2月28日:ヨーロッパ農耕民族の成立(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
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2月28日:ヨーロッパ農耕民族の成立(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2017年2月28日
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     民族主義的思想で洗脳することをうたう教育機関に、一国の総理大臣が、おそらく軽い気持ちで、力を貸した問題が政界を揺るがしている。もちろん国、大阪府など政界を渦巻く黒い闇について明らかにして欲しいと思うが、それとともに、天下り問題で信用地に落ちた文科省が、私立学校なら教育基本法をどう解釈しても許されるのかについて明確なガイドラインを示し、名誉回復する良い機会だと思う。かってフランスでは、政教分離政策が決まると、時の文部大臣が小学校に軍隊を差し向けて、すべての学校から十字架を外させたと聞く。この伝統があるからこそ、フランスではイスラム教に対しても公的機関は厳しく対応できる。しかし、一人の大人の思いつきで子供を洗脳するこの学校の話を聞いて、かっての戸塚ヨットスクール事件を思い出すのは私だけだろうか。
   しかし我が国だけでなく、民族差別意識が政治を大きく動かすようになっている。振り返ると、第一次大戦前、科学者もフランス人とドイツ人のどちらの脳が大きいのか真面目に議論した時代があった。国際主義が民族主義に凌駕されるときはいつも戦争が始まる。
    一方、現在の民俗学分野では出土した骨のDNA鑑定が進み、私たち一人一人が結局は国際的交流の結果であることが明らかになっている。最終的に男と女の間に、国も政治もない。国も、民族も、階級も男女の間にはないことを第一次大戦という舞台で示したジャン・ルノワール監督の「大いなる幻影」を見て欲しいと思う(少し古すぎるかも)。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文は現在進む民族交流の文化背景を調べた仕事の例といえるだろう。タイトルは「Ancient X chromosomes reveal contrasting sex bias in Neolithic and bronze age Eurasian migrations(古代人のX染色体から新石器時代と青銅器時代のユーラシアからの男性優位度の違いが明らかになる)」で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された(www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1616392114)。
   私たちは世界史で4世紀から8世紀にかけて起こった東から西への民族の移動について必ず習う。しかし、実際にはこの動きは何千年も前から起こっており、これによりインド・ヨーロッパ語もヨーロッパにもたらされた。中でも新石器時代から青銅器時代にかけて、農耕とその技術が最初はトルコから、その後黒海の草原地帯からもたらされたとき人間の大規模な移動が起こったことが、現在の人種の比較や、言語、考古学的遺物からわかっていた。
   この研究では、各地から出土した新石器時代から青銅器時代の人骨のDNAの常染色体とX染色体を、移動元のトルコアナトリア、黒海草原の遺伝子と比較、交雑の進み具合を常染色体と、X染色体で別々に算定して、男女が一緒に移動したのか、あるいはどちらか一方だけが移動したのかを調べている。原理は簡単で、もし男性だけが移動したとすると、常染色体の交雑の方が早く進む。一方、女性優位であればX染色体の交雑が早く進む。
   結果は明快で、新石器時代農耕技術そのものがヨーロッパにもららされたときは、男女一緒にアナトリア地方から移動している。農耕自体の移植には、最初から家族が必要なのだ。一方、青銅器時代に優れた道具や農耕技術が伝えられたときは、ほとんど男だけが持続的に西へと映り続け交雑したと結論している。時には、半分のお父さんが、よそからやってきた流れ者という時代があったようだ。おそらく家畜化した馬により男性が移動し定着することで、馬を含む農耕技術が伝えられたと結論している。
   この研究だけでなく、古代DNAを基盤にした民俗学をみると、民族の優位性を誇示することがいかに意味がないか分かる。
   その意味で、私はタイ国の民族博物館で、タイ人が少なくとも7種類の民族が混じり合ってできた国であることを誇りにしているのに驚いた。あれほど国王を慕う国で、国王が統一のシンボルであっても、民族のシンボルと見られていない。私たちも見習うところが多いと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

2月27日:腸内細菌叢:木を見るのか森を見るのか(2月23日号Cell掲載論文)

2017年2月27日
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    腸内細菌叢に関する論文は相変わらずトップジャーナルを賑わせている。この賑わいを支えるのが、無菌マウスの開発、次世代シークエンサーによる細菌叢のメタゲノムなどの技術だ。ただ、技術だけがこの賑わいを作っているわけではない。腸内細菌叢の変化が生活習慣病や慢性炎症、あるいはアトピーなどに関わっていることが明らかになり、介入可能な標的として考えられるようになったからだ。
   しかし、とはいえ細菌叢は何百、何千もの異なる種類の細菌からできている。いくらメタゲノムが可能だと言っても、病気との因果性を特定できる変化は少ない。結局メタゲノムの研究も、個別の細菌に関する研究を引き合いに出して意味づけをせざるをえない。この「木を見るのか、森を見るのか?」の問題をいかに克服するのか、腸内細菌叢の研究も曲がり角にきているように思う。
   今日紹介するハーバード大学からの論文は、森を見るためには一本一本の木をしっかり理解する必要があるとする還元論の立場から腸内細菌叢に迫った研究で2月23日号のCellに掲載された。タイトルは「Mining the human gut microbiota for immuneomodulatory organism(免疫システムに影響する要因としてヒトの腸内細菌叢を調べる)」だ。
   個々の細菌の免疫システムへの影響を調べた「木を見る」研究は我が国も強い分野で、繊維状の形態を持つバクテリアが炎症性T細胞を強く誘導するなど、多くの優れた研究が行われてきた。これらの研究は無菌マウスに、特定の細菌を移植して、純粋に個々の細菌の作用を調べる方法で進められている。今回の研究はこの方法を53種類の別々のバクテリアに広げ、ホストの反応も免疫細胞サブセットを大腸、小腸だけでなく、パイエル板、中枢リンパ組織にまで広げると共に、腸管での遺伝子発現、バクテリアの定着などについて網羅的に調べた研究だ。
   このような研究は、研究過程で何か問題が出てきた時調べるデータベースとしては利用価値が高いが、論文として何か特定の結論を導き出すのは難しい。この分野に興味のある人は今後ぜひデータを参照して、自分の研究に役立ててほしいと思う。
   それでも幾つかこれまで知らなかったことを勉強することができたので、いくつか列挙しておこう。
1) 驚くことに、バクテリアを個別に移植した場合、ほとんどのバクテリアが腸内に定着する。バクテリア同士の競合は手ごわい問題のようだ。
2) 腸内に定着しなかったバクテリアは、口腔内、あるいは胃内に定着し、バクテリアに適した環境がある。
3) 腸内に定着したバクテリアの多くは(88%)腸間膜リンパ節に生きたまま定着する。バクテリアは体内に浸潤するのが当たり前?
4) 一部のバクテリアを覗いて、抗原特異的免疫反応に関わる細胞への影響はほとんどない。もちろん代謝への影響は調べなおす必要がある
5) システミックな反応と局所反応が相関する免疫細胞が存在する(おそらく循環に乗りやすい)。これらはマーカーとして検査に使える。
6) 同じ種のバクテリアでも、免疫システムへの影響は大きく異なる。
7) 免疫細胞や腸管の転写に影響を及ぼすことが報告されていなかったバクテリアが新たに見つかった。
などだ。
   各細菌が免疫システムに個別の影響を持つことがわかったが、この53本の木から森が見えてくるのか?おそらく今度は組み合わせの研究が必要で、木から森を見るのがいかに難しいかわかるだろう。今こそ新しい発想の、頭を使う細菌叢研究が求められており、若手研究者にもチャンスが巡ってきたように思う。
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2月26日:分子の構造から臭いの表現を予測する(2月20日号Science掲載論文)

2017年2月26日
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    今私たちはバーチャルメディアに囲まれて生きており、空間や時間を超えて映像や音を体験することができる。さらにSNSは私たちが体験できる世界を急速に拡大した。
    SNSの信頼性をめぐって、これまで大手メディアは問題視してきたが、「大手メディアは偽ニュース」という「トランプのツィート」は、皮肉にもこの関係を逆転させて、「SNS=真実、メディア=偽」とまで主張している。私はトランプが信頼できるとは思えないが、SNSと既存メディアの境がどうあるべきか再考を促す反面教師としては評価できそうだ。これはおそらく、言葉が持つ嘘と真実の二面性の問題にもかかわる。バーチャルメディアのない時代は、空間や時間を超えた世界の体験は言葉を通してしか可能でなかった。そして皆、言葉に真実と嘘の2面性があることをしっかり認識していた。
   少しノスタルジックになったが、今も言葉を通してしか体験できない感覚がある。嗅覚だ。継時的に空気をカプセル化するような技術があれば可能になるかもしれないが、刻々かわる匂いを記録するのは言葉を通してしかできない。今日紹介する米国を中心とした国際チームの論文は、匂いを惹起する分子と、その感覚に対する言葉の表現を結びつけようとした面白い研究で、匂いとは何かを改めて考えさせてくれた。タイトルは「Predicting human olfactory perception from chemical features of odor molecules(ニオイ分子の科学的特徴から人間の匂い感覚を予想する)」で、2月20日号のScienceに掲載された。
   実際にはAIの話で、私にも完全に理解できない点も多いが、分子構造からその匂いがどう表現されるか当てようという発想自体が面白い。また、これを実現するため、22のチームが独自に課題にチャレンジし、予測するためのモデルを競わせ、最終的にどれが優れているのか決める手法は、コレクティブ・インテリジェンスを先取りした21世紀的研究に思える。
   具体的には数多くの単一分子を嗅がせ、その感覚を19種類の言葉から選んでもらうという実験を49人の被験者に行ってもらう。もちろん人によって感覚は異なるため、最終的に全員一致の表現はないが、この結果をそれぞれのチームに提供して、表現と分子構造との相関を高い確率で予測できるソフトを各チーム独自に開発させ、その中で有望なものを選び、次の段階へ進むという戦略だ。
   各個人の表現を分析すると、ニンニク臭、強さ、心地よさ、甘い、などは同じように感じられるが、木の匂いなどは個人差が大きいのも納得する。
   結果だが、このような研究は一つの「結論」に到達するのではなく、これまでより優れたモデルが生まれることが結果になるる。従って、この研究から生まれた予測成績の良かったモデルを組み合わせて、心地よさや、強さといった感覚だけでなく、19種類の表現のうち8種類については多くの人の感覚に近い予測が可能になったとまとめていいだろう。今後は、さらにモデルを進化させる必要があるが、もともと個人差の大きい匂い感覚の表現を予測するプロジェクトは困難だが、挑戦的で期待したい。
   おそらく将来は、反応する匂い受容体、刺激の感覚のマッピングと、今回のようなAIによる匂い予測を統合した匂いの脳科学も可能になるだろう。さらには、言語研究や文化人類学、さらには「真実」に関する哲学にも新しい可能性を拓くのではという期待を感じる。未来的「匂い」のする論文だった。
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2月25日:内視鏡検査による大腸がん予防(2月21日The Lancetオンライン版掲載論文)

2017年2月25日
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    男女合わせた数字でみると、我が国で新たに発生するがんの第1位は大腸がんで、肺ガンや胃ガンを抜いている。 また、他のガンと比べても60歳ぐらいから発症率が急速に増加することから、高齢化する先進国での重要な課題の一つだ。低脂肪、低カロリー食や、高線維食などによる予防の呼びかけに加え、便の潜血テストを中心とした早期発見のための検診が行われている。しかし、便潜血検査の効果については疑問も多く、早期発見の切り札はやはり大腸ファイバースコープだ。しかしこの検査は結構負担も多い。したがって、毎年となると受ける方も大変だ。実際にはどの程度の間隔で受ければ安心できるのか知りたいところだ。
   一方国民保健の観点からも、大腸ファイバースコープの効果に期待が集まっている。すなわち、ポリープの段階で見つけて早期に切除してしまえば、ガンの発症率を抑え、医療費を抑制できるという、がんの早期発見だけでなく、がんの発症予防という観点が加わっている。この期待を受けて、各国で大規模な大腸ファイバースコープの予防効果を確かめる研究が進んでいる。
   今日紹介する英国インペリアルカレッジロンドンからの論文は、1994年に始まった大腸ファイバースコープの予防効果を調べる研究の17年目の報告で2月21日The Lancetにオンライン掲載された。タイトルは「Long term effects of once-only flexible sigmoidoscopy screeing after 17 years of follow up: the UK flexible sigmoidoscopy screening randomized controlled trial(一回の大腸ファイバースコープ検査の17年後の長期効果:英国大腸ファイバースコープ・スクリーニングの無作為化比較試験)」だ。
   この研究では1994年から5年間にわたって55歳から64歳までの健康な男女をリクルート、様々な質問に答えてもらった上で、約4万人に大腸ファイバースコープ検査を行い、残りの約10万人はファイバー検査なしで追跡だけを行っている。ファイバー検査を行って悪性転化しそうなポリープが発見されると主に内視鏡手術により除去して、将来ガンになる芽をつんいる。実際この検査で、なんと5%に当たる2200人で悪性転化の可能性があるポリープが見つかり切除されている。
   この研究では、この一回の早期処置で、その後のがんの発生は抑制されるのかを調べている。同じグループは11年目にこの予防措置でがんの発生を30%低下させられることを報告しており、今回はその延長の研究だ。
   詳細を省いて要点だけをまとめると(プロトコル終了群に限っての結果)、大腸がん全体の発生率を約35%低下させることができる。また、肛門に近い部位のがんでは56%の抑制効果が認められるという結果だ。他にも、男女比や年齢など様々な解析を行っているが、この数字だけで十分だろう。1回のファイバー検査で発見されたポリープを除いてしまえば、半分の人は17年間ガンにかかる心配はないという結果だ。
   これは国民全体の医療行政から見ると素晴らしい結果だ。実際、費用計算が行われ、医療費抑制効果があるようだ。ただ、17年間全く同じ検査を行わないという条件で計算している。
   一方患者の視点に立つと、半分に減ったとはいえ、新たにがんが発生することは間違いない。とすると、17年枕を高くして寝るというわけにはいかないだろう。ではどのぐらいの間隔で検査を受ければいいのか、結局はわからずじまいだ。
   国の視点と個人の視点はこのように異なる。しかし、どちらも将来の発症率が0になれば共に満足できる。今後、見落としを減らし、ゲノムリスクや生活習慣リスクなどを加えたプロトコルが開発され、この究極の目的が達成できることを祈りたい。
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2月24日:ゲノムとクリスパーを利用した新しい遺伝子探索研究の賑わい(2月 23日号Cell掲載論文)

2017年2月24日
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    今年のJapan Prize生命科学分野はCRISPR/Cas9システムを明らかにし、新しい遺伝子編集法の開発に道を開いたシャルパンティエ、ダウドナ両氏に決まったようだが、この技術を利用した研究分野の広がりと賑わいをみると、当然の選択だと思う。
    論文を読んでいて最近目につくのが、ゲノム情報、次世代シークエンサーとクリスパーを組み合わせた、新しい細胞機能の解析で、十分な解析が終わっていたのではと思っていたガン分野で、これまで知らなかったガン細胞デザインの詳細が明らかになってくると、「神は細部に宿る」という建築家(ミース・ファン・デア・ローエ)がデザインに抱いた印象を、ガン細胞に感じる。
   今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は典型例で、急性骨髄性白血病の増殖に関わる分子経路をクリスパーシステムを使って探索した研究で2月23日号のCellに掲載された。タイトルは「Gene essentiality profiling reveals gene networks and synthetic lethal interactions with oncogenic RAS(遺伝子の必要性のプロファイリングにより遺伝子ネットワークと、発がんに必要なRASとの統合的相互作用が明らかになる)」だ。
    ガンのゲノム解析が明らかにした最もがっかりする結果は、同じタイプのガンでも、多様な遺伝子変異に裏付けられていることだ。すなわち、一筋縄ではいかない。とはいえ、こちらも手をこまねいているわけにはいかない。なんとかしてガンに共通の弱点を見つけたり、あるいは個別の弱点を整理する必要がある。この目的にCRISPRは最適だ。この研究を始め、多くの研究ではレトロウイルスベクターを用いてガイドRNAライブラリーををガン細胞に導入し、導入後がん細胞を一定期間増殖させた後、次世代シークエンサーを用いて導入したライブラリーの各ガイドRNAの頻度を調べ、ガンの増殖に抑制性、促進性のある遺伝子を特定する方法が用いられる。ガン増殖に必要な分子のガイドは、増殖ポピュレーションから消失するし、増殖抑制に関わる分子のガイドは逆に頻度が増大すると予想される。
   この研究では増幅遺伝子に対するクリスパーシステムの問題の補正など幾つかの工夫を加えた後、14種類の異なる急性骨髄白血病株について同じスクリーンを行っている。この方法の利点は、増殖に関わるモジュールのすべての遺伝子が特定されることで、この結果それぞれの説明は省くが、14種類のAML共通に依存しているモジュールが10種類以上特定されている。多くはこれまで知られているモジュールだが、新しいネットワークも発見されており、今後各モジュールをガンの弱点として利用できるかどうかが明らかにされるだろう。
   おそらくこれまでAMl研究を行ってきた研究者にとって最も面白い結果は、AML特異的なRASシグナル経路が存在するという発見だろう。すなわち、活性化RASとRAFとの複合体を活性化するため、GTP-RAC/PAKが必要で,このRAC-GDPからRAC-GTPへの転換をAMLはPREX1を用いているという発見だろう。残念ながら、だからと言ってこの経路の特異的阻害剤はまだないが、将来開発できる可能性はある。
   論文はいろんな話が詰め込まれすぎていて、大きい研究室がなんとか大規模プロジェクトをまとめようという気持ちが見え見えの研究だが、いずれにせよCRISPRの賑わいを知るには十分だ。
   しかし、私が目を通している雑誌からだけ判断すると、我が国はJapan Prizeを提供できても、この賑わいから取り残されている気がする。「いやそんなことはない」という話があれば、ぜひ聞かせてほしい。
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2月23日:自己免疫性てんかん?(2月15日号Science Translational Medicine掲載論文)

2017年2月23日
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   我が国では風土病という言葉は死語になりつつあるが、かっては日本全国に地域特有の不思議な病気が存在していた。地域に限定されることから、インフルエンザのような感染力の高い病原体は関わっておらず、多くの場合感染力が低い寄生虫や原虫の感染、あるいは特殊な自然環境が原因になっている。もちろん、工場による環境汚染による公害病も最初風土病として隠蔽されたことは、水俣病やイタイイタイ病の例からわかる。何れにしても、風土病との戦いは、その原因究明がすべてで、原因が特定されると公害も含めて一つ一つ姿を消した。
   しかし開発途上国にはまだまだ原因が特定できていない風土病は数多く存在する。その一つが西アフリカのNodding syndrome (頷き病)で、脳の発育停止による知的障害とともに、名前の通り頷くような仕草を繰り返す一種のてんかんが誘発される。今日紹介する米国国立衛生研究所からの論文は、この頷き病の原因が自己免疫病の可能性があることを示す研究で2月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Nodding syndrome may be an autoimmune reaction to parasitic worm onchocerca volvulus(頷き病はオンコセルカに対する自己免疫病かもしれない)」だ。
   頷き病がオンコセルカ寄生虫感染と強く相関することは従来からわかっていたが、オンコセルカが脳内に侵入しないことから、寄生虫自体の活動として症状を説明することは難しかった。
   この研究では最初からオンコセルカに対する免疫反応が自己成分にも反応するようになり、頷き病が起こるのではと仮説を立て、まず患者血清中だけで上昇する抗体をスクリーニングしている。結果、頷き病の患者さんだけで抗体価が100倍以上高い抗原として、4種類の自己タンパクを特定している。次に脳脊髄液中にこれらの抗体が存在するか調べ、leiomodin-1と呼ばれる分子に対する抗体だけが脳脊髄液にも存在することをつき止めた。
   あとは、leiomodin-1が確かに海馬を中心に錐体細胞で発現していること、抗体を神経細胞に加えると神経細胞死が誘導されること、そして同じ抗体がオンコセルカとも反応することを明らかにしている。
   すなわち、オンコセルカに対する免疫反応が起こる過程で、leiomodin-1に対する抗体が誘導され、抗体価が上昇すると、少しではあるが脳内にも侵入し、海馬を中心に神経細胞が死に、脳の発達が停止し、てんかん発作としての頷く仕草が現れるというシナリオが示された。
   しかし、この抗体が本当に頷き病の原因であることを証明するにはまだ研究が必要だろう。海馬のCA3領域に強くleiomodin-1が発現していることは、てんかん症状を説明できる。今後、この可能性を念頭に、患者さんの脳を調べる必要がある。
   著者らはleiomodin-1が細胞内タンパク質で、抗体でアタックされないことを気にしているようだが、分子構造としては膜結合ドメインとして働ける領域を持っていることから、神経では細胞外に発現している可能性もある。実際、試験管内で抗体を加えるだけで細胞が死ぬ実験が示されており、この可能性は高い。おそらく、この謎はすぐ明らかになるだろう。もちろんT細胞の関与も考える必要がある。それには、脳の詳しい病理検査が重要だ。
   まだ不明な点も多いが、このシナリオが正しければ、オンコセルカを早期に駆除するか、抗体価を抑える工夫をすれば病気が治る可能性がある。期待したい。
   しかしこの論文を読むと、米国は途上国を病気撲滅という点から強く支援する伝統を持った国であることがわかる。トランプ政権でもこの伝統が守られることを祈っている。
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2月22日:利き腕は胎児期に決まる?(eLife掲載論文:eLife 2017;6:e22784. DOI: 10.7554/eLife.22784)

2017年2月22日
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   振り返ってみると、利き手がどのように発生するのかこの論文を読むまで考えたことはなかった。私たちの体は左右対称でないが、内臓の位置決めと利き腕とは特に関係はなさそうだ。内臓の位置の非対称性に関わる遺伝子は明らかになっているが、利き腕について行われたゲノム研究では、これらの遺伝子との相関はなく、また一つの遺伝子で決まってはいないことが明らかになっている。ゲノム研究で候補遺伝子は幾つか報告されているが、だからと言ってなぜ利き手が生まれるのか説明できていない。ゲノムがダメなら、どこから手をつければいいのか難しい問題だ。
   今日紹介するドイツ・ルール大学からの論文は、神経の発達途中で遺伝子発現が左右で違うのが原因になっているはずだとあたりをつけて、胎児脊髄の遺伝子発現を左右で比べた論文でeLifeに掲載された。タイトルは「Epigenetic regulation of lateralized fetal spinal gene expression underlies hemispheric asymmetries(脊髄での遺伝子発現のエピジェネティックな左右差が脳の左右差の背景にある)」だ。
   この研究の目的は、発生初期に脊髄での遺伝子発現に左右差があるかどうかを調べることだ。というのも、10週の胎児はすでに右腕の方をよく動かすことが知られている。10週ではまだ脳の発達は完成しておらず、10週で利き手があるとすると、脊髄の反応性で利き腕が決まる可能性があるからだ。

   研究では、8週、10週、12週の人工中絶胎児の首から胸にかけての脊髄を取り出し、左右の遺伝子発現を比べている。
   期待通り、8週では発現が右側優位と左側優位の遺伝子がそれぞれ1652個、39個存在し、左右で大きく異なる。ところが10週になるとこの数は差がある遺伝子全体で24個、12週ではたった4個に減少する。すなわち、脊髄では発生早期から遺伝子発現の左右差が強く見られ、この差は発達とともに解消することがわかる。
   発現に左右差のある遺伝子のなかで、言語に関するFoxP2が強く右で出ているのは面白そうだが、利き手の差を説明することはできそうもない。
  この研究では、発現している遺伝子の意味を問うのはやめて、差を生み出すメカニズムをmiRNAとメチル化DNAの分布を調べて探っている。
   結果だが、TGFβシグナル経路のmRNAを抑制するmiRNAの発現の左右差により、約4%の遺伝子発現の差が、またDNAメチル化のパターンの差によって約27%の遺伝子発現の差を説明できることを示唆している。
   結果はこれだけで、脳の発達前に脊髄に遺伝子発現の左右差が見られること、FoxP2や有名なLeftyと同じファミリーのTGFβシグナルに差が見られ、この差がmiRNAやDNAメチル化の結果だという面白そうな結論だが、なぜメチル化の差が生まれるのかなど肝心なことが説明できておらず、現象論から抜け出せていないと言っていいだろう。今後、内臓逆位の胎児や、脳での遺伝子発現を調べる研究が必要だろう。そして何よりも、モデル動物も必要になる。
   人間では圧倒的に右利きが多いが、サルでは7割ぐらいと右利きは低下する。一方、自閉症の子供は左利きが多いことが報告されている。たかが利き腕の問題と言えるが、困難で深遠な問題だ。それに手がかりが出てきただけでよしとすべきだろう。
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2月21日:病原性大腸菌の病原性を探る(2月16日掲載論文)

2017年2月21日
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    ほとんどの大腸菌は病気の原因になることはないが、毒性の遺伝子を獲得した種は出血性大腸炎などを引き起こす病原性株へと転換する。この病原性獲得に関わる遺伝子クラスターは詳しく研究されており、病原性大腸菌の腸上皮への結合、毒性に関わる様々なエフェクター分子の腸上皮への注入、そしてその毒素の作用として微小絨毛の消失の誘導や、菌が結合しやすいようアクチンの構築変化など、腸上皮細胞が変化するまでの一連の過程に関わることが知られている。しかし、上皮に結合した菌がエフェクター分子を作り続け、また腸上皮に注入し続けるメカニズムについては不明な点が多かった。
   今日紹介するエルサレム、ヘブライ大学からの論文はこのメカニズムについての研究で2月16日号のScienceに掲載された。タイトルは「Host cell attachment elicits posttranscriptional regulation in infecting enteropathogenic bacteria (ホスト細胞への結合が、感染した大腸病原性バクテリアの転写後調節を誘導する)」だ。
   この論文を読んで、病原性大腸菌についての知識を私自身全く持ち合わせていなかったことを認識した。この研究は、病原性に関わる重要分子NleAの大腸菌での発現を維持する仕組みを明らかにする目的で行われていたと思う。NleA遺伝子が翻訳されるときにGFP蛍光分子と融合してNleAの翻訳量がわかるようにした大腸菌をHELA細胞と共培養すると、細胞に結合した大腸菌だけが蛍光を発することを見出す。すなわち、ホストの細胞とコンタクトした大腸菌だけがNleAを産生し続けることが明らかになった。
   研究では様々な大腸菌の遺伝子操作をして、このメカニズムを解析している。詳細を省いて結果をまとめると、
1) NleA遺伝子のmRNAの5’非翻訳領域にNleAの翻訳を調節する領域が存在し、この部位にCsrA分子が結合すると、翻訳が抑えられる。すなわち、NleAの翻訳は通常CsrAにより抑えられているが、ホスト細胞と結合することで、CsrA活性が低下し、NleA分子の翻訳が起こる。
2) CsrA活性を誘導するホスト細胞との接着によるNleA翻訳は、大腸菌表面に発現しているT3SSを欠損すると消失する。また、T3SSが自然に活性化してしまう突然変異では、ホスト細胞との接着なしにNleAが発現する。すなわち、T3SSがホスト細胞のセンサーとして働いている。
3) T3SSはCesT,CesFなどのシャペロンに助けられ、大腸菌の様々な毒素をホスト細胞へ移行させる。このCesTはT3SSから離れるとCsrAと結合することで、CsrAの活性を低下させ、NleAの転写が上昇する。
4) 同じT3SS-CesT-CsrAの仕組みを190種類の分子の翻訳が共有しており、有名な病原性大腸菌O157にはこのうち150種類が存在すること。
を明らかにしている。
   以上の結果から、病原性大腸菌が腸上皮細胞とコンタクトしたときだけ、急速に毒素の翻訳をし続けることができるメカニズムが解明された。読んでみると、不自由なゲノム構造の中で、極めて効率的な仕組みが進化していることがよくわかった。
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2月20日:頭皮冷却による抗がん剤による脱毛防止(2月14日号米国医師会雑誌掲載論文)

2017年2月20日
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   自らもガンに罹患した経験を持つ岸田徹さんのガンノートは、岸田さんならの発想で始まった「ガン経験者のガン経験者によるガン経験者のための「生のインタビュー型」情報発信番組(http://gannote.com/)」で、大きな注目を集めている。医師や研究者にとっても、習った知識からは思いも及ばないガン患者さんの視点に触れることができる。ぜひ医学部や看護学部の学生さんには見てもらいたいと思う。かくいう私自身は、数回程度しか参加したり、番組を見たことはないが、いつも新しいことを学ぶ。
   ガンの化学療法の副作用として、特に女性の患者さんの最も精神的ショックになるのが脱毛のようだ。この抗がん剤による脱毛を抑える方法としてずいぶん昔に考案されたのが、抗がん剤の投与前、投与中、そして投与後の1−2時間頭皮を冷やす方法だ。私がこの方法を知ったのはずいぶん前だが、ガンノートの話を聞く限り、我が国ではまず普及していない。おそらく、医療提供側で、脱毛を当たり前の結果として許容しているからではないかと勘ぐっていた。
   今日紹介するHellen Diller Family Comprehensive Cancer Centerからの論文は乳がんでアジュバント化学療法を受ける患者さんが経験する脱毛を頭皮冷却が抑えることができるかどうか調べた治験で、2月14日号の米国医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Association between use of a scalp cooling device and alopecia after chemotherapy for breast cancer(乳がんに対する化学療法後に発生する脱毛への頭皮冷却の効果)」だ。
   論文を見たとき、ずいぶん昔に開発された方法に関する治験が今頃米国医師会雑誌に掲載されるのかと驚いた。読んでみると、ヨーロッパでは普及してきたが、頭皮冷却の効果が一定しないことや、脱毛のショックを医療側が理解しないこと、そしてデバイスに対してFDAの医療機器としての認可が進んでいなかったこと、などの理由で米国でもあまり普及していなかったようだ。
   この状況を打開すべく、この研究では5医療機関が合同で、ステージI-II乳がん患者さんで手術と合わせて行われるアジュバント化学療法(分子標的薬以外の化学療法剤による)を受けた患者さん約100人に頭皮冷却療法を行い、行わなかった16人のコントロールと比べた研究だ。脱毛は0から完全脱毛までを25%刻みにグレード0から4まで評価している。
   コントロールが極端に少ないのは、研究途上で頭皮クーリングの効果がはっきりしたからだろう。結果はめざましいもので、頭皮クーリングを受けなかった全例で50%以上頭髪が失われ、15人ではほぼ完全脱毛と言えるほどの75%以上の頭髪が失われているのに対し、頭髪クーリングを行うと、67%で脱毛を50%以下に抑えることができ、全く脱毛なし、及び25%以下にとどまった患者さんが実に35%に達している。この結果、自覚的なショックも30%近く抑えることができている。医療機器としては極めて高い効果があると結論できる。従来指摘されていた転移の促進も、2年経過観察では問題になっていない。
   米国で普及していないことや医療費の問題から考えると、化学療法には脱毛はつきもの、と我が国で普及が進まないのもわかる。しかし、病は気からとも言える。小児、及び女性については、わかっていても経験するとショックを伴う脱毛を予防する手段を認めて欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

2月19日:英国バイオバンクの実力:疲れやすい原因を探る(Molecular Psychiatryオンライン版掲載論文)

2017年2月19日
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    医者になりたての頃、外来で「先生、最近疲れやすく、何か悪い病気と違うでしょうか?」と聞かれるのが一番困った。診察や検査から何か異常が見つかれば、それが原因だと説明できる。しかし、一般的な検査で何もわからないとき、どこまで原因を求めて深追いをしていいのか判断できない。結局ほとんどの場合深追いはせず、「特に悪いところは見つからないので大丈夫でしょう、悪化するようならまた来てください」と帰っていただくのが精一杯だった。結局7年で医者をやめてしまったので、ベテランの医者としてこの問いに向かうことはないまま終わりそうだ。
   今日紹介する論文はこの「疲れやすい」と感じる背景に何があるのか、英国バイオバンクのデータを駆使して調べた研究でMolecular Psychiatryオンライン版に掲載された。タイトルは「Genetic contribution to self-reported tirednesss(自己申告による疲れやすさの遺伝性)」だ。
   英国バイオバンクは2006年、ウェルカムトラストと英国医学カウンシルが共同で、50万人を目標に40−69歳の英国人の様々な健康データ、血液、DNA、さらには画像データを集めた世界最大のバイオバンクで、2010年に50万人のリクルートを達成している。この論文を読んで、このバイオバンクの実力に改めて感心した。
   この研究ではUKバイオバンクの参加者のうちゲノムデータが得られる人に、「この2週間に何度疲れたと感じましたか?」と質問を送り、約10万人から回答を得ている。回答の内訳は、1)疲れを感じなかった(51416人)、2)数日(44208人)、3)1週間以上(6404人)、4)ほとんど毎日(6948人)だ。この数字をみて、改めて英国バイオバンクが初期の目的を十分果たしていることを実感するとともに、英国の人たちも疲れているのだと感じる。
   研究では、この回答と、バイオバンクの様々なデータとの相関が調べられ、
1) 自覚的な疲れやすさと直接相関する遺伝子座は存在するか?
2) 疲れやすさは健康に関わる性質と関わっているか?
3) 疲れやすさは不健康さと関わるか?
4) 疲れやすさと神経症的傾向を示すパーソナリティーとの間に遺伝的な関連性があるか?
に対する答えを見つけようとしている。
   ただ予想通り、疲れやすいという感じは、身体的状態にとどまらず、精神的状態とも連関しており結果は複雑で、結論もわかりにくい。詳細を省いて、4つの問いに対する答えだけをまとめると以下のようにまとめられるだろう。
1) ゲノムの多型解析から、疲れやすさの遺伝子として特定できるほど強い相関のある遺伝子は特定できないが、弱いが、ドーパミン受容体を始め5種類の遺伝子の多型と有意な相関が認められ、約8.4%に遺伝性が認められる。
2) 疲れやすさは、様々な健康状態や病気になりやすさと遺伝的背景を共有している。例えば、健康だという自覚や、長生きの遺伝子多型と逆相関している。
3) 疲れやすさは、代謝疾患マーカーや、肥満度マーカーなど、メタボリックシンドロームの指標と共通の遺伝背景を持っている。
4) 神経症的傾向などの精神疾患と疲れやすさは強い相関があるが、この相関は、身体的疾患との相関とは別のメカニズムによると考えられる。
実際には、バイオバンクのデータを総動員して、あれやこれやと調べており、まとまりのない仕事だ。とはいえ、誰もが当たり前と思ってしまう「疲れやすさ」を科学しようとする気概と、それを支えることのできる英国のバイオバンクにただただ感心した。
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