2020年12月18日
重症の新型コロナウイルス(Covid-19)肺炎に対する治療がどの様に行われているのかは、統計的に処理された論文からはなかなか窺い知ることはできない。しかし、医師の判断による特別の治療を受けた患者さんについての症例報告からは、様々なことがわかる。
今日紹介するシカゴのノースウェスタン大学病院から、12月16日号のScience Translational Medicineに発表された論文は、まずタイトル「Lung transplantation for patients with severe COVID-19(重症Covid-19患者さんに対する肺移植)」を見て驚いた。「Covid-19で医療が逼迫しているときに、ドナーが見つかるとしても、感染症による呼吸不全に対して肺移植がアメリカでは許されるのだろうか?」というのが率直な疑問だった。もちろん、論文を読んだ後もこの印象は変わらないし、まず日本では不可能だろうと思う。
とはいえ、この大学では3例も肺移植を行い、3例とも現時点では寛解している。ではどんな患者さんだったのか見てみよう。
28歳女性、基礎疾患は視神経脊髄炎で免疫抑制治療中にCoV2感染、急速に重症化し人工呼吸、最終的にECMO。治療中にセラチア感染。治療はセラチアに対する抗生剤、レムデシビル、クロロキン、IL6抗体、そして回復患者血清。ウイルスは消失しても、症状改善なく肺移植により回復、退院。
62歳男性、基礎疾患高血圧。感染後急速に悪化、ECMO。入院中緑膿菌感染。治療は抗生剤、レムデシビル、回復者血清、デキサメサゾン。ウイルスは4週間で消失。しかし肺機能回復なく、緑膿菌感染進行もあり、肺移植の結果回復退院。
43歳男性、基礎疾患糖尿病。感染後人工呼吸器を経てECMO。経過中に様々な循環器障害、肺症状、脳卒中などを合併。治療は抗生剤、レムデシビル、回復者血清。4週以降はウイルス消失も、症状回復せず、肺移植。現在入院してリハビリ中。
これら重症3症例からわかるのは、この大学ではレムデシビルと回復者血清が標準的に治療に使われていることで、しかもこれほど重症でも、ウイルスを除去するのに成功している点だ。原理的に考えると、レムデシビル、中和抗体は感染拡大に効果が高いことは間違い無い。ただ、治験で重傷者にそれほど効果がない様に見えるのは、重傷者の多くがウイルス感染による病気から、感染により誘導されたとしても、もはやウイルスの関与がない合併症に移行しているからといえる。
すなわち、重傷者に対する抗ウイルス療法の治験結果の解釈には注意が必要で、ウイルス除去に成功したかどうか必ず示されるべきだろう。
さらに我が国の現状はわからないが、人工呼吸器やECMOが必要な段階に入ると、治療による合併症とともに、新たに細菌感染が起こることで、これが病気をさらに治りにくくしていることもわかる。
では、ウイルス感染による肺炎から移行した次の段階とは何か?この研究では、組織学的解析とともに、肺移植時に切除した患者さんの肺から細胞を調整して、Single cellトランスクリプトーム検査を行い、貴重な症例から徹底的に学ぼうとしている。
詳細は省くが、組織学的には、マクロファージを主役とする線維化へのスイッチが入ってしまい、もはや回復できない複雑な病理像へと転がり落ちると形容できる状態が起こっている。ただ、この状態は、決してウイルス感染だけによりスイッチが入るのではなく、炎症や、人工呼吸器による損傷、合併する細菌感染など様々な要因が集まる、難しい状態であることがわかる。そして、この状態は肺移植しか救いようが無い。ただ、組織で調べても、ウイルスは完全に除去できていることも確認している。
これらの結果に基づき、ケラチン17陽性、ケラチン5陰性の肺胞細胞の出現が、感染症から線維症への転換を示すマーカーになることなど、アドバイスが行われているが、詳細は省く。
Covid-19患者さんへの肺移植が行われるとはまず考えられない我が国だが、今日紹介した様な、逼迫する医療の中で行われた驚くほど冷静な臨床研究は、学ぶことが多い。例えば、我が国で2週間以上入院している重症例でのウイルス検査成績など、この研究を見て是非知りたいと思った。
2020年12月17日
私たちは毎日様々な予想や期待を頭に浮かべながら行動し、うまくいけば行動を正当化し、期待が裏切られると反省して、期待確率を常に変化させる。パブロフの犬もこの行動に含まれるが、この様な期待と現実の一致する統計確率を学習することが私たちの生存に必須の条件であるとして、多くの研究が行われている。この報償回路はドーパミン作動性神経によりコントロールされているが、具体的にどの過程に関わるか明らかにするのは簡単でない。というのも、マウスの期待と落胆や満足を正確に理解することが難しいためだ。従って、マウスの期待と現実をできるだけ正確に測定するための課題設定がこの研究分野の鍵になる。
この様な期待に基づく行動過程で、線条体の神経活動が1−2秒ぐらいのサイクルの大きな周波数の波に同調していることが知られている。この波は、将来得られる褒美の価値に対応すると考えられてきたが、最近コンピューター科学から提唱されたTemporal Difference learning、すなわち次の瞬間の期待度と、次の瞬間での期待度の違いで表される指標(RPE)、言い換えると期待が裏切られた量と関係しているとする説が受け入れられる様になった。とはいえ、これから得られる価値への期待の高まりと、RPEは密接にリンクしており、それを正確に区別することは簡単でない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は時間を超えるという経験をマウスにさせることで次の瞬間についての期待と現実とを大きく変化させることで、実際の褒美の期待度から切り離してRPEを測る課題を設計し、この問題にチャレンジした研究で12月10日号のCellに掲載された。タイトルは「A Unified Framework for Dopamine Signals across Timescales (時間経過に伴うドーパミンシグナルの統一的フレームワーク)」で、責任著者は内田直重さん。
この研究では風景が変わる道を一定距離走るとジュースにありつけるという課題を覚えさせ、この道をもう一度景色を見ながら走る間ジュースへの期待が高まるという設定を作る。この間にドーパミン神経の活動のまとまり、特にrampingと呼ばれるゆっくりとした波ををfiber fluorometoryという方法で測定している。
結果は期待度ではなく、RPEとドーパミン神経の興奮周期が相関することを示したのだが、この研究のポイントはなんといってもRPEと期待度を切り離すための課題設計だろう。
学習した道をジュースを期待しながら走っている間、当然期待度は時間と共に上がっていく。この時、著者らがテレポーテーションと呼ぶ、すなわち次の瞬間途中の道がすっ飛んで、ジュースに近い地点が次の瞬間現れるという経験をさせる課題だ。実際には、道を走ってジュースにありつくという課題を全てバーチャルリアリティーで再現しているため、テレポーテーションが可能になる。
人間でも知らされずにそんなことが起こったら戸惑うが、テレポーテーションのトリックなど考えもつかないマウスにすれば、ゴールの方が次の瞬間近づいてくるので、期待は大きく外れる。しかし、その地点がもつジュースへの距離、すなわち期待度は同じなので、この時脳の活動が変化すれば、RPEをコードしていたことになる。また、テレポーテーションの距離の長短は、予想が裏切られた量に比例することになる。
他にも異なる道に急に移されたりなど、要するに他の場所に瞬間移動するというSFをマウスに経験させる課題で、この課題を読むだけでこの研究が分かった気になる面白い論文だ。
あとは、ドーパミン神経の活動だけでなく、実際のドーパミン濃度の周期的変化もRPEと関わること、個々の神経興奮レベルでこの周期が形成されること、匂いのシグナルで期待を変化させる実験などを行なっているが、詳細は省く。要するに、素晴らしい課題設計で、脳回路のアルゴリズムに、コンピュータサイエンスのアルゴリズムを当てはめられることを示した研究だと言える。この分野は、まさに科学とはかけ離れた様に見える倫理や道徳につながる分野なので、大きく期待している。
2020年12月16日
チェックポイント治療が導入されるまで、ガンの免疫療法というと、腫瘍に浸潤しているT細胞を体外で増殖させたあと患者さんに戻してガンを殺させる細胞移植治療のことを指していた。これに遺伝子操作を加えたバージョンがCAR-T治療で、ガン抗原特定している分効率が高まっているが、原理は同じだ。
ガンの細胞治療の草分けは、米国国立衛生研究所のRosenbergだが、今日紹介する論文は、チェックポイント治療導入後も、このグループが細胞治療の問題を改善しようと懸命の努力をしていることがよくわかる研究で12月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「Stem-like CD8 T cells mediate response of adoptive cell immunotherapy against human cancer(ヒトの癌に対する免疫細胞移植治療の成否は幹細胞様CD8T細胞が決めている)」だ。
この研究ではまず、チェックポイント治療など免疫治療はまだ受けたことのない、ステージ4のメラノーマ患者さんの腫瘍内T細胞(TIL)を移植前にCyToFと呼ばれるマルチパラメーター細胞解析で調べ、移植後臨床経過を調べ、ガンが退縮したグループと、退縮しなかったグループで、TIL中に存在する細胞に違いがあるか調べている。
結果は明瞭で、移植したキラー細胞の中でCD39陰性CD69陰性の記憶型細胞の数が、患者さんの生存期間と完全に相関することが明らかになった。この発見、すなわち抗原に反応して自己再生を繰り返す能力を持ったキラー細胞を用意できるかどうかが細胞治療の成否を決めるという発見がこの研究の全てで、あとは、他の方法を用いてこのことを確認しているに過ぎない。
まず、single cell RNAseq、すなわち転写レベルでこのことを確認している。
問題は、これまでの研究で、腫瘍のネオ抗原に反応する細胞はCD39–CD69–(double negatie:DN)ではなく、両方陽性(double positive:DP)のエフェクター細胞であることが知られていることで、今回の結果はネオ抗原特異性細胞が重要とするこれまでの結果と矛盾する。
そこでもう一度、細胞治療が効果を示した人について調べ直すと、治療効果が見られた移植細胞ではネオ抗原特異的細胞はCD39陰性分画に存在することがわかり、ホストの中で長く生存できる抗原特異的なメモリーT細胞が調整できたかが治療効果を作用することが明らかになった。
最後に、細胞治療で完全に寛解した一人の患者さんの末梢血を追跡し、患者さんの体内で持続しているネオ抗原特異的T細胞はDNポピュレーションに存在することも確認している。
以上の結果は、TILを調整した時、うまく抗原特異的メモリーT細胞の多い細胞が調整できると、患者さんの予後がよくなることを示しているが、これを確認するためにマウスにメラノーマを移植する実験系で、DNとDPを比べる実験を行い、圧倒的にDNに制ガン効果があることを示している。
ではいかにしてネオ抗原特異的DNメモリー細胞をTILから調整するかが次の課題になるが、目標が絞られたことで、大きな一歩になった様に感じる。
2020年12月15日
増殖するガンはDNA複製を繰り返す頻度が高いため、複製時のミスは当然多い。もちろんほとんどはミスマッチ修復システムにより修復されるが、この修復能力が落ちているガンでは、ゲノム変異の確率が上がり、この修復ミスを短い繰り返し配列を持つマイクロサテライトの反復回数の不安定性として検出することができ、ガンのマイクロサテライト不安定性検査として知られている。
ガンが遺伝子の不安定性を持つことは誰でもわかるが、しかし不安定性が高いほどガンが治る確率が高いと聞くと意外に思われるかもしれない。この理由は、ミスマッチが修復されずに残ることで、正常細胞にはない分子が発現することで、新しいガン特異的抗原(ネオ抗原)が生まれ、これがキラー細胞により検出されるからだと考えられるようになった。マイクロサテライト不安定性が見られるガンをチェックポイント治療の適用対象と認めるのも、このガンのネオ抗原に期待するからだ。
今日紹介する米国マウントサイナイ病院からの論文はマイクロサテライト不安定性が見られるガンのネオ抗原の多くは、遺伝子の読み枠のずれ(フレームシフト)により発生することを示す研究で12月10日号Cellに掲載された。タイトルは「Shared Immunogenic Poly-Epitope Frameshift Mutations in Microsatellite Unstable Tumors(マイクロサテライト不安定性を示す主要に見られる、複数の免疫原性エピトープを持つ共通のフレームシフト変異)」だ。
正直恥ずかしいことに、ミスマッチ修復で発生するネオ抗原の由来は突然変異が挿入された変異のことと私は思ってきた。しかし、マイクロサテライト不安定性の発生を考えてみると、変異が入ってコドンの読み枠が変化し、変異部から最も近いストップコドンまで、正常には存在しないペプチドが合成されることは当然のことだ。しかも、このようなペプチドは自己とは認識されず、キラーによるアタックの標的抗原(エピトープ)になる。さらに、一定の長さがあれば、このようなペプチドからは複数のエピトープが発生できることから、正常ペプチドに変異が入るよりはるかに抗原性が高い。そして、マイクロサテライト検査から想像されるように、フレームシフトによるネオ抗原は、個々のガンを超えて、共有される可能性が高い。
ある程度生物学を習っておれば、フレームシフトでもネオ抗原ができることを気づくだけで、上に述べたことを想像することができるが、この研究ではまさにこれらが実際に起こっていることを、データベースにある、子宮内膜ガン、大腸ガン、胃ガンのゲノムデータを見直すことで明らかにしている。
まず、各ガンでフレームシフトにより発生する新しいペプチド配列をリストし、その中からホストのMHCと反応できる幾つのネオ抗原が発生できるかを推定し、多くのフレームシフトで生まれるペプチドが、ガンの共通抗原として共有されること、さらにその一部はガンの種類を超えて共有されることを明らかにしている。
次に、このようなペプチドが実際に合成され、ミスマッチ修復が低下したガン患者さんでは、マイクロサテライト変異のない患者さんと比べ、その数が多く、強い抗原として働きうることを示している。
また、このようなペプチドを選び出し、正常人、ガン患者さんを問わず、末梢血中のT細胞を刺激できることも示し、ガン抗原として利用できることも示している。
ただ、フレームシフト由来の共通のネオ抗原を持つことと、ガンの予後を比べると、共通のネオ抗原と予後とはほとんど相関がなく、PD-1チェックポイント治療を行っている人で比べると、少し差があると言う程度だ。これは、ミスマッチ修復異常では共通抗原を超える数の多くの変異が発生し、これに対して免疫反応が誘導されると考えられるので、ガン共通のネオ抗原である必要はないことを意味している。
結果は以上で、一見共通のネオ抗原自体は意味がないように思えるが、このネオ抗原をワクチンとして用いることで、少なくともマイクロサテライト不安定性を持つ人共通に、ガン免疫を誘導する可能性は明らかになったと評価している。この研究でリストされたペプチドプールを用いる臨床治験を進めてほしいと期待する。
2020年12月14日
神経刺激に伴ってすぐに発現が上昇する転写因子群は、例えば特定の経験に対してどの神経細胞が反応しているか調べるために今や欠かせないツールになっている。中でもよく使われるのがガン遺伝子として知られているFos遺伝子経路だが、誘導されたFosは何をしているかと考えると、ほとんど何もわかっていないことに気づく。
今日紹介するハーバード大学からの論文は空間の新しい記憶成立に必要な海馬CA1領域の錐体細胞が、新しい環境を経験した時に興奮しFosを発現する状況を捉えて、Fosの下流の遺伝子発現と、その機能を明らかにした力作で12月9日号のNatureに掲載された。タイトルは「Bidirectional perisomatic inhibitory plasticity of a Fos neuronal network (Fos下流の神経ネットワークは興奮・抑制両方向の細胞体周辺制御に対する可塑性を決める)」だ。
海馬CA1の錐体細胞は、細胞体自身がPVorCCK発現で区別する2種類の異なる介在神経の細胞体と直接シナプスを形成する美しい構造を持ち2種類の介在神経からくる全く異なるタイプの情報を統合している。この時、Fosが発現するので、この機能を明らかにすべく研究を行っている。
繰り返すが大変な力作だ。まず、マウスが新しい環境を経験した時にFosを発現する細胞を蛍光標識し、Fosが発現すると、PV介在神経刺激に対して通常より1.7倍高く、逆にCKC介在神経に対しては1.8倍低く反応するようになる。
そして、この介在神経に対する反応変化はFos/Fosb/Junの3遺伝子をこの細胞で同時ノックアウトすることで消滅し、水迷路試験で空間記憶が侵されていることを明らかにする。
これだけでも十分面白いが、この研究ではFosにより転写調節される下流の分子についても、リボゾーム沈降、single cellトランスクリプトーム、Fos結合Chip解析など、考えられるほとんどのテクノロジーを駆使して探索し、全ての方法で共通に変化が見られた6種類の遺伝子について、局所にsiRNAを注入する実験でノックダウン実験を行い、最終的に神経内分泌分子SCG を、Fosに反応して錐体神経の反応調節に関わる分子として特定する。
最後に、SCGを錐体細胞でノックダウンし、この分子が両方の介在神経に対する反応の統合に関わることを明らかにし、錐体神経のFos-SCGシグナル経路が、両方の介在神経とで形成する回路の活性を調節していると結論する。そして、CA1でSCGをノックアウトすると、γ波の高さが低下するとともに、θ波と錐体神経細胞興奮の同調性が変化することを示している。
以上、よくここまでやったなと思える力作で、初めて私も神経興奮の指標として使われているFosが、神経細胞の転写調節を通して、神経回路の特性を持続的に変化させ、記憶形成に関わっていることがよくわかった。このシグナル経路の機能的側面については、まだまだ知りたいことは多いが、この研究が入り口になって進展が加速すると思う。
2020年12月13日
新型コロナ感染についての議論を見ていると、我が国の科学レベルの低下もさることながら、政治家や役人へ正確な知識を伝えていくパイプが極端に細くなっていることがわかる。例えば感染状況は、一年たった今もPCR陽性数だけで議論されているし、社会的インパクトは結局医療レベルの逼迫で判断している。しかし、これらは決して科学的な指標にはなり得ない。その典型がGoToトラベルの影響についての判断に現れる。
ウイルスが増殖するには必ず宿主が必要で、増殖とともに変異が起こる。従って、現在流行中のウイルスのゲノムを調べることで、ウイルスの世代数、広がり、伝播経路など推察できるはずだ。例えば、東京で流行中のウイルスと、他の県でのウイルスを、今のインフォーマティックス技術で比べれば、GoToの影響を正確に評価できる。このためには、リアルタイムでウイルスゲノム解析を高いカバレージで行う必要があるが、科学を政策に生かすためにオランダで行われた3週間に200近いゲノムを解析する試みが(https://aasj.jp/news/lifescience-easily/13568)、我が国でもできないはずがない。事実リアルタイム解析でなければ、我が国からもウイルスゲノムの論文は出ている。しかし、政策に活かすにはリアルタイムで行う必要がある。オランダで使われたナノポアシークエンサーの精度を問う人もいると思うが、60カバレージで十分正確に調べられることを示した論文も発表されている(NATURE COMMUNICATIONS | (2020)11:6272 | https://doi.org/10.1038/s41467-020-20075-6 )。すなわち、実行再生産数や再生産レートも、ウイルスの系統動態(phylodynamics)と合わせて議論しないと、ただの現象に過ぎない。もし我が国でこのような努力が全く行われていないとしたら、科学と政治にとって由々しき事態だが、結果がわかっているのに発表しないとしたらもっと大変だ。
実効再生産数とphylodynamicを合わせて議論する重要性は、ウイルスに止まらないことを「感染するがん細胞」で絶滅の危機にあるタスマニアデビルで調べたのが今日紹介する米国ワシントン大学からの論文で、12月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「A transmissible cancer shifts from emergence to endemism in Tasmanian devils (タスマニアデビルの伝染するガンは感染拡大段階からエンデミック段階にシフトした)」だ。
これまで感染する口腔癌細胞が1970年ごろにタスマニアデビルに発生し、瞬く間に全島に広がって種絶滅の危険が迫っていることについては2015年(https://aasj.jp/news/watch/4641)以降、3回論文で取り上げている。一時絶滅直近と心配されたが、2000年を境に実効再生産数が下がり始め、現在では1を切っており、感染個体数も2005年以降は横ばいになっていることが疫学調査よりわかっている。このような疫学解析は、新型コロナウイルス感染の話を聞いているほとんどの人にとっては、馴染みの話だと思う。
ただこの研究では、疫学だけでなく、2003年から2018年という長期間に集められた51種類の腫瘍のゲノムを解析して、phylodynamicsを調べるために適した28遺伝子を選び出し、この領域(全部で450Kb:コロナゲノムの15倍)の突然変異解析からウイルスの系統樹を作成し、疫学データと合わせている。この結果、
- これまで大きく3種類の感染クラスターが存在すること、
- 3つのクラスターに地域性はなく、タスマニアデビルの移動とともに全国に広がっていること、
- それぞれのクラスターは拡大時期が異なっており、現在多いのはクラスター3であること、
- クラスターのスイッチには、ガンの増殖と免疫から逃れるために必要な遺伝子群が関わること(STAT3、シュワン細胞分化遺伝子、Wnt)、
が明らかになっている。以上の結果から、たしかに、実効再生産数は低下しているが、これはガン細胞の悪性度が低下したわけではなく、おそらく致死率100%という感染ガンの結果、個体数が減少して、3密が避けられたからだと結論している。そして、感染していない個体を隔離して、人工飼育することで絶滅から守ることの重要性をアドバイスしている。ウイルスだけでなく、これほど複雑な感染するガンでも、疫学とphylodynamicsをセットで考えることの重要性がわかっていただけたのではと思う。
ウイルス感染に疫学とphylodynamicを組み合わせるのは常識で、これがどこまでできているかはその国の科学レベルを示していると思う。我が国も、政策にphylodynamicsが取り入れられるよう、科学者にも努力してほしいと思う。
2020年12月12日
個人のガンゲノムを解析して、そのデータに合わせて治療薬(できればガンの増殖を支える分子に対する分子標的薬)を用いるプレシジョンメディシンに期待が集まる一つの理由は、分子標的薬の副作用が比較的少ない可能性があるからだ。また、ガンの化学療法を避ける最も大きな理由は、副作用により、ガンだけでなく体も障害されることを恐れるからだ。そして、このような副作用の中で患者さんを苦しめるのが、吐き気や嘔吐、食欲不振の結果、栄養不全に陥いってしまうことだ。現在、吐き気を誘導する神経回路については研究が進んでおり、ヒドロキシトリプタミン受容体阻害剤や、ニューロキニン刺激剤などが処方されるが、効果がない場合も多い。
今日紹介する、今や新型コロナウイルスワクチンで最も有名になった製薬会社、ファイザー研究所からの論文は、悪液質と呼ばれる悪いサイクルに関わることが知られているGDF-15が、特にプラチナ製剤をはじめとするいくつかの抗ガン剤による吐き気、嘔吐、体重減少に関わっており、これに対する抗体でこの症状をかなり防ぐことができる可能性を示した研究で、12月1日号のCell Metabolismに掲載された。タイトルは「GDF-15 Neutralization Alleviates Platinum-Based Chemotherapy-Induced Emesis, Anorexia, and Weight Loss in Mice and Nonhuman Primates (GDF-15中和によりプラチナ製剤を中心にした化学療法による嘔吐、食欲不振、体重減少を、マウスおよびサルの動物実験で軽減することができる)」だ。
現在固形ガンの治療として最も広く使われているプラチナ製剤(シスプラチン)は、他の抗ガン剤と比べた時、特に吐き気、嘔吐が副作用として出やすい薬剤だが、この研究ではこれがプラチナ製剤が持つGDF-15誘導能に関わると決めて、研究を進めている。
まず、大腸ガン、肺ガン、卵巣ガンで、プラチナ製剤による治療を受けている人と、他の抗ガン剤で治療を受けている人を比べると、プラチナ製剤治療を受けている人の方が血中GDFが高い。また、体重の減少が大きい人ほどGDF-15レベルが高い。
そこでマウスモデルでプラチナ製剤の一つシスプラチンを投与する実験を行い、シスプラチンにより血中GDF-15が上昇し、これらは筋肉、腎臓、心筋など様々な組織に由来すること、そしてこの結果体重減少が起こることを明らかにする。これを確認した上で、次にGDF-15 ノックアウトマウスにシスプラチンを投与すると、体重減少が見られなくなることから、シスプラチンの副作用で食欲が低下し体重減少が起こるのは、シスプラチンがGDF-15を誘導するためだと結論している。
この研究のハイライトはこれが全てで、あとはもともとファイザーで開発してきたGDF-15に対するモノクローナル抗体を用いて、シスプラチン投与によるマウスの体重減少だけでなく、サルで見られる嘔吐、食欲不振などを軽減できることを示している。
そして、マウスにガン細胞を移植し、これをシスプラチンで治療する実験系で、GDF-15に対する抗体を投与すると、体重減少や健康状態を障害することなく、シスプラチンによる治療が可能であることを示している。
最後に、様々な抗ガン剤によるGDF-15 の誘導を調べ、これまで副作用として嘔吐が起こる確率が高いとされてきた抗ガン剤のほとんどは、血中GDF-15が上昇することを示している。
以上が結果で、副作用の原因を突き止めて、それを抑えることで、患者さんの体調を維持し、最終的な結果も改善する可能性を示す大事な研究だと思う。この他にも、他のサイトカインに対する抗体や、グレリンの刺激による食欲更新など、嘔吐や吐き気に対する治療法の開発が進んでいるが、患者さんが抗癌剤を恐れる最大の理由を除こうと、努力が続いていることを紹介できて良かった。
2020年12月11日
最近病気の解析にヒトのiPSやES細胞、他様々な細胞から分化させたミニ臓器を用いている論文をよく見かける。このミニ臓器(オルガノイド)の開発には、亡くなった笹井さんや、現在慶應大学医学部の佐藤さんなど、日本の研究者の貢献は大きい。中でも、人間の脳は最も研究が難しいため、オルガノイドは人間の脳疾患の研究に欠かせないツールになっている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文はその典型で、X染色体上に存在するメチル化DNA結合分子MECP2をコードする遺伝子欠損によっておこるレット症候群をの治療薬を脳のオルガノイドを用いて探索した研究でEMBO Molecular Medicine e12523にオンライン出版された。タイトルは「Pharmacological reversal of synaptic and network pathology in human MECP2-KO neurons and cortical organoids(MECP2遺伝子が欠損したヒト神経細胞と脳皮質のオルガノイドに再現されるシナプスとネットワークの異常は薬剤により正常化できる)」だ。
この研究ではレット症候群の患者さんから幹細胞を作成したのではなく、レット症候群と同じ突然変異を導入したES細胞を、元のES細胞と比べている。これにより、遺伝的背景を同じにできるので、両者の違いは全てMECP2遺伝子欠損による結果とみなすことができる。
まず正常及びMECP2欠損の神経細胞を誘導し、遺伝子発現について両者を比較すると、グルタミン酸受容体シグナルに関わる分子を筆頭として、シナプス形成に関わる遺伝子の発現が軒並み低下していることがわかる。
これらの遺伝子異常、特にシナプスシグナルの異常に効くと想定される向神経薬を14種類を選んで、正常神経細胞には影響が少なく、MECP2欠損神経細胞でシナプス形成に関わる様々な分子の発現を高める化合物を探索した結果、痴呆の進行を抑える効果があるとしてすでに用いられており、GABA受容体に結合する化合物ネフィラセタムと、アセチルコリン受容体のアゴニストPHA 543613が、神経細胞レベルで見られるMECP2欠損の効果を正常化できる可能性があることが示唆された。
次に、正常細胞と変異細胞が混じった患者さんの脳を再現するために、ES 細胞から分化させた神経幹細胞を混合して、オルガノイドを形成し、細胞数、神経興奮などを調べると、それぞれの薬剤は高い効果を示している。
最後に、ノックアウトES細胞から2ヶ月かけて脳オルガノイドを作成し、これに2つの薬剤を添加すると、オルガノイド内での細胞増殖が正常化するだけでなく、シナプス形成や神経伝達因子合成過程に関わる分子の発現が正常化し、細胞間に形成されるシナプス数、及びオルガノイド内での神経興奮数も正常の半分以上にまで回復することを示している。
以上試験管内では、結構有望なしかもすでに利用されている薬剤を突き止めたことになるが、共に神経伝達に直接関わる分子であることから、可塑性の強い幼児を対象とする点で、臨床応用までは慎重な道筋が必要だと思う。しかし、期待したい。
2020年12月10日
私たちの記憶は、何を見たか、何を聞いたかだけでなく、どの順番で見たかという時間とリンクして刻まれる。場所細胞やGPS細胞の発見以来、記憶成立や呼び起こしの時間オーダーを記憶させるシステムが存在するはずだと探索が行われ、記憶過程に時間的表象を与えるTime CellやRamping Cellが発見された。このような動物での時間表象の研究についてはすでに2回論文を紹介している(https://aasj.jp/news/watch/9152)(https://aasj.jp/news/watch/8870)。
ただ、これらの神経細胞は一つの領域として存在するのではなく、海馬、嗅内野や側頭葉に散在しているため、単一神経を記録することが難しい人間では研究が進んでいなかった。今日紹介するテキサス大学からの論文は癲癇の開始部位を調べるために脳にクラスター電極を留置した患者さんにお願いして、この時間細胞を特定しようとした研究で11月10日号米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Time cells in the human hippocampus and entorhinal cortex support episodic memory(人間の海馬及び嗅内野に存在する時間細胞がEP記憶に関わっている)」だ。
この研究では、Free Callと呼ばれる、一定間隔ごとに順番に提示される単語(例えば 「家」 「世界」 「女王」・・・)を記憶してもらい、記憶後全く関係ない数学問題を解いた後、記憶した単語をどんな順番でも良いので思い出してもらうという課題を行ない、その間にクラスター電極で拾える細胞の興奮を記録している。この課題では、提示された順番を気にせず思い出してもらうのだが、実際には早い段階で提示された単語はよく記憶されており、また時間的に近接して提示された単語がまとまって記憶されることが多い。
この研究の目的は動物と同じような、課題で提示される単語とは無関係に時間だけを刻むTime cellと、各サイクルでの興奮の程度がさらに大きなサイクルで上がり下がりするramping cellが発見できるかに絞っており、これ以上でも、これ以下でもない。ただ、動物の実験と比べると、興奮のサイクルの明瞭さが低いため、発見自体が難しいのかも知らない。
とはいえ、記憶する過程、呼び出し過程で、一定のインターバルで興奮を繰り返すTime cellを海馬や嗅内野で検出できる。そしてこれらは特に集団を作らず、それぞれの領域に散在している。また、記憶成立時と呼び起こしの両方で反応しているTime cellも検出できる。
さらに、課題を行なっている間、Time cellの中には、それぞれ独自のサイクルでの興奮の程度が、大きなサイクルで上がり下がりするRamping cellも検出できる。そして、記憶成立過程で、time cellの興奮の揺れはθ波と呼ばれる4Hz程度のサイクルを刻んでいることがわかった。
最後に、記憶過程で示された単語の順番と、Time cellの興奮の相関を調べると、明らかに提示された単語の順番と相関が見られることから、単語を覚える過程でのTime cellとの連結が、私たちの記憶に時間表象を与えてくれることがわかる。
動物実験と比べると、実際の興奮のサイクルは明瞭さに欠けているようには感じるが、素人の私にも、確かに私たちの脳の中に時間細胞が存在し、それとの統合が私たちの記憶に時間を与えていることが実感できた。
2020年12月9日
新型コロナウイルス(covid-19)感染が始まった頃、メディアやSNSで続いた最も熱い議論は「PCR検査をもっと拡大すべきか」、そして「マスクは必要か」だった。賛成・反対どちらの意見にも理由があったと思うが、結局検査もマスクも現在の感染状況に立ち向かうための必須の条件となっている。ただ、現在必須アイテムになったからと言って、将来はわからない。マスクはコストという面で置き換えは難しい気がするが、上気道にスプレーして感染を防ぐ方法は様々な方法が現在開発中だ。例えばナノボディーを使う方法は、大腸菌で抗体を作れることから価格も抑えられるだろう。顰蹙を買った吉村知事のヨードによるうがいも、他人に感染させないという点では意味がある(実際歯科医のガイドラインは患者さんにオーラルリンスをお願いすることで、医師の感染機会を減らすことを推奨している)。おそらく「自分のことだけ考えず、周りの人を感染させない、人を思いやる気持ちを持ちましょう」とでも言っておれば、称賛されたと思う。
同じことは現在検査のスタンダードになっているPCRでも言えるだろう。PCRは今も遺伝子配列が明らかな病原体に対する感度の高い検査方法だが、定量性、機器、検査時間など、問題は多い。よく、陽性者の8割しか診断できないPCRは社会政策上問題があるという意見を述べる人がいるが、「だからPCRが必要ない」ではなく、「まだまだ改良すべき点が多い」と問題を指摘するのが筋だ。最近抗原検査が行われるようになってきたが、この検査には良い抗体が必要で、パンデミック初期にはまず利用できない。
その意味で、PCR検査に代わる新しい核酸検査の開発は必要で、我が国も備えが必要だと思う。時間短縮や機器の必要性の問題で言えば以前紹介したLAMP法もあり、事実検査として利用できるところまで来ていると思うが、これも遺伝子を増幅するという点では定量性の問題がある。
これに対しこれまで何度も紹介した(https://aasj.jp/news/watch/6731)、(https://aasj.jp/news/watch/12887)、特異的なガイドRNAを認識すると、一本鎖RNAやDNAを配列に関係なく切断するCas12やCas13を用いたクリスパー検査法は将来性が高いと思う。事実、Gootenbergにより開発されたSHERLOCKはFDAに検査として認可され、現在では核酸抽出プロセスの必要ないバージョンSHINEが完成している。
この方法の利点は、ガイドRNAさえうまく設計すれば、あとはCas13DNA切断酵素の量がそのままガイド/ウイルスRNAの量を反映できるので、定量性が高い点だ。残念ながら、SHERLOCKにはウイルスRNAをリニアに増幅するプロセスが入っているが、今後同じウイルス配列から設計されるガイドの数を増やせば感度も上げることが可能になる。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、全く増幅なしに複数のガイドRNAを組み合わせることで、定量的にCov2コピー数を検出する検査方法の開発で11月25日Cellにプレプルーフ版が出版された。タイトルは「Amplification-free detection of SARS-CoV-2 with CRISPR-Cas13a and mobile phone microscopy (CRISPR-Cas13aとスマフォ顕微鏡を利用した増幅の必要のないSARS-CoV-2検査)」だ。
いかに将来重要だと言っても、この論文がCellに掲載されるというのは、著者にDoudnaさんが入っているのと、非常時だからかと思ってしまう研究で、特に目新しさはなく、一言で言うと各コンポーネントを至適化し、実際の患者さんのウイルス量を定量できるようにしたという結果だ。
原理としては、ガイドに結合するウイルスRNAの存在で活性化されるCas13aを、結合しているRNAが切断されると蛍光分子が発色する構造を持った基質で検出する。このとき、感度が上げるガイドの選択、ガイドの数、そしてoff targetの活性で偽陽性の防止法など検討し、現状のPCRを凌駕する感度を持ち、30分で判断できる検査に仕上げている。
これら反応液は素人でも使える形にできるので、最後に蛍光量を分光計を用いて測定する代わりに、スマフォに装着したスマフォ顕微鏡を用いて、測定が可能にして、将来は家庭でも診断が可能になると結論している。すなわち、PCR検査の問題、機器、時間、定量性、そして人手を一気に解決できるという話だ。
ただ、私がこの技術に注目するのは、これらの利点以上に、CRISPR-Cas12/13システムは、
- 配列さえわかれば同じプラットフォームですぐに検査キットを作成で、新しいパンデミックに備えられる、
- そして、一種類だけでなく、ガイドさえ増やせば、何十種類、何百種類のウイルスの存在をまとめて検査できる、
可能性を持っているからだ。
我が国でもすでに多くの投資がPCRに費やされたが、この投資に縛られると将来を失う。PCRは現在必要な投資として割り切って、将来のパンデミックや疫学に備える技術を我が国も今から準備することが重要だと思う。
今日はCRISPRを取り上げたが、他にもグラフェンを用いたバイオセンサーも開発されている(Alafeef et al, ACS NANO, https://dx.doi.org/10.1021/acsnano.0c06392)ので、CRISPRにこだわることもない。