2020年5月3日
多くの医学雑誌は現在新型コロナウイルス感染論文で溢れかえっているが、もちろんこれ以外の面白い研究は今も発表し続けられている。この非常時の中にも維持される常態こそが科学の力になる。実際、研究が止まってもこの常態を維持することは可能だろう。大手メディアはコロナについての番組で埋め尽くされているし、SNSでも同じ状況だ。かく言う私も、コロナ関係の論文紹介は、SNSにもアナウンスすることにしているが、元科学者として常態の維持に協力することが重要で、自宅にこもる時期だからこそ、ゆっくり科学のトレンドを考えたいと思っている。
そんなとき、阪大の岡田真理子さんから頼まれていた講義が中止になったので、ぜひ正常な生活を維持してもらう意味で、内容を拡大して「Abiogenesis」と言うタイトルで、38億年前に地球に生命が誕生する条件についての研究紹介を3回に分けて準備し、Youtubeで配信することにした(https://www.youtube.com/channel/UC1WeyfqdOM5GYCm7QObRpjQ/featured )。本来は阪大の学生さん向けに準備したが、せっかくなのでオープンにしている。明日で最終回になるが、この機会に大学のカリキュラムとしては扱いが少なく、普通は考えないことを考えてみるきっかけにしてほしいと思う。またロックアウト中に、椛島さんに頼まれた皮膚科の講義も作ろうと思っているので、これも公開することにする。
と長い前置きになったが、今日紹介したいのは生命の誕生とは全く関係のない認知症の話で、APOE4の変異が認知症の原因になる一つの要素が脳血管関門が局所的に破壊されると言う面白い観察だ。タイトルは「APOE4 leads to blood–brain barrier dysfunction predicting cognitive decline (APOE4は脳血管関門お機能異常を誘導し認知機能の低下をきたす)」だ。
APOEには3種類のアイソフォームが存在し、それぞれのアイソフォームは様々な形でアルツハイマー病など認知症に関わっている。例えばクライストチャーチ型変異を持つAPOEによって、アミロイドがどれほど蓄積しても認知症状が出ない老人がいることを示した論文を以前紹介した(https://aasj.jp/news/watch/11677 )。また、 APOEのε4変異はアルツハイマー病の原因遺伝子として知られている。
この研究ではε4のバリアントを持つAPOE(APOE4)とε3バリアント(APOE3)を持つ患者さんを集めて、造影剤を用いるDCE-MRIというMRI検査を用いて脳の血管機能、特に脳血管関門が壊れていないか調べている。
結果は、APOE4を持つ人だけ、不思議なことに海馬および海馬傍回と呼ばれる場所だけで、血管関門が壊れて造影剤の漏れが見られることを発見する。結果はこれだけだが、
この漏れの程度は、海馬や海馬傍回の萎縮を伴い、認知機能と相関する。 しかし、AβやTauなど他のアルツハイマー分子の蓄積との相関は全くない。 一方、関門破壊の指標となる脳脊髄液中のPDGFRβの量と相関する。 関門の破壊は血管周囲細胞のAPOE4シゲに下流に存在するサイクロフィリンA経路を介するMMP9の発現が主要な要因になっている。
人間のMRI検査から様々な可能性を探った、現象論的研究だが、APOE4による認知症は従来のアルツハイマー病とは異なる可能性を示唆しており、重要だ。さらになぜAPOE4が海馬や海馬傍回特異的に関門を破壊するのかなど重要な問題が生まれたと思う。
2020年5月2日
マスメディアレベルでは、新型コロナ肺炎という決まった単位があって、あとはどんな薬が効くかともかく視聴者に伝えて、視聴率を稼ぐことで十分だろう。しかし、医師や研究者にとっては、共通性と特殊性が混合した個別のケースを、最終的には大きな枠の中で全部説明できるメカニズムを探り、それを標的にした治療が必要になる。そういう目で毎日の論文を見ていると、不謹慎とは思うが、ジグソーパズルや謎解きゲームのような、面白いゲームに参加しているような気持ちになる。
そこで、今回も新型コロナウイルス肺炎の重症化について、論文をサーフしながら、頭の整理をしてみた。
さて、この病気が重症化する原因として、肺を中心に様々な微小血管内の血栓形成が指摘されてきた。実際、フィブリンの分解物であるD-ダイマーの血中濃度と、重症化との相関は、この可能性を強く示唆している。また、肺だけでなく、心臓や腎臓障害が頻発することもこれで説明可能だ。さらに皮膚症状として、川崎病のような血管炎症状を見ることも報告されている。とすると、以前紹介したようにウイルス敗血症のような全身性の血栓形成DICが起こるのではと危惧される。
これに対し、4月24日にダブリン血管研究所からBritish Journal of Haematologyに発表された論文では、
確かに重症患者さんではD-Dimerの上昇をはじめとする血栓形成が起こっていることは間違いないが、白人に関して言えば(低分子ヘパリンは服用している)、プロトロンビン時間や血小板数に重症者、軽症者に差がなく、DICが重症化と関係する可能性はほとんどないと結論している。そして、肺の病理などを根拠に、局所的な微小血管内血栓が重症化の原因ではと推察している。
もともと血栓の起こりやすさには人種差があり、ひょっとしたらこれがアジア人で死亡者が少ない原因かもしれない。
では一体どのようなメカニズムで、局所血管の血栓ができるのか?これを考えるパズルのピースとして、D-ダイマーなどの血栓形成指標に加えて、1)好中球が上昇していること、2)肺の微小血管から肺胞腔まで好中球の浸潤とともにフィブリンの沈着が見られること、から導かれた一つの可能性が、Neutrophil Extracellular Trap(NET)という現象がcovid-19で発生しているのではないかという可能性だ。
そしてこの可能性は、ニューヨークのZucker School of MedicineとCold Spring Harbor研究所のグループがJournal of Experimental Medicineに発表した総説の中でいち早く指摘している。
ここでNETについて少し説明する必要があるだろう。好中球は様々な刺激で炎症局所に浸潤し、細菌を貪食したり炎症誘導因子を分泌したりして生体防御に関わるが、この細胞は最後の切り札として、核内からクロマチンごとDNAを細胞外に放出し、そこで血小板やフィブリンなどを捕捉する極めて特殊な死に方ができる。この細胞外に放出されたクロマチンを中心に炎症や血栓ができるのがNETで、ウイルス疾患や、サイトカインストームが起こるような条件で誘導され、持続する強い局所炎症の原因になることが知られている。
またCovid-19が問題になる前から、川崎病のような血管炎、あるいはARDSもNETとの相関が示唆されてきた。この意味で、なかなか魅力的な仮説で、少なくともCovid-19がらみの血栓に関する私の知識は、この仮説の中に十分収まると感じていた。
そして4月24日、ミシガン大学のグループが重傷者では臨床的にNETが発生しているという論文をJCI Insightに発表した。
この研究では50人の患者さんを、NETが発生していると仮説を立て、必要な検査を行っている。するとコントロールと比べ、NETを示すDNA、ミエロパーオキシダーゼとDNAの混合物、そしてシトルリン化されたヒストンの血中濃度が高まっていることを確認する。
そして、ベンチレーターを必要とした重症患者さんでは、血中のDNAやミエロパーオキシダーゼとDNAの混合物が有意に上昇していること、そして患者さんの血清を好中球の培養に添加するとNETを誘導できることを明らかにした。
結果はこれだけで、実際にままだまだNETが重症化のメカニズムだとするには証拠が断片的だと思うが、しかし肺病変はもとより、皮膚の血管炎、腎障害、心臓障害などを含め、covid-19の病態をかなり説明できる。
また、NETが発生することにより、IL-1βとIL-6の刺激回路ができて、NET局所の炎症が拡大することも知られており、重傷者がIL-6が高値を示し、これに対する抗体が症状を抑えることができる点も説明できる。
そして何よりも、NETを想定することで、新しい治療が可能になる。というのも、詳細は割愛するが(詳しいことを知りたい方は、例えばJCSに発表された総説を参照してください)、NETは他の細胞死と同じで、決まったプロセスを経て起こる。具体的には、ウイルスをはじめ様々な刺激で好中球が活性化されると、細胞骨格が分解した後、核膜が崩壊、その結果クロマチンごとDNAが放出されるが、この過程でヒストンのシトルリン化酵素や、エラスターゼなど多くの分子が関わっている。
それを標的にすることで、NETを抑え、サイトカインストームや血栓を抑える可能性がある。
これに基づいて、Journal of Experimental Medicineの総説では、いくつかの治療戦略を挙げているので最後に紹介する。括弧内に書き添えたのは、他の論文も参考にした個人的メモ)。
ヒストンのシトルリン化に関わるPAD4阻害剤(ただNETも多様で、Covid-19ではPAD4の関与は少ないとする報告もある)。 好中球のエラスターゼ阻害剤。我が国ではシベレスタットがARDSに持ちられてきたが、効果は低いことが報告されている(実際にCovid-19でも使用されており、効果は高くないことが示されている)。しかし、新世代のエラスターゼ阻害剤があり、きたいできる。 膜に穴を開けるGasdermin D阻害剤。 細胞外に放出されたDNAを分解するDNaseI阻害剤. 繊維性嚢胞症で吸入療法がすでに実用化されている。 NETはマクロファージを活性化してIL-1βを分泌させ、これによりさらにNETが拡大する。また、IL-1βはIL-6誘導にも関わる。従ってIL-6に対する治療とともに、すでに実用化されているIL−1β阻害抗体の効果は期待できる。
以上、NETを加えると、頭の中のパズルもかなり形が見えてきた。
2020年5月1日
急性脳障害で救命措置を施した後重要なのは、意識レベルを診断することで、特にいわゆる植物状態と最小意識状態を区別することだ。外界との相互作用がある程度取れているケースでは完全ではないが意識回復が可能だが、植物状態の場合、稀なケースを除いて回復は望めない。
診断には観察が重要だが、両者を見分けるのは簡単ではない。ところが、今日紹介するイスラエルワイズマン研究所からの論文は2種類の匂いを嗅がせて一回の吸入量を計るだけで、かなり正確に診断できることを示した研究で、4月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「Olfactory sniffing signals consciousness in unresponsive patients with brain injuries(匂いを嗅ぐ行動は脳障害の患者さんの意識状態を示している)」だ。
研究では、意識混濁で、植物状態と診断された患者さんと、最小意識状態と診断された患者さんにシャンプーの香料に使われるいい匂いと、魚が腐ったような不快な匂いを嗅がせたとき、嗅いだ後の呼吸吸引量が変化するかを調べるという極めて簡単な研究だ。
結果は明瞭で、最小意識状態と診断された患者さんでは良い匂い、悪い匂いとも吸引量が低下する。快、不快を問わずこの反応は見られることから、特に認識が行われているようには見えないので、反応的な感覚といえる。ところが、植物状態と診断された患者さんでは匂いを嗅がせても呼吸に何の変化もない。
この発見が研究の全てだ。私はもう現場については全く知らないが、確かに匂いを使う意識検査はあまりないように思う。患者さんを集めるのは大変だと思うが、特に脳波検査など近代的な検査を全く行わず2つの匂いを用意するだけで、Natureに掲載されるというのは羨ましい限りだろう。
それでも読み進むと、この重要性がよくわかってくる。このテストは平均値が重要ではない。最初最小意識状態だったのに、その後植物状態に落ち、また最小意識状態を経て完全に回復したケースで、それぞれの時期の意識状態診断はこのテストの診断と一致する。
また意識レベルも、強い匂いを嗅いだ後、匂いのない脱脂綿を嗅がせた時に見られる吸気量の変化を、匂いへの単純な反応ではなく匂いの認知を反映する指標とすると、ほとんどの最小意識状態の患者さんは匂いを認識できていることを明らかにしている。
そして、植物状態として診断された患者さんの中で、匂いに対する反応が見られたケースは、単純な反応だけでなく、認識に基づく反応も存在し、驚くことに全例が最小意識状態へと回復している。
これに勇気付けられ、脳損傷後すぐに匂いへの反応を調べ、長期経過との相関を調べると、匂い反応が残っていた患者さんんは8.3%が経過観察中に死亡した一方、匂い反応が見られなかった患者さんでは63.2%が亡くなっている。すなわち、極めて簡便だが、予後と相関する検査ができたといえる。
専門ではないが、臨床的には重要な発見だと思う。ただ、著者らは意識という脳研究の大問題にもこの系は寄与すると考えている。すなわち、このテストを受けて完全に回復した人たちが、匂いを嗅いだことをどう覚えており、どのように表象しているのか、言われてみるとおもしろい。
2020年4月30日
間質細胞などと書くと、なにか構造的に裏打ちしているだけに思えるが、実際には組織学的に同じ形態はしていても多様な細胞から構成されており、この多様性に支えられて組織形成や、炎症が起こる。例えば京大時代に研究していたリンパ組織の形成も、組織形成の場所に周りとは異なる線維芽細胞が生まれて初めて可能になる。組織形成だけでなく、炎症もそうで、炎症の場の広がりは、浸潤する血液細胞だけで決まるわけではなく、炎症を支える形に転換した線維芽細胞の出現が必要になる。
今日紹介するハーバード大学からの論文は関節腔を形成する滑膜組織というほとんど間質からできた比較的単純な組織の特徴を利用して炎症巣が広がる過程を解析した研究で4月22日号のNature にオンライン掲載された。タイトルは「Notch signaling drives synovial fibroblast identity and arthritis pathology (Notchシグナルは滑膜の線維芽細胞の個性を決め関節炎の病理変化を制御する)」だ。
いま人間の各組織のすべての細胞のsingle cell trascriptome 解析を行い体全体の細胞アトラスを完成させる計画が進んでいるが、おかげで線維芽細胞の多様性が続々明らかになっている。この研究でも、まずヒト滑膜組織から細胞を採取しsingle cell transcriptome 解析を行っている。
この解析を行うと通常多数の細胞集団が特定されるのだが、さすがに滑膜組織で、細胞の種類は少ない。しかし間質細胞は連続はしているが遺伝子発現で区別できる2種類と血管周囲の壁細胞に分類される。
この研究の重要性は、単純に3種類の線維芽細胞が存在するのではなく、壁細胞、滑膜下部組織、滑膜表面へと少しづつ異なる細胞が傾斜的に分布していることを示した点で、結局多様性も様々なシグナル依存的に形成されていることを示した点だろう。また、滑膜に関する限り血管周囲の壁細胞も同じ細胞系列といえるようだ。その上で、この通常のバランスが、リュウマチの滑膜では、滑膜下線維芽細胞が肥厚してくることを示している。
次にこの多様性を生むシグナルを探索し、Notch3とJag1がシグナルの中核を形成していること、さらに血管が発現するJag1やDLL4が線維芽細胞のNotch3を刺激すると、その線維芽細胞でもNotch3とJag1が誘導され、このJag1が隣のNotch3を活性化して、順々にシグナルがリレーされることを明らかにしている。普通Notchとそのリガンドは異なる細胞で発現して刺激して、それぞれの細胞の個性を確立するのに使われるので、このように細胞の個性を順番に変えるのに使われているのも面白い。
そして最後に、リュウマチ滑膜ではNotch3陽性線維芽細胞の割合が上昇していることから、リュウマチではこのシグナルが高まっていると考え、Notch3シグナルをノックアウトすることでリュウマチの症状が抑えられるか調べている。
結果は予想通りでどのように刺激が始まるかについては不明だが、ノックアウトや抗体によるNotch3 シグナル阻害で、マウスリュウマチモデルの関節症状が抑えられることを示している。
結果は以上で、血液系の細胞だけでなく、間質系の細胞もリュウマチ治療の標的になることを示した研究で、サイトカイン抑制と組み合わすと相加的以上の効果が期待できるかもしれない。
2020年4月29日
MERS, SARSそして新型コロナ肺炎(Covid-19)と、重症な肺炎を誘導するコロナウイルスの宿主細胞への侵入機構を比べてみると、MERSはインクレチンを切断するペプチダーゼDPP4、そしてSARS、Covid-19はアンジオテンシンを切断するACE2を使っている点で、我々が生活習慣病の治療に使っている分子と関わりがある。たまたまといえばそれだけだが、DPP4とACE2を進化過程で使うようになったのか、人から人への感染能力の進化を考える意味では面白い問題に思える。おそらく、他の動物での感染メカニズムと比べることで、今後この意味が明らかになるように思う。
一方治療に当たる医師の方では進化などと悠長なことは言っておられない。アンジオテンシン2を切断してアンジオテンシン1-7に転換するACE2は血管緊張のバランスを取っており、しかも高血圧治療の標的になっている。そこに新型コロナウイルスが割って入ってきたのだ。最初から、レニンアンジオテンシン系の薬剤(RA剤)がcovid-19の重症化に関わる、いや治療効果があるなど、様々な論文が報告され、学会も対応に追われた。最終的に、RA剤を中止する、あるいは新たに処方するエビデンスはないという声明が多くの学会から出されている。
ただこの声明を裏付けるためには、臨床的調査が必要で、論文の発表を待っていたら、武漢中央病院に入院した症例のデータがJAMA Cardiologyに、
そして武漢の多施設からのデータ解析を行った論文がCirculation Researchに、それぞれ発表された。
詳細を省いて結論だけを紹介すると、
最初の論文では、全入院症例1178例、うち高血圧患者さんが362例、そのうち115例が、アンジオテンシン阻害剤か、アンジオテンシン受容体阻害剤を服用していた。結果だが、重症化率、死亡率、いずれの指標でもRA剤使用グループで差が見られなかったので、RA剤を服用中の人たちには一安心という結果だ。
驚くことに、同じ武漢でも他施設に入院した3611例(内1128人が高血圧)について、死亡率を計算した研究では、高血圧患者さんのうちRA剤を服用していた患者さんの方が死亡率で3.7% vs 9.8%と予後が良かったという結果になっている。
結論としては、病院に入院するケースではやはり高血圧の比率が高いことがはっきりしているが、いずれの論文もRA剤が悪いという結果ではないので、covid-19感染を恐れてRA剤を辞める必要は全くないことがわかる。
一方、RA剤を飲んでいる方が予後が良いかについては結果が分かれており、今後の確認が必要だろう。現在進行形で多くの死者が出ており、論文はすぐに出てくるように思う。個人的には、致死率が極めて高い米国やイタリア、スペイン、英国と、比較的低いドイツやアジアの国の比較が面白いように思う。我が国でもすでに死者が300人を超えており、しっかりしたデータが集まるのではと期待している。
2020年4月28日
今年の日本国際賞はネアンデルタール、デニソーワ人のゲノムを初めて解明したスバンテ・ペーボさんに授与されることになった。お会いしたことはないが、彼が切り開いた分野から連日発表される驚きの論文のおかげで、引退後の私も随分楽しませてもらった。頭の中も十分アップデートしたおかげで、飽和に近づいたのか、最近は私もこの分野の論文を紹介することがなくなっている。
しかし解析された個体数が増え、情報処理技術は着実に進んでおり、解析の制度は着実に上昇している。今年も必ずあっと驚く論文が期待できるだろう。そんな中で今日紹介するデンマーク・オーフス大学と、ライプチヒのマックス・プランク人類進化学研究所からの論文は、古代人の化石だけに頼らず、現代人のゲノムに存在する古代人遺伝子断片を特定して、ゲノム進化を調べた地道な研究で4月22日号のNatureに掲載された。タイトルは「The nature of Neanderthal introgression revealed by 27,566 Icelandic genomes (27,566人のアイスランド人ゲノムに見られるネアンデルタール人からの遺伝子流入の性質)」だ。
古代人ゲノムが解読され、そのゲノムが我々ホモ・サピエンスの中に存在するという発見は今世紀の大発見だが、実際には数万年前のゲノムを現在のゲノムと比べているわけで、古代人と交雑して我々に流入したゲノムも我々の歴史とともに進化し、化石のゲノムとは当然変異しており、この方法だけでは流入した多くの古代人ゲノムが発見されないままで終わる。
この研究では、アイスランドで進んでいるデコード社による全ゲノム解読データを利用して、古代人ゲノムの流入がほとんどないアフリカ人のゲノムデータと比較して、現代人ゲノムの中かの古代人ゲノムを推定する方法を用いている。同じ方法はなんども使われてきたが、この研究では27,566人という多くのアイスランド人ゲノムを用いてこれを行なっている。我々のゲノムには1.5〜2%程度古代人ゲノムが含まれているが、どの断片を持つのかは個人個人で異なっており、調べられるゲノムの数が多いほど、多くの古代人ゲノム断片を集めることができる。そして何よりも、流入後に我々の先祖の歴史とともに発生した変異についても個別の断片について計算することができる。2万人ものゲノムを処理するだけでも簡単ではないはずだが、最終的に古代人ゲノム全体の半分近くを特定している。
論文のほとんどは、方法の検証に当てられているが、その中から面白い話だけをピックアップすると次の様になる。
古代人ゲノムの変異は近くのサピエンスゲノム断片とリンクして子孫に伝わるケースが認められ、我々のゲノムに統合されることで独自の進化を遂げる。 アイスランド人について言えば少なくとも6種類の古代人ゲノムが流入しており、中でも最も多いのがクロアチアビンジャのネアンデルタール人由来の断片。 デニソーワ人のゲノムが広く分布していることから、サピエンスがアフリカから出た直後に直接、あるいは間接(ネアンデルタールを通して)に流入したと考えられる。これはデニソーワ人もシベリア以西にも多く存在したと考えられる。 おそらく現代人に流入すると淘汰される相性の悪い遺伝子が存在しており、それは古代人ゲノムが全く見られない領域として残る。この様な領域はX染色体に多い。 ほとんどのゲノム領域はサピエンスに流入後、他の遺伝子と同じ様な速度で変異している。 変異のタイプを調べることで(例えばCからGなどなど)、特にネアンデルタール遺伝子で多い変異を眺めると、ネアンデルタール人は若い男性が年上の女性とペアを組んでいたと想像できる。 古代人ゲノムのなかで形質に直接関わる多型を特定できるが、例えば前立腺源の診断に使われるPSAに関わる変異などいくつかをのぞくと、直接進化に寄与したものは少ない。 これまでの研究で、現代人の形質に大きな影響を持つとされた遺伝子多型の多くは、今回の研究で確認できなかった。
などなど盛りだくさんだ。かなりアカデミックな仕事で、一般受けはしないと思うが、今後さらに数を増やし精度を上げることの重要性がよくわかる、この分野のウォッチャーとしては満足できる面白い論文だった。
2020年4月27日
経頭蓋磁気刺激(TMS)は、脳の狙った場所に磁気により一定の周期の刺激を行い、領域内での神経結合を高めたり抑えたりする方法で、脳を操作する方法として実験に使われるだけでなく、難治性うつ病などの治療にも使われて、私もずっと注目してきた。うつ病の治療についてはこのホームページでも紹介した。
ただ、TMSを知った当時の新鮮な驚きが得られなかったためか、最近は紹介する機会が減っていた様に思う。しかし今日紹介するスタンフォード大学からの論文を読んで、うつ病のTMS治療も少しずつ改良が加えられ、信頼できる治療へ一歩一歩近づいていることを知った。タイトルは「Stanford Accelerated Intelligent Neuromodulation Therapy for Treatment-Resistant Depression (治療抵抗性のうつ病に対するスタンフォード式神経調節治療)」で、American Journal of Psychiatryにオンライン掲載された。
フォローしていないので、現在行われている方法と比べてどこが新しくなったのかは完全に把握しているわけではないが、
うつ病の場合左背外側前頭前野を標的にTMSが行われるが、この研究では治療前に、各患者さん個別に安静時機能的MRIを行い、神経結合性が低下している場所を標的にしてTMSを行なっている。 FDAで認められているθパルス治療は回路を回復させる必要量に達していないと考え、この研究では約5倍の量照射している。 一定期間の休憩を挟んで何回もパルスを誘導する方が回路回復効果があるとするそれまでの研究結果に基づいてTMSセッションを計画している。
などが、スタンフォード式のポイントだと思う。
プロトコルを眺めると、2秒間隔で1800パルスを照射した後、50分休み、また照射休憩、とセッションを10回も繰り返す。すなわち一日中治療にかかりきりになる。機械の能力としては1日に4−5人はさばけるかもしれないが、コストは高くなりそうだ。
しかし効果はてきめんでだ。この研究にはうつ病発症から20年近く経過し、現在うつ病治療の切り札と言われるケタミンも含め様々な治療法にも反応しなかった患者さんだ。そのうつ病の重症度を示す指標(MADRS)が、治療中に劇的に変化して、退院時にはほとんど正常化している。また、徐々に悪化が見られるが、寛解状態を5週間維持することができる。TMS治療がうまくいかなかった患者さんでも同じ様に調べているが、この治療では同じ様に反応する。さらに、自殺の危険性を察知するアンケート方式の調査でも、劇的な改善が見られる。一方、照射中に倦怠感を感じたりすることはある様だが、大きな副作用は全く認められない。
実際の患者さんを見ないで、グラフだけでは実感はないのだが、驚くべき効果を発揮する治療に思える。我が国でも、TMSを用いたうつ病治療は徐々に導入されているが、この方法の有効性がさらに確認されれば、重症例には使える様にすることは大事だと感じた。TMSおそるべし。
2020年4月26日
今日の日本経済新聞では新型コロナウイルスの感染感受性や、病気の重症度と相関する遺伝子を特定するためのゲノム研究コンソーシアムが始まったことが報道されていた(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58510850V20C20A4EA1000/ )。ただ、この様なコンソーシアムはさらに精度の高い研究を目指す話で、感染者が300万人に達しようかという新型コロナではおそらく早い時期からゲノム研究は行われてきたと想像する。そう思って毎日、PubMed検索サイトで、Covid-19 and SNPとかGWASとかを検索しているが、今のところは明確なhitはない。少し範囲を広げて、covid-19 and genetic susceptibilityで検索すると、いくつかヒットするが、結局ヒトゲノムとの関わりがあるのはまだ3報しか発表されていない。
ゲノム研究とは全くいえないが、最も印象に残った論文はAmerical Journal of Tropical Medicine and Hygieneにオンライン掲載されたイランからの論文で、何と血を分けたそれまで全く健康だった兄弟三人が新型コロナに感染し、同じ様なコースで重症化し死亡したという症例報告だ。
残念ながらこれ以上のことは全くわからないが、家族性の存在はゲノム研究の重要性を示唆している。
もう一報はイタリアミラノからの論文で、ゲノム研究と言えば言えるが、まだ実際の患者さんとの相関は全く調べていない。今後ゲノム解析は重要になるのは間違い無いので、ともかく今わかっていることをゲノム研究の目で見てみようという論文で、イタリア国民についてのデータベースを用いて新型コロナウイルスが細胞に侵入する時に利用するACE2とTMPRSS2の肺での発現に相関する遺伝子多型を探索し、TMPRSS2の発現に関係するかもしれない多型が存在することを示している。この点については、大規模ゲノム研究が進むことで間違いなく、病気との関係で明らかになるはずだ。不完全なデータで、一種の火事場泥棒と非難する人もいるかもしれないが、それでも何でもやってみようとするミラノ在住の科学者の切実さを感じる論文だった。
最後の一報はオレゴン健康科学大学からの論文で、前の2報より重要性は高く、ウイルス抗原に対するキラーT細胞活性を決めている組織適合抗原(MHC)と、ウイルス抗原との結合係数をデータベースを用いて計算し、ウイルス感受性をMHCから説明できないか調べた研究だ。おそらく世界中で同じ試みが行われていると思うが、このグループが先陣を切った。新型コロナウイルスに対する抵抗力についていくつかのヒントが示されていたので紹介する。タイトルは「Human leukocyte antigen susceptibility map for SARS-CoV-2(SARS-CoV-2に対するヒト白血球抗原感受性マップ)」で、4月7日号のJournal of Virologyに発表された。
以前に紹介した新しいインフルエンザワクチンについての論文では、ウイルスに対する免疫にはキラーT細胞の役割が大きいことが示されていた(https://aasj.jp/news/watch/12433 )。実際、抗体を誘導するワクチンより、T細胞を誘導するウイルスペプチドで免疫するワクチンすら開発されようとしている。
この研究では、新型コロナウイルスがコードする10種類のタンパク質からできると想定される48,395種類のペプチドから、HLA-A,B,CそれぞれのMHCと結合して提示される可能性があるペプチドを32,257種類選び出し、現在得られる145種類のHLAそれぞれとの結合性を計算している。
結果は、多種類のペプチドと結合できるHLAから、ほとんどコロナ由来ペプチドとは結合できないHLAまで極めて多様であることが明らかになった。もう少しわかりやすくいうと、H+Aによって、ウイルス抗原を捕まえてT細胞を刺激する力が大きく違っていることを示している。もしウイルスペプチドと反応できないHLAタイプを持っていると、T細胞免疫が成立しないので大変だ。
ただ多くの人では6種類のHLA分子が存在しているので、それぞれが互いにカバーしてくれてあまり心配はないと思うが、今後実際の病状とHLAの関係がわかってきた時このデータは重要だ。
一方、少し安心できるデータもある。この研究では新型コロナウイルスから生じるペプチドと、一般的な風邪などで私たちが感染するコロナウイルスから生じるペプチドを比較して、564種類のペプチドが4種類の一般的コロナウイルス由来のペプチドと完全に一致するこをと示している。
この結果は、もし風邪などのコロナ感染ですでにT細胞免疫ができておれば、その一部は新型コロナの抵抗力として働くことを示している。この新型、旧型コロナ共通のペプチドと結合するHLAを計算すると、最も結合力の強いHLAの分布は嬉しいことにアフリカに多い。一方、ほとんどコロナのペプチドに結合できないHLAはヨーロッパ、中国 オーストラリアなどで頻度が高い。
この指標だけで見ると、日本は全て中庸で、これはアメリカも同じだ。ただ、このランキングは、多くのペプチドと結合できるトップ3、およびペプチド結合能のないトップ3のHLAの分布を示しているだけで、本当の抵抗力の分布は6種類のHLA能力の総和から計算できる能力がどう分布しているのか示す必要がある。
結果はこれだけで、実際の抗原提示実験は全く行われておらず、今後実際の免疫誘導実験系で、この結果は検証されていくと思う。その上で改めて、HLA感受性マップができることだろう。
多くの病気でそうだが、MHCはヒトゲノム多様性研究の原点で、しかも免疫に関しては最も重要な分子の一つだ。その意味で、この論文に続いて今後多くのMHC とコロナ感染の論文が発表されるだろう。この様な地道なデータをしっかり提供していくことが科学の使命で、その上でより精密な将来予測が可能になる。今は抗体検査だけが話題になっているが、この様な多因子を加えた推計学手法も磨いてほしいと思う。
2020年4月25日
オートファジーは様々なガンで自分を守るために活性が高まっていることが知られており(https://aasj.jp/news/watch/1218 )、今話題のハイドロオキシクロロキンをガン治療と組み合わせる治験が進んでいる。たとえば米国の治験登録サイトをcancerとhydroxychroloquineで検索すると、75の治験が上がってくるが、最初のページの10治験では、すい臓ガンが2件、前立腺ガンが5件、乳ガンが2件、肝臓ガンが1件で、確かに多くのガンが対象になっていることがわかる。
今日紹介するニューヨーク大学からの論文はオートファジーがガンが免疫システムから逃れる機構として使っていることを示した論文で4月22日号のNatureに掲載された。タイトルは「Autophagy promotes immune evasion of pancreatic cancer by degrading MHC-I(オートファジーはMHC-Iを分解してすい臓ガンの免疫回避を促進する)」だ。筆頭著者はYamamotoなので日本からの留学生かもしれないが、今のニューヨークだと生活は大変なのではと心配する。
この研究は、すい臓ガン細胞を観察するとキラー免疫の抗原を提示するMHC-Iが表面から消失して、リソゾームに蓄積、分解されている像が見られるという気づきを発端としている。これまで多くの人が観察してきたはずだが、この注意深さがこの研究のすべてのように思える。
あとは、リソゾームに移行して分解されるいくつかのメカニズムの可能性を検討し、最終的にオートファジーを抑制すると、リソゾームへの移行がなくなり、細胞表面での発現が維持されることを示している。また、MHC-Iはオートファジーのカーゴ受容体の一つNBR1と直接結合することを明らかにしている。
以上がMHC-Iを処理するオートファジーメカニズムについての研究で、あとはMHC-Iが表面から消えることで予想される免疫回避を、オートファジー抑制で抑えることができるのか、試験管内やガン移植モデルで調べている。詳細は省くが、キラーT細胞への感受性はオートファジーを阻害することで高まり、移植ガンの実験系で、クロロキンとチェックポイント治療を組み合わせると、ガンへのCD8細胞の浸潤が高まり、その結果ガンの増殖を抑制できることを示している。
以上が結果で、古典的手法を用いた堅実な研究という印象だが、臨床への道は近いと思う。事実、先の治験サイトの検索にチェックポイント治療を加えると、これからリクルートする2種類の治験と現在リクルート中の1治験が上がっており、今後すい臓ガンでも治験が進むのではと期待する。
2020年4月24日
なんども紹介しているようにCRISPR/Casを使った遺伝子操作技術の開発によって、それまでの遺伝子改変技術の限界を大きく超えることができるようになった。細胞を培養しなくても、高い効率で遺伝子操作が可能になったし、ゲノム上のあらゆる遺伝子が改変の対象になった。我々凡人は、この新しい可能性ばかりに目を奪われてしまうのだが、常に先を見る人たちは存在する。
今日紹介するハーバード大学からの論文はこれほど自由な遺伝子操作を可能にしてくれたCRISPR/Casが内在的に持っている不自由さを取り払おうとCas9タンパク質の改変を試みた研究で、4月17日号のScienceに掲載された。タイトルは「Unconstrained genome targeting with near-PAMless engineered CRISPR-Cas9 variants(ほぼPAM依存性のないcRISPR/Cas9変異体によるゲノムへの制限のないアクセス)」だ。
この技術で可能になったことから考えれば贅沢を言うまいと誰でも思っているが、CRISPR/Cas9を使っても、操作できないゲノムの部位は多く存在する。というのも、ガイドRNAを設計する時、標的にする遺伝子配列直下にPAMと呼ばれる配列が必要で、例えばこの研究で改変されたCas9の場合、NGG配列を認識してその場所にカットを入れる。自分の遺伝子と、ホストの遺伝子を区別する巧妙な仕組みだが、これが邪魔になるというわけだ。
この研究ではまずCas9の構造解析からPAM配列に直接接するアミノ酸を特定した後、7種類のアミノ酸を他のアミノ酸に置き換えて(もちろん闇雲ではなく構造に基づいてだろうが、ここはプロに任せばいい)、どんなPAM配列でも狙った場所にリクルートできるCas9の開発を目指している。
もちろん著者だけではなくこれまで不自由から解放されようと同じような試みたグループは存在するが、この研究ではHT-PAMDAと名付けた様々な配列のレンチウイルスライブラリー(バーコード化されている)と、編集により発現する遺伝子をFACSで定量化する方法を組み合わせたところが売りになっている。
この迅速方法を用いて、PAMの配列に関わらず活性を持つCas9変異体としてまずSpGと呼ぶ変異体を開発し、次にこれをベースにほぼ全てのPAM配列で活性化されるSpRYを開発している。論文ではこの過程を詳しくデータとともに示しているが、読む方にとっては、最終産物SpRYのスペックがどうかが重要になる。
実際にはこの研究を通して、DNA切断活性を持つCas9ではなく,シトシン残基をチミンに転換CBEと名付けた編集酵素を用いているが、最後にこれまでPAMの制限でCからTへの変換ができなかった様々な遺伝子疾患を対象にSpGやSpRY がピンポイントでCtoTへの編集を可能にするか調べ、SpRYはPAM配列にかかわらずそれぞれの変異を細胞レベルで正常化できることを明らかにしている。
データを見る限り、ピンポイントで塩基を変換するような編集には、利用される可能性は高いと思う。CRISPR研究は全く止まらない。