2月17日 なぜ人は心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるのか?(2月14日号 Science 掲載論文)
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2月17日 なぜ人は心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるのか?(2月14日号 Science 掲載論文)

2020年2月17日
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強い恐怖や悲しみにさらされた後、治療の困難な不安神経症を含む様々な精神的、行動学的異常を示す状態を、PTSDとして一般的不安神経症から区別するようになったのは私が医学部を卒業した頃だった。まさにベトナム戦争の頃だが、重要なことは戦争体験者全員がかかるわけではなく、およそ10%がPTSDへ発展する。

医学的には恐ろしい記憶を抑えようと試みるプロセスが、逆に記憶を蘇らせていると考えられて、学習障害の1型として治療されている。いずれにせよ、記憶を抑えるための回路がこの状態の鍵を握ると考えられる。

今日紹介するフランスノルマンディー大学からの論文は、130人の犠牲者が出たパリ市サン・ドニの自爆テロ事件に居合わせた市民102人の参加を得(うちPTSD55人、PTSD症状を示さない47人)の一般的な記憶抑制機能を調べ、PTSDの患者さんがテロの記憶と関わりなく、記憶の抑制の異常を示すことを示した論文で2月14日号のScienceに掲載された。タイトルは「Resilience after trauma::The role of memory suppression(トラウマの後のストレス回復力:記憶抑制の役割)」だ。

この研究ではテロが起こった日パリを離れていた人(ここでは1群と呼ぶ)、テロにさらされたもののPTSD発症しなかった人(2群と呼ぶ)、そしてテロに居合わせPTSDを発症した人(3群)について、単語と画像のセットを覚えてもらった後、半分はそのまま覚える、残りは頭に浮かばないよう自分で何度も努力してもらう課題を行わせる。この時、記憶を抑えることができたかどうかは、ぼかしが入った画像を見せ、ぼかしを徐々に除去して対象の画像が認識できた時間を抑制の指標としている。すなわち抑制できている人は、思い浮かべるまで時間がかかるというわけだ。

実際、 PTSDの人は、記憶の抑制がうまくいかず、逆に早く認識できる。すなわち、PTSDは特定の記憶だけでなく、記憶自体を抑制することが難しい状態に陥っていると言える。

この異常を脳科学的に調べる目的で、課題を行なっているときに機能的 MRI検査を実施し、脳の活動及び活動の動機を指標とする各部位の連結性を計測している。特にこれまで記憶の抑制に関わることがわかっている背側側部前頭前皮質と、海馬など記憶に関わる領域の反応を調べている。

課題を行なっているときのそれぞれの脳領域の活動には特に目立った差はない。しかし、PTSDを発症した人だけは、記憶を抑制する課題より抑制しない課題でも結合が高まる。一方、テロを経験してもPTSDを発症しなかった人では、抑制する課題の時に結合力が高まる。正常の人でも同じ傾向があるが、抑制時の結合力の増加はテロを経験した人よりは弱い。

結合力の方向性をモデリングに基づいて計算しているが、記憶や認識をコントロールする背側側部前頭葉から記憶領域へのトップダウンの抑制であることを示している。

この結果を私なりに勝手に解釈すると、PTSDを発症した人は、記憶を抑える前頭葉から記憶領域の抑制回路が壊れてしまっていることを意味する。従って、記憶が抑制できないのは決して恐怖体験だけではない。とすると、恐怖体験によって、抑制回路自体が変化してしまったことを示している。

面白いのは、恐怖体験に出会いながらも、PTSDを発症しなかった人たちで、発症した人とは逆に抑制回路の結合が全般に強まり、また結合領域も拡大していることだ。すなわち、発症しないという背景に正常の人より強い抑制回路を確立していることがうかがえる。

この記憶抑制を調べる課題の設計など興味ふかい論文だったが、何より大きな事件を人間の脳の経験の問題として捉えていく研究領域が出来上がっていることを強く認識した。コロナウイルスを始め様々な大事件が世界で進行しているが、この人間への影響を丹念に科学的に検証して、いい加減な評論家の出る幕を閉ざすことが、21世紀科学の課題だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ
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