2021年1月8日
ボツリヌストキシンは極めて強力な神経毒だが、その神経特異的麻痺作用は臨床に応用されている。さらに最近では、筋弛緩作用を利用するシワ取りなど美容整形でも用いられる様になっている。これほどの神経毒が利用される一つの理由は、トキシンの作用機序が詳しく解析されていることにある。
ボツリヌストキシンは破傷風のテタヌストキシンと同様に神経細胞内に取り込まれてから効果を発揮する毒素で、毒性を発揮するプロテアーゼ(light chain:LC)と、コリン作動性の神経に発現しているシナプトタグミンに結合して神経細胞内に取り込まれるために働くheavy chain(HC)からできている。シナプス端末で神経のエンドゾームに取り込まれた毒素はエンドゾーム内の低いpHでSS結合が離れることでLCが細胞質内に放出され、シナプス形成に働くいくつかのタンパク質を分解してシナプス機能を抑える。しかもLCの細胞内での寿命は長く、長期間神経機能が失われることになる。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、この厄介なボツリヌストキシンを神経細胞内に抗体を移入する道具として使うための開発研究で1月6日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Delivery of single-domain antibodies into neurons using a chimeric toxin–based platform is therapeutic in mouse models of botulism (キメラボツリヌストキシンを使うプラットフォームは単鎖抗体を神経内に導入する治療に使えることがマウスモデルで確かめられた)」だ。
ボツリヌストキシンの神経内への移入効率は高く、以前からこの性質を細胞内へタンパク質を導入するツールとして使えないか研究が進んでいた様だ。このためには、まずLCのプロテアーゼ活性を完全にブロックする必要がある。ただ、プロテアーゼ活性に必要なアミノ酸を置換しても、完全に毒性を除去することはできていなかった様だ。
この研究ではプロテアーゼ活性を除去したLCと、二種類の毒素の部分部分をキメラにしたHCを用いることで、ほとんど毒性がない細胞内への輸送システムの構築に成功している。
この輸送システムの効果を調べるため、正常のボツリヌストキシンが導入されシナプス機能が失われた細胞に、この輸送システムを用いてボツリヌストキシンの活性を抑制するラクダ科の動物で作った抗体分子を導入し、細胞内で毒素を中和できるか確かめている。
これまで何度も紹介した様に、ラクダ科の動物の抗体は一本鎖でできており、化学的に安定で、細胞内分子と特異的に結合できることがわかっている。この研究では、LCに対する一本鎖抗体(nanobody)を輸送システムに結合させることで、細胞内のLCの活性を抑制できるかを確かめることで、この輸送システムの効率を試している。
結果は期待通りで、試験管内だけでなく、マウスにボツリヌス毒素を投与して起こった筋肉麻痺を、輸送システムにより運ばれた抗体がLCを中和して、治療できることを示している。
さらに腹腔内にボツリヌストキシンの致死量を投与したマウスに、この抗体+ボツリヌス輸送システムを投与することで、完全にマウスを生存させることができることも示している。
最後に、この輸送システムはnanobody であれば2本繋いだ大きなタンパク質も輸送できることを示し、将来抗体だけでなく様々な治療分子を神経細胞内へ導入できる可能性を示している。
結果は以上で、細胞質で働く物質に対する抗体を投与できるだけでも、実験や臨床で様々な可能性が開けると思う。残念ながらどのタンパク質を輸送できるかは、タンパク質の性質に強く依存している。これはエンドゾームに取り込まれ、さらにpHが変化することでSS結合が切れ細胞質へ移行するという極めて複雑な経路を必要としているからだろう。当面は抗体のデリバリーに限って実験することで十分な気がする。
ではこの技術が今後大ブレークするかと考えると、簡単ではない様に思う。というのも、nanobodyの場合それ自身を投与しなくても、RNAをモデルナワクチンの様に導入すれば十分で、この様な遺伝子治療と比べた時どの程度のアドバンテージがあるのか、個人的には分が悪い様に思う。
2021年1月7日
小胞体ストレスといえば京大の森さんが明らかにしたストレス感知機構IRE1α分子のリン酸化、その結果起こるXBP1のスプライシングによる活性化、そしてXBP1によりシャペロンなどのERストレス解消に関わる分子グループの転写という経路が中心に来るが、研究が進むにつれこのほかにもPERK経路、ATF6経路が明らかになっている。さらに、それぞれの経路はERストレスを解消する方向の分子を誘導すると同時に、NFkbを介する炎症回路とつながり、最終的には細胞死に至る経路を活性化することもあり、小胞体ストレスの全体像はますます複雑になっている。
今日紹介するMITからの論文はこの複雑性をさらに増大させる分子QRICH1が、小胞体ストレスが細胞死へつながるターミナル過程に関わることを示す論文で1月1日号のScienceに掲載された。タイトルは「QRICH1 dictates the outcome of ER stress through transcriptional control of proteostasis(QRICH1は小胞体ストレスの結果をタンパク質恒常性を転写レベルでコントロールして調節する)」だ。
この研究では細胞株ではなく、マウスの正常腸管上皮細胞を培養し、これをトニカマイシンで処理することでタンパク質の分泌を抑えてストレスをかけ細胞レベルの効果を調べている。面白いのは、この上皮の中に分泌性のゴブレット細胞も含まれている点で、これによりもともと小胞体のキャパシティーの高い分泌細胞と、一般上皮の反応を調べることができる。さらにこの様に異なる細胞種が含まれた系でのストレス反応を調べるため、single cell RNAseqを用いている。その結果、一般上皮ではストレスが長期化するとそのまま細胞死へ移行する一方、ゴブレット細胞ではストレスの長期化にも適応できる転写プログラムを持っていることが明らかになる。
小胞体ストレス経路は極めて複雑なので、それに関わる分子探索も複雑を極めるので詳細は省くが、XBP1のスプライシングを指標としてERストレスを検出する系で、細胞死へ至るターミナル経路へのスイッチに関わるマスター分子QRICH1を特定する。
QRICH1はカスパーゼ活性化に関わる分子であり、小胞体ストレスと炎症を繋ぐ分子としても働くと考え、後半はこの分子に焦点を当てて研究を行なっている。
まずこの分子の発現調節について調べ、小胞体ストレス3経路のうちPERKα経路により活性化されるelF2αによる特殊な翻訳開始点の選択の結果、QRICH1タンパク質の発現が翻訳レベルで上昇することことを突き止める。すなわちQRICH1は小胞体ストレスにより誘導される。
次にこの分子の作用機構について調べ、核内で特定の遺伝子上流に結合して遺伝子発現調節に関わること、そしてこうして転写が促進される分子の多くが、タンパク質合成や分泌に関わる分子であることを発見する。そして、ストレスが続いた細胞でさらにタンパク質合成を進めることで、さらなるオーバーロードにより細胞をターミナル経路へと誘導することを明らかにする。
以上が結果で、QRICH1と炎症経路との直接の関係は明確にはしていないが、普通ならストレスを解消する方向で働く小胞体ストレス経路が長く活性化されると、ストレスを上昇させるQRICH1を中心とするメカニズムが働き、最終的にインフラマゾームの形成から細胞死へと導き、厄介な細胞を速やかに殺しているというシナリオだ。
健全な細胞だけで社会を維持しようとする非情な掟を改めて認識した。
2021年1月6日
抗生物質の探索というと、土の中からの抗菌物質探索の様な地道な美談をついつい思い出す。しかし様々な薬剤に対する耐性菌が問題になってからは、なかなかこの作業も追いつかないため、今や多剤耐性菌は治療する術のない重要な医学問題になっている。
今日紹介する米国フィラデルフィア・ウイスター研究所からの論文は、細菌を殺すのと同時に、キラー細胞も誘導して、耐性菌の出現を止めるという、全く新しい発想の抗生物質開発を目指した研究で12月23日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「IspH inhibitors kill Gram-negative bacteria and mobilize immune clearance (IspH阻害剤はグラム陰性菌を殺すと同時に免疫による菌の除去を活性化する)」だ。
この研究の基盤にはグラム陰性菌や結核菌などの細胞が合成するhydroxy-methyl-but-enylpyrophosphate(HMBPP)がVγ9Vδ2T細胞を直接刺激する抗原になるという免疫学的な発見がある。γδT細胞はMHCとペプチドを認識するαβT細胞と異なり、B細胞の様に直接抗原を認識すると考えられているが、それぞれのV遺伝子組み合わせが認識する抗原は特定できていない。その意味で、Vγ9Vδ2Tは例外とも言える。
このとき抗原になるHMBPPはグラム陰性菌がMEP経路で細胞壁成分を合成するときの中間成分で、IspH酵素によりIPPとDMAPPに分解され、細胞壁合成に使われる。とするとIspHを阻害することで、この経路が止まり、細胞壁形成不全が起こることで殺菌効果が得られると同時に、細菌内のHMBPPが上昇し、Vγ9Vδ2Tキラー細胞を誘導することで、細菌を2重のメカニズムで殺す可能性が生まれる。
この研究ではこの可能性が実現できることを示したもので、
IpsHの発現をコントロールできる様にした細菌を用いて、IpsHをオフにすると、菌の増殖が止まるとともに、Vγ9Vδ2Tを刺激する活性が誘導される。 次にHMBPPからIPP+DMAPPへの経路を阻害する化合物を、IpsHの立体構造をもとに設計し、それを起点に化合物を至適化、殺菌活性の強い化合物を数種類得ることに成功している。 この中から3種類の化合物を選び、臨床例から分離された多剤耐性菌への効果を調べると、細胞壁の機能不全に基づく強い殺菌効果を得ることができた。 さらにこの化合物で処理した細菌は人末梢血中のVγ9Vδ2T細胞の増殖を誘導できる。 化合物と細菌だけを培養すると、当然の様に耐性菌が現れてくるが、ここに末梢血を加えると、耐性菌の発生を抑えることができる。 マウスにはVγ9Vδ2T細胞は存在しないので、人の免疫系で再構成したヒト化マウスを用いて感染実験を行うと、耐性菌でも多くのマウスで細菌の増殖を抑えることができた。
などの結果から、細菌を殺すと同時にキラー細胞を誘導できる抗生物質が可能であることを示している。
まだ人間に投与できる化合物かどうかはわからないが、コンセプトが証明できたことは大きい。なんと言っても、結核菌を含む多くの耐性菌の問題を解決できる。そして、さらにγδT細胞が認識する抗原を探ることで、同じ様な抗生物質を設計することも可能かもしれない。さらにγδT細胞をあらかじめ増殖させるワクチンと抗生物質を組み合わせる治療も可能になるかもしれない。
年初の初夢としては大きな夢の実現に向いた研究だと思う。
2021年1月5日
哺乳動物で血液は骨髄で作られるが、作られたあと、必要に応じて血中に流出していくが、このメカニズムはまだまだよくわかっていない。例えば、造血幹細胞移植のためにG-CSFを投与して骨髄から未熟な幹細胞を動員することが行われているが、 分化幹細胞だけでなく、なぜ未分化幹細胞まで移動を始めるのかよくわからない。
今日紹介するアルバート・アインシュタイン医学校からの論文は骨髄からの血液の移動に自律神経系が関わるはずだと狙いをつけて可能性を検討した論文で12月23日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Nociceptive nerves regulate haematopoietic stem cell mobilization (侵害受容神経細胞は血液幹細胞の動員に関わる)」だ。
この研究ではG-CSFで血液幹細胞を動員するシステムをベースに、この動員に自律神経系がどう関わるか調べている。組織学的には骨髄に投射している神経の多くは、痛覚に関わるとして研究されてきた侵害受容神経とアドレナリン作動性の自律神経なので、まずそれぞれの神経系を化学的に除去する実験を行い、
1)G-CSFを投与して誘導する骨髄での造血は、両方の神経を除去することで強く抑制される。すなわち、造血に骨髄内の神経系が関わっている。
2)侵害受容神経の除去だけでは骨髄増血にそれほど大きな変化はないが、造血幹細胞の末梢血への移動は、侵害受容神経を除去するだけで強く抑制できる。
侵害受容神経は神経ペプチドCGRP を分泌することが知られているので、CGPR投与実験、あるいはCGRPR受容体のノックアウト実験を行い、骨髄からの造血幹細胞の動員はCGRPが担っており、さらに血液細胞特異的受容体ノックアウト実験から、CGRPが直接血液幹細胞に働きかけて骨髄から移動させることを明らかにしている。
タイトルを見た時、おそらくストローマ細胞や血管細胞に侵害受容神経が働いて造血幹細胞が移動するという結論を頭に描いていたが、神経ペプチドが直接血液、しかも未熟な血液幹細胞に働きかけて動員するという結論は意外だった。実際、ほぼ同時に発表されたリンパ節の侵害受容体についての研究では、血管内皮、ストローマ細胞が神経に調節されることで、免疫系を外界からの刺激に備える様にすることが示されており(Cell 184, 2021: https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.11.028 )、こちらの方が常識的な結果だと思う。いずれにせよ、直接血液幹細胞に働くとすると、造血幹細胞側で何が起こっているかが問題になるが、cAMP経路を介してCGRPシグナルが伝わるという以上に、幹細胞側の変化を特定できていないのは残念だ。
代わりにと言ってはなんだが、最後にイグ・ノーベル賞ものの実験、すなわち侵害受容体を刺激するカプサイシンを多く含む食べ物(例えば唐辛子)を食べたら血液幹細胞の末梢血への動員が高まるか調べている。結果は予想以上で、G-CSFのみを投与するときと比べて、なんと2−3倍の造血幹細胞が末梢血で検出できる様になる。
結果は以上で、動きのメカニズムが特定できていないのは物足りないが、意外な唐辛子の効果を知って思わず笑ってしまった。
2021年1月4日
一般の人が菌状息肉症などと聞いてもなんのことかわからないが、Mycosis Fungoidesの和訳で、キノコの様(Fungoides)な真菌症と訳せばいいと思う。ただ真菌症というのは全くの診断間違いで、現在はT細胞リンパ腫が皮膚に浸潤した状態を指している。
今もこの診断名が使われているのかよくわからないが、この名前を聴くたび、ガンという病名を患者さんに知らせていなかった時代を思い出す。肺ガンの場合は、真菌症という名前を患者さんには告げることが多かった。
少し脱線したが、今日紹介する米国Lee Moffitt Cancer Centerからの論文は、菌状息肉症やセザリー症候群のような皮膚Tリンパ腫のエピジェネティック治療の可能性を示した研究で12月3日Journal of Clinical Investigationにオンライン掲載された。タイトルは「METHYLTRANSFERASE INHIBITORS RESTORE SATB1 PROTECTIVE ACTIVITY AGAINST CUTANEOUS T CELL LYMPHOMA IN MICE(メチル化酵素阻害剤はSTAB1のマウス皮膚T細胞リンパ腫抑制効果を回復させる)」だ。
昨年大晦日は「ガンの万能薬は可能か?」と題して、ガンのエピジェネティック治療の可能性を示した論文で締めくくったが、遺伝子変異による変化ではなく、ガン特異的エピジェネティックな変化を探して治療する方法は、ますます発展する予感がする。この研究では、進行するとほとんど治療法がない皮膚T リンパ腫でエピジェネティックにSTAB1の発現が低下しているという観察に基づき、マウスT白血病モデルでSTAB1をノックアウトした時何が起こるのか調べることから始めている。
Notch過剰発現によりT細胞増殖の上昇は見られるものの腫瘍化は起こらないが、STAB1のノックアウトにより腫瘍化が起こることから、STAB1が一種のガン抑制遺伝子として働いていることがわかる。さらにこうして誘導されたリンパ腫は、皮膚Tリンパ腫と同じ症状を示すことが明らかになった。
そこでもう一度人間の皮膚Tリンパ腫に戻ってSTAB1の発現を調べると、セザリー症候群ではSTAB1の発現が強く抑制されていることが確認された。また、この発現抑制は遺伝子の変異ではなく、STAB1遺伝子がH3K9me3やH3K27me3ヒストンコードにより抑制されているからであることを突き止めている。
すなわちH3K9me3やH3K27me3などのヒストンコードを形成を阻害することで、STAB1の発現を復活させる可能性がある。もともと皮膚Tリンパ腫にはヒストンのアセチル加工その阻害剤romidepsinが使われている。ただ、この研究によりSTAB1抑制にH3K9me3やH3K27me3が関わることが特定されたので、ヒストンメチル化阻害剤の皮膚Tリンパ腫細胞株への直接効果を確かめ、これまで利用されてきたアセチル化阻害剤より高い効果が、ヒストンメチル化阻害剤、特にH3K9メチル化阻害剤で見られることを明らかにしている。
以上が結果で、極めて古典的な匂いのする全臨床研究だが、皮膚T細胞リンパ腫のエピジェネティックな治療の可能性についてはよく理解できた。おそらく我が国特有とも言える成人T細胞白血病でも同じ効果があるのではと推察され、期待したい。
2021年1月3日
正月3番目の話題はCovid-19、それも接種が進むRNAワクチンの副作用についての総説を選んだ。
オバマ、ブッシュ、クリントン前大統領がワクチン接種を受ける報道が流れたり、流石に画面にはでないがエリザベス女王夫妻がワクチンを受けることが発表されたりするのを見ると、ノブレスオブリージュが今も生きていることを感じる。ワクチンには当然副反応がある。しかし、それを知るためには人間への接種を繰り返す以外に方法はない。こんな時安全性を確かめるためにも、率先してリスクを取るのは、身分が高い人の務めであるという文化だと思う。
幸い率先してワクチン接種を受けるところを公開したみなさんには何も起こらなかった様だが、すでに100万近い接種者の中にはアナフィラキシー反応を起こしたケースが報告される様になっている。しかも、例えばインフルエンザワクチン(おおよそ100万人に1人)と比べた時、10倍の頻度で(おおよそ10万人に1人)、早速接種後15分は様子を見ること、ショックと判断した場合はエピネフリンを注射すること、そしてこれまで強いアナフィラキシーを経験している人は、接種を避けることというガイドラインが示された。
1月1日号のScienceによると、米国国立アレルギー感染症研究所では数回の専門家会議を開き最も可能性の高いアレルゲンがポリエチレングリコールであると結論したことが紹介されている。
おそらくこれらの会議で、議論の内容をワクチン接種の現場、医療従事者、そしてこれからワクチンを受ける一般の人たちへ、情報提供することが決まったのだと思う。
その結果、The New England Journal of MedicineとThe Journal of Allergy and Clinical Immunology: In Practiceにハーバード大学を中心に米国の大学のグループが2つの総説を発表し、RNAワクチンにより起こりうるアナフィラキシーの原因と対応を詳しく述べている。
内容は基本的に同じなので、より詳しく対応策を示している後者の総説をまとめておく。
治験でのアレルギー反応 :ファイザーもモデルナも第3相の治験では、アレルギー歴のある人を省いている。ただ、ワクチン注射に過敏性を示した人は0.5-1%存在するが、偽薬群と比べてほとんど差はない。1人、注射1−2日後に唇が腫れた人が出たが、美容整形目的の皮下注射を受けている人で、それ以外はアレルギー反応は見つかっていない。規制当局のガイドライン: それぞれのワクチンにはRNA以外に様々な化学物質が含まれており、これらに対するアレルギー反応を示す人は最初から除外することを勧めている。また、アナフィラキシーは15分以内に発症するので、15分経過観察を義務付けている。(アナフラキシー歴のある医療従事者が接種を受けたことが報道されているが、これは覚悟して接種を受けたことになる)。一般接種開始後の発症者: 総説の書かれた時点で200万回の摂取に対して10例のアレルギー反応が米国で観察されているが、全て15分以内に反応が起こり、治療を受けている。いずれにせよ頻度は高い。原因: 通常ワクチン接種後のアレルギー反応は、ワクチン成分そのものではなく、それをデリバーしたり、溶かしたりする分子に対して起こる。RNAワクチンに使われるmodified RNAは自然免疫誘導能を下げてはいるが、一定の自然免疫は誘導されるので、これで倦怠感や発熱などの一般的な副反応を説明できる。両社のRNAワクチンの場合、アナフィラキシーの原因を洗っていくと、もっとも可能性が高いのがポリエチレングリコール(PEG)に行き着く。これはRNAを包んでいるリポソームを安定化するために加えられており、ワクチンに使われるのは初めてだが、注射薬、化粧品、食品などに広く含まれており、すでにアレルゲンに触れている可能性は高い。事実PEGに対する抗体は広く検出されるし、アナフィラキシーの報告もある。他の会社のワクチン: PEGはファイザー、モデルナに使われているが、よく似た安定剤Polysorbateは認可を待つアストラゼネカ、ヤンセンのワクチンに用いられているので、これらのワクチンについても同じ様なアナフィラキシーは想定できる。IgE以外の経路: PEGの場合、すでに感作されIgEができていなくとも、補体の活性化を通じて直接マスト細胞を活性化する可能性が指摘されている。また補体活性化による、擬似アレルギー反応も起こる可能性がある。これについてはすでにリポソームで包んだ薬剤投与で経験されている。対策: ワクチン接種の現場で詳しい病歴などを聴く余裕はない。また、PEGに対する皮下テストも実施不可能。とすると、まず接種場所に来る前に自分で危険性を評価してもらう必要がある。
そのために、
以前注射を受けた時強いアレルギー反応が起こらなかったか? ワクチン接種でアレルギー反応が起こった経験はないか? 食べ物、ハチ刺され、ラテックスに対してアレルギー反応を起こしたことがあるか? PEGやPolysorbateを含む注射に対するアレルギー反応の経験はあるか?
の質問をあらかじめして、この答えから、高リスク、中等リスク、低リスクに分けて、ワクチン接種回避を含めた対策を指示しておく。実際には、全てNOの場合はワクチン接種後15分は経過観察、1−3のうち一つでもYesの場合は30分経過観察、2つ以上、あるいは4にYesの場合はアレルギー診断医の判断のもと接種を受けるかどうか決めることを勧めている。
他にも、アレルギーと思われる反応が起こった時など、現場の医師に対する詳細なガイドラインが示されており、是非一読をお勧めする。また、ワクチン接種実施に際して、アレルギー専門医の強いコミットメントも求めており、医学会全体でワクチン接種で犠牲者を出さないという決意が示されている。ただ、長くなるので割愛して、それぞれのガイドラインについては4日昼12時からYoutubeで緊急の配信を行うことにする(https://www.youtube.com/watch?v=GazBE_fhZTs)。
折しもモデルナ社の第3相治験の結果が発表された。報道されている様に95%の有効率だが、それ以外にも重傷者はワクチン接種群で0という結果も重要だと思う。また、2回接種プロトコルだが、1回目から効果はある様だ。
我が国の場合最終的に受けるかどうかは、接種を受ける人が自分で判断することになるが、それでもこれから始まる接種事業は何千億もの国家事業だ。この事業遂行にあたって一般の協力は必須だ。この時、みなさんの判断を専門家の意見で誘導するのではなく、本当に自分で判断してもらうための共有可能な科学知識とは何か、この機会を捉えて考えてほしいと思う。差し迫った知識共有としては、なんと言ってもアナフィラキシーを含む副反応情報が求められるだろう。そのためには、アナフィラキシーのリスクなどがかなり正確に判断できるスマフォのアプリの作成など、できることは徹底的に行えばよい。新しいIT国家にとって素晴らしい課題だと言える。もちろん、今からでも遅くないので、ワクチン接種に向けた臨戦組織をできるだけ早く準備する必要があるだろう。
欧米の結果を見てから判断したら良いと言った意見を報道している我が国のメディアも存在する様だが、他人任せでは決して次のパンデミックに備える体制は確立できない。ぜひ国をあげて、ワクチン接種の我が国独自の方式を編み出してほしい。実際、この2社にとどまらず、これから多くのワクチンが市場に出回る。これらを適切に選んで、個人に合わせたワクチン接種すら可能になるだろう。それがwithout コロナ時代のニューノーマルだと思う。
2021年1月2日
お正月のお年玉になる様な研究はないかと論文のアブストラクトを見ているうち、紹介し忘れていたが、お年玉としてはうってつけの論文を見つけた。すでに臨床で使われている抗TNF抗体が、初期の1型糖尿病患者さんの病気の進行を遅らせるという論文だ。
1型糖尿病の患者さんの団体日本IDDMネットワークとはもう20年近くのお付き合いだが、この間安心して誰でも利用できる治療法の開発は、残念ながらないと言っていい。私はこの様な治療法の開発に直接携われることはないので、世界各地で行われている研究の中から期待できる新しい治療法の報告をいち早く探し当てて紹介したいと思っているが、この論文は発症初期の患者さんに限るがかなり期待できるのではという感触を持った。少し紹介が遅れたが、素晴らしいお年玉であって欲しいという願いを込めて正月第二弾はこの論文に する。
Jacobs School of Medicineの小児科から11月19日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された論文で、「Golimumab and Beta-Cell Function in Youth with New-Onset Type 1 Diabetes (新しく発症した1型糖尿病の若者に対するGolimumab治療とべーた細胞機能)」だ。
この研究の対象は6ー21歳の1型糖尿病患者さんで、診断が確定してから100日以内で、食事プログラムに反応してインシュリンの元になるC-ペプチドのレベルが0.2ピコモルはあることを条件としている。1型糖尿病は進行性の自己免疫病と言えるが、まだインシュリンを作る膵臓のβ細胞が残っている患者さんを対象にしている。
次に、Golimumabは日本ではシンポニーという名前でJansenや三菱田辺から発売されている抗TNFα抗体薬で、間接リュウマチや潰瘍性大腸炎の治療に用いられている。その特徴の一つはオートインジェクターで皮下注射が可能で、患者さん自身で薬剤を注射できる様になっており、インシュリン皮下注射を日常行なっている1型糖尿病患者さんには使いやすいと思う。
治験では無作為に選ばれた56人が抗体投与群、その半分の26人が偽薬注射群になっており、少し多めの導入量投与後、2週間に一回の注射を52週間続けるプロトコルが用いられている。
臨床的結果や方法の詳細については割愛して、簡単にまとめると次の様になる。
この研究は、様々な組み合わせの食事を取らせた後でCーペプチドを測定するテストが、ベータ細胞の機能を最も反映するとして、プライマリーアウトカムとして選んでいる。結果は素晴らしく、ほぼ1年経っても機能低下率が平均で12%にとどまっている。一方偽薬群では、54%の低下率で、ベータ細胞の喪失が進行していることがわかる。 β細胞の喪失が防がれていることを反映し、患者さんのインシュリン使用量も治療開始時とほとんど変わらない。また、食事に対するCペプチド反応がほとんど変化しない一種の部分寛解も4割の患者さんでみられる。 A1cHbについてはあまり大きな改善はないが、感染などの副作用はほとんどない。
私も専門家というわけではないが、一定の医学知識があれば、かなり期待できると思える素晴らしい結果だ。特に、既に我が国でも認可された薬剤で、しかも自分で皮下注射できるタイプの薬剤の効果が確かめられたことは大きい。
この方法が定着すれば、患者さんの早期発見が医師にとって最も重要な課題になる。どうこれを実現するか、今後の結果を見ながら、探っていく必要があると思う。
しかし、抗TNF抗体は自己免疫病治療として最も最初に実現した抗体薬だ。今回の結果を見ると、どうしてこの様な治験が今まで行われなかったかの方が不思議だ。一つの理由は、一般的に用いられている1型糖尿病モデルマウスでこの抗体が全く効果がなかったことが挙げられる。とすると、前臨床にこだわることなく、原理的に可能性があり、すでに安全性が確認された薬剤については、患者さんに試してみるという選択肢もあると思う。
いずれにせよ、思いがけないお年玉になりそうな論文だった。
2021年1月1日
元旦の論文ウォッチは、Covid-19論文にするか、今日取り上げるNeurofeedbackにするか迷ったが、Covid-19はいずれ収束するので、やはりもっと未来に開かれたNeurofeedbackを取り上げることにした。Neurofeedbackについては昨年9月8日に付随運動を抑制する治療法として紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/11297 )、要するに付随運動の原因となる脳の活動を客観化することで、付随を随意に変えようとする試みだ。
多くの読者の方は「クオリア」という言葉をご存知だと思う。といっても我が国でクオリアというとソニーの高級ブランドを指す。この様な哲学用語にイメージをかぶせて宣伝に使うプロデューサーの教養には脱帽するが、私にとってこの言葉は、主観と客観の壁は絶対打ち破れないという哲学界のマニフェストに思える。
クオリア自体は20世紀初頭から使われているが、一般に普及し始めるきっかけは、米国の分析哲学の流れを汲む、クワイン、ナーゲル、チャルマーズなどが、主観的な認識は決して科学的に客観化できないことを主張した著作だと思う。個人的な意見だが、昨年我が国の哲学ブームのきっかけになったマルクス・ガブリエルの「私は脳でない」も、この認識論の延長にある様に思える。
しかし、これで納得しては科学者が廃る。クオリア論は主観的認識は決して科学の対象にならないということを前提としている。確かに今はそうかもしれないが、その様な壁を克服することこそ科学だと言える。
では何かを感じている私の脳を感じることができるか?もちろん脳自体を感覚するためのシステムを持たない私たちには原理的に不可能だ。しかし、感じている脳を様々な機器で表象化して、それをもう一度客観的に感覚することは可能だ。いずれにしてもすべての感覚は脳内で表象化されている。とすると、脳画像機器による表象と脳内の表象をつなぐことができないか考え始めたテクノロジーがNeurofeedbackではないかと私は思っている。
事実、科学の世界ではNeurofeedbackは医療技術として広がりを見せ始めている。2017年にNature Rev. Neuroscienceに発表された総説では、自分の感覚過程を画像化してコンピュータにより表象化してもう一度脳に戻すテクノロジーが紹介されている(是非お読みください)。
さらには、Neurofeedbackを音で行うデバイスまで販売されている有様で(https://choosemuse.com/how-it-works/ )、否応なしに科学はこの可能性を真面目に追求する必要があるだろう。
今日紹介する英国グラスゴー大学からの論文はNeurofeedbackが外界のシグナルからの反射能力を高める効果があることを示した論文で12月13日号のeNeuroにオンライン掲載された。タイトルは「Up-regulation of Supplementary Motor Area activation with fMRI Neurofeedback during Motor Imagery(運動の構想時の補足運動野の機能的MRIの活動をNeurofeedbackにより高めることが可能)」だ。
補足運動野とは、私たちが自発的に運動を始めるとき、一連の操作を構想し、まとめるために活動する脳領域でMSAと呼ばれており、Neurofeedbackでは、画像機器を用いて感覚の再表象を得るための場所として最も用いられる。
この研究では、信号を見て右人差し指でボタンを押す運動を、動作を起こすかどうか決める比較的簡単な課題を健康人に行ってもらい、500回近くの反応過程でMSAの反応が課題に対する行動と相関することをまず確認する。
Neurofeedback訓練ではMRIを記録しながら同じ課題を行うのだが、課題を行うときのMSAの活動状況を温度計表示して被験者に認識してもらい、フィードバックをかける方法を用いている。すなわち脳MSAの状態を視覚から再インプットされることで、認識するという仕組みだ。この研究では、いわゆる偽薬グループを設定し、同じ過程で、MRIの結果に関係ない温度計表示を被験者に見せている。
結果は期待通りで、Neurofeedbackを受けた患者さんでは課題での右手の反応時間がなんと15msも早くなる。一方偽薬グループでは全く影響はない。さらに、neurofeedbackで訓練が続く間、MSAの反応自体も上昇する。一方、他の感覚野や運動野の活動感受性は誘導できなかった。言い換えると、どの様な感覚かを表現できないにしても(これは温度表示による表象が完全に脳の活動としては認識できていないためだ)、自分の脳の動きを客観的な指標として感じ、この感じをさらに高める方向へMSAをコントロールできたことになる。
以上、neurofeedbackを科学的に検証した論文がまた一つ増えたことになるが、現在のところクオリアをもう一度表象として補足できる場所は、補足運動野の様な、運動を構想する場所にに限られるようだ。
まだまだ脳を感じるという実感までには至らないし、皮肉な見方をすると一つの医療技術で終わるかもしれない。しかし、主観的には決して感覚ができない脳の活動を、なんとか感覚できる様にしようとする方向性には期待しており、初夢として期待できると思っている。
実は年末30日、東京芸大、東大医学部の学生さんを中心に行われているArt Meet Science プロジェクトの定例会に参加したとき、東京芸大の高杉瑠奈さんの企画した「脳で触る身体」プロジェクトの報告を受けた(図は人間の皮膚の写真からPCで作成されたイメージ)。
私の様な頭でっかちな科学知識とは無関係に、脳での感覚を見てみたいという気持ちが伝わるプレゼンで、展覧会に参加できなかったのは残念だと思った。特に話を聞いていて、高杉さんたちのコンピュータデザインが、将来より複雑なデコードされた脳過程をもう一度感覚可能な形で表象するのに使えるのではとフッと考えた。残念ながら今私たちが客観的に知りうるクオリアは単純な量としてしか表象できない。しかし、動物実験からも分かる様に、脳での活動と行動を統計的に相関させてデコードする技術は進んでいる。ただ、複雑な情報をわかりやすくもう一度インプットする方法論がない。デザイン技術がここで生かされ、より複雑な私のクオリアを、分かりやすいデザインとして他の人と楽しむ時代が来ることを夢見ている。
2020年12月31日
高々30Kbのウイルスに全人類の活動が抑制された暗い1年だったと思う。しかし明けない夜はない。「有効で安全なワクチン開発には通常何年もかかる」と無知のマスメディアがお題目を繰り返しているうちに、ウイルス遺伝子配列が報告されてから3日で設計を終え、次の日にはGMP生産が行われ、なんと7月までに前臨床、1/2相を終了して、第3相開始、12月にはワクチンの臨床接種開始という超高速で、有効性の高いワクチンの供給が始まった。ワクチンを接種するかどうかは個人の自由だが、現在の科学の実力を再認識する1年でもあった。
そこで今年の終わりは、もう一つの医学の課題、ガンの制圧に向けた新しい希望になるかもしれないと個人的に期待しているSanford Burnham Prebys Medical Discovery Instituteからの論文を紹介することにした。タイトルは「FOXO44 promotes DNA replication-coupled repetitive element silencing in cancer cells(FOXO44は複製とリンクした反復配列の抑制を癌特異的に促進する)」だ。
最近、様々なエピジェネティック/クロマチン維持に関わる分子を標的にしたガン治療が行われる様になったが、なぜ正常細胞にも必須の機構の抑制がガン特異的に効果を示すメカニズムはわからないことが多い。
この研究では、我々のゲノムの半分以上を占める反復配列の発現を抑えるエピジェネティックなメカニズムが、増殖の早いガン細胞でどの様に維持されているのかに焦点を当てて研究を始めている。というのも、この反復配列の発現抑制はクロマチン構造が一旦解消する分裂時に綻びが出る可能性がある。特に増殖が激しいガン細胞はその危険が高い。そして、反復配列が発現することでウイルス感染と同じ様なRNAやDNAが細胞内に蓄積し、自然免疫を誘導して、最終的には細胞死に至る。したがって、ガン特異的に反復配列の抑制過程を狂わせると、ガンの増殖をおさえ、さらに自然免疫からガン免疫まで誘導する可能性が生まれる。
研究ではまず、反復配列に関わるヒストンコードHeK9me3のレベルを下げる分子の探索を行い、最終的にFBXO44を特定する。あとは、この分子の機能を明らかにし、ガン増殖抑制、そしてガン免疫増強する可能性を、この分子の機能を解析しながら検討している。膨大な実験なので結論だけを述べると以下の様になる。
FBXO44は、反復配列のクロマチンに選択的に結合するが、複製が進む複製フォークと呼ばれる場所でH3K9me3コードを持ったヌクレオソームに結合し、分裂が終わった反復配列に速やかに様々な分子をリクルートして、転写が始まるのを抑えている。エピジェネティックコード形成時に重要なのが、ヒストンリジンメチル化酵素SUV39H1の結合で、FBXO44とSUV39H1の結合が分裂後速やかに反復配列を抑える過程のトリガーになることがわかる。 FBXO44をガン細胞でノックダウンすると、DNAの切断断片が上昇することから、DNA複製時のストレスが高まることがわかる。 これに次いで、細胞質内のDNA断片が上昇し、結果インターフェロン産生に至る自然免疫経路が活性化され、細胞死も誘導する。この効果は、ほぼ全てのガンで見られ、全てを自然免疫と、ストレスで説明できるわけではないが、増殖に関わる様々な分子の発現も抑制される。また、自然免疫経路が活性化することで、ガン抗原の発現も上昇する。 FBXO44をノックダウンしたガンを移植すると、増殖抑制だけでなく転移も抑制されるが、これはガンの増殖が抑制されるだけでなく、キラー細胞の局所への深順から分かる様に、ガンに対する免疫が成立しやすくなったことに起因している。また、FBXO44をノックダウンしたガン細胞では、PD1抗体によるチェックポイント治療によく反応する。 ガンデータベースからFBXO44の発現と予後との相関を調べると、高発現の患者さんほど予後が悪い。 これらの効果はほとんどガン特異的に見られる。また、FBXO44ノックダウンの代わりに、SUV39H1の阻害剤も利用できる。
以上が結果のまとめだが、ほとんどのガンが持つエピジェネティック過程の脆弱性を特定し、全く新しい、しかも増殖抑制から免疫増強まで、すべていいとこ尽くめのエピジェネティック治療が可能になることを示した力作だと思う。新しいガンのエピジェネティック治療元年になることを期待し、本年の論文ウォッチをおわる。
2020年12月30日
確認したわけではないが、原因不明(のちにCovid-19)の肺炎の集団発生についてのレポートが昨年の12月31日に発表されたとされているので、この一年はウイルスに明け、ウイルスに暮れた一年だったと思う。現時点で今年の10大科学ニュースをはっきりと特集しているのはScience誌だけだが、当然このニュースのトップはCovid-19に対するワクチン開発を選んでいる。ここで選ばれたニュースをまず紹介しよう・
Covid-19に対するワクチン開発が、予想を超えるスピードで行われたこと。 様々な分野の科学がCovid-19を知り、コントロールするため、このウイルスに立ち向かう一方、情報の拡散や政治的喧騒とも向き合わなければならなかった。 これまでとは異なるレベルの正確さでタンパク質の折り畳み構造を予想できるAI、AlphaFoldが実現した。 クリスパーを用いた最初の治療がタラセミア、及び鎌状赤血球症の患者さんで成功した。 地球温暖化の予測が正確に行える様になった。 謎の天体Radio Burstの手がかりが得られた。 世界最古の(44000年前)の狩りの壁画がインドネシアで発見された。 HIVウイルスの完全除去の難しさの理由が明らかになった。 常温での超電導が実現した。 鳥類が予想外に賢い理由が理解できた。
個人的印象を述べると、Covid-19のインパクトのために、生命科学から選ばれたニュースは、AlphaFoldを除くと例年よりは小粒に感じる。そのせいか、今回選ばれた論文のほとんどは論文ウォッチから漏れてしまった。
これら論文の解説は、ウェッブ会議元年となった今日夜7時から行うジャーナルクラブで、忘年会をかねてZoomで行う予定にしており(Zoom忘年会に参加したい人はこのHPの連絡先にメールしてください)、またその模様はYouTube配信する(https://www.youtube.com/watch?v=FK0TuO7Bd6A )ので是非ご覧いただきた。
選ばれたほとんどの論文を論文ウォッチで紹介しそびれたとはいえ、論文自体はほぼ読んでいた。ところが、エイズウイルスについての論文は、紹介どころか読んでもいなかったので、大慌てで読んでみたので、今日のジャーナルクラブ+忘年会のために最後に簡単に紹介しておく。
論文はMITとハーバード大学から8月26日号のNatureに発表されたもので、タイトルは「Distinct viral reservoirs in individuals with spontaneous control of HIV-1(HIV-1を自然にコントロールできる様になった人たちに見られる特殊なウイルス供給箇所)」だ。
よくウイルス疾患は薬がないとメディアが語っているのを耳にするが、エイズをはじめ、肝炎ウイルス、ヘルペスウイルスなど、薬剤でコントロールが可能になったウイルス疾患も多い。エイズはその典型で、満屋さんが開発したAZTに始まり、現在ではいくつか作用の異なる薬を組み合わせてウイルス増殖を抑え込むことができる。しかし、治癒できたのかと問われると、答えはNoで、薬を止めると再発してしまう。
これはエイズウイルスが私たちの血液細胞のゲノムに組み込まれているため、抑制が外れると、そこから新しいウイルスを作るからで、身体中からこの供給基地を除いてしまわないと治癒は難しい。
この研究では、大体0.5%ぐらいの確率で存在している、薬をやめても全く再発しない患者さんを選んで、なぜ普通の患者さんとの違いが生まれるのかを調べるため、ウイルスの供給基地になっているウイルスのゲノム上の挿入箇所を詳しく検討している。
と言っても、実際にはウイルスは次から次に新しい細胞に感染し、そのゲノムに組み込まれるので、解析や解釈は難しい。実際、100万個の末梢血中に、ウイルスの供給基地となる完全なプロウイルスは一般患者さんで1個、治癒例で0.1個しかない。要するに多くの細胞を解析し、できるだけ多くの完全なプロウイルスを特定する地道な努力の結果だと言える。その結果、
治癒例では完全なプロウイルスの頻度は低く、また変異を起こした様なウイルスも少ない。すなわち、ウイルスが挿入された後、プロウイルスとしての活動は少ない。 治癒例では、ウイルスがセントロメアや、19番染色体のクロマチン構造が極めて特殊な部位など、基本的に遺伝子発現が強く抑制されたヘテロクロマチン領域に挿入されている。
以上の結果から、たまたまウイルスがエピジェネティックに遺伝子発現が抑制された場所に挿入されると、何かのきっかけで病気が発症はしても、作られるウイルス量が低いため、おそらく免疫系が先に働いて、感染が拡大するのを防いでいる。そのため、病気が一過性で終わることを示している。
事実、調べられた2例では、プロウイルス自体が膨大な数の白血球を調べても検出できないか、ようやく一個見つかるだけという状態で、ある意味で完全治癒が達成できていると言える。
言わずと知れた、エイズは免疫不全を引き起こす病気だ。ただ、初期のウイルス産生量が低いと免疫不全になる前に、ウイルス感染細胞を除去できるチャンスが得られるという可能性を示している。したがって、研究自体は一般患者さんの完全治癒の難しさを物語るが、免疫系さえうまく働かせれば、感染細胞を除去できる可能性も示している。
いずれにせよ、ウイルス感染症の複雑さを物語る研究だと思う。