。タイトルは「Genetic predisposition to mosaic Y chromosome loss in blood (血液中のY染色体欠損モザイクの遺伝的素因)」だ。
まずこの論文を読むと、改めて50万人のバイオデータが集まっているUKバイオバンクのすごさがわかる。また、我が国の10万人規模のバイオバンクも利用されているので、少しほっとする。
さて、これまでY染色体欠損というと染色体検査で染色体の数を数えることが中心になっていたが、この研究では多型解析に用いるアレーを用いて、SNPポジションの増減を精密に調べることでY染色体の欠損を判断している。この方法で見ると、Y染色体欠損が見られる確率は45歳ぐらいから上昇を始め、70歳で40%近くに達しており、老化のマーカーであることがよくわかる。
SNPアレーを用いると、同じサンプルの人の他の遺伝子多型も同時に測定でき、これを利用するとY染色体欠損が起こりやすい背景になる遺伝子多型が特定できる。その結果なんと156種類の遺伝子多型がY染色体欠損と相関することが明らかになった。この多型の多くは、細胞分裂に直接関わる様々な分子が多く含まれており、Y染色体の欠損は、様々な遺伝子変異の結果起こりやすくなっていることが考えられる。
ではこれらの多型は細胞の増殖と関わり、Y染色体欠損細胞がより増殖しやすい状況を作っているのか調べる目的で、Y 染色体欠損に関わる多型とガンとの関連を調べると、前立腺癌、精巣がん、脳のグリオーマ、腎臓がんなどにこれらの多型が関わることが明らかになり、Y染色体欠損につながる多型が明らかに細胞の増殖に関わっていることを示している。
またY染色体自体ではなく、これに相関する多型が女性の閉経後の健康状態にも関わることを示している。
そして最後に、Y染色体欠損を含む血液のsingle cellトランスクリプトーム解析を行い、B細胞で白血病に関わる遺伝子TCL1Aの発現が高い細胞ではY染色体が高率に欠損していることを明らかにした。
以上の結果は、Y染色体欠損はおそらく、私たちの遺伝子に積み重なった様々な変異の結果起こり、その細胞が他の細胞より少し良く増殖するという状態を反映すると考えられる。データサイエンスの重要性を示す面白い論文だと思う。